幼き竜と婚姻契約

霧ヶ峰リョク

プロローグ


   プロローグ


 12月24日、世間一般ではクリスマス・イブと呼ばれている日。

 浮かれに浮かれたカップル達が街中を跋扈し、デートを満喫している。

 誰も彼もが今日という一日を楽しみ謳歌している。

 その光景を、飲食店の二階から窓越しに眺めて僕こと星乃輝夜は笑みを浮かべる。

 きっと、今の自分はこれ以上無い程の笑顔になっているに違いない。そんな事を考えながら不意に口が開く。

「今すぐ惨たらしく死んでくれないかなぁ?」

「いきなり何を言ってるんだよお前は」

 心の内に秘めていた純粋な願いを口にした瞬間、同じテーブルで食事を取っていた友人、篠原詩音が間髪入れずに突っ込んできた。

 僕を見るその瞳は酷く呆れているようだった。

「だってさぁ…………クリスマスっていうのは本当はもっと神聖な日なんだよ? それだというのに最近の若者といえば恋人とイチャイチャイチャイチャ…………はー、嘆かわしいですわ」

「それ去年も言ってたな。と、いうかそれは建前で本当はただ羨ましいだけだろ」

「うぐっ…………」

 詩音の言葉に図星を突かれた僕は何も言うことが出来ずに呻くしかなかった。

「あ、ああそうだよ。メッチャ羨ましいよ! そして憎いよ! クリスマスの日に恋人とイチャイチャしている奴等なんて苦しみ抜いて死んで地獄に堕ちれば良いんだぁ!!」

「おい、ここ店の中だぞ」

 大声で今日という日に対する、否、恋人が居る連中に対しての恨み辛みを叫ぶ。

 店の中に居た人達から驚きに満ちた視線を此方に向けられるが、今の僕にはどうでも良い事だった。

「と、いうわけで詩音。僕と一緒にこのホワイトクリスマスをブラッディクリスマスに変えに行くよ」

「行くわけないだろ。いいからその刀袋から手を離せ。もし手を離さないのならオレはお前を警察に通報しなくちゃならない。銃刀法違反と殺人未遂の現行犯として」

「…………分かったよ」

 詩音に説得され、僕は日本刀が入った刀袋から手を離す。

「でも何で僕に彼女が出来ないんだろう。容姿だって決して悪くないと思うのに」

「性格」

「おい、少しは味方しろよ」

 ズコーと音を立ててジュースを啜る詩音を睨み付ける。

 自分の性格が良くない事はこれでも理解しているつもりだ。でも世の中には僕以上にアレな人だって居る。そしてそういった人達でも彼女が居るんだ。

 なのにどうして僕に彼女が出来ないというんだ。

 そう考えていると詩音は溜息をつく。

「まぁ、性格で一括りにするのもアレだから色々とモテない理由を説明するけど…………逆上するなよ?」

「納得出来る説明をしてくれるなら怒ったりしない」

「なら一つ一つ説明するけど…………お前自分の容姿はどう思っている?」

「…………ナルシストみたいに自画自賛するつもりは無いけど人並みに良い方だとは思う」

「そうだな。お前の容姿は悪くない。いや、むしろ良い方だ。10人居たら10人振り返るくらいに容姿は良い。けど――――」

 詩音は懐から手鏡を取り出して、鏡面を僕に見せる。

「容姿は良くても女性的だからなお前」

 腰まで伸びた癖っ毛一つ無い漆でも塗りたくったかのような黒い髪、肌荒れ知らずの水すら弾く潤い素肌、そして非常に整った容姿。

 鏡に映った自分の顔は、一見美少女にしか見えなかった。

「この容姿だから。お前と一緒に居たらプライドをゴリゴリと削られまくるぞ」

「まぁ…………それは、うん」

 産まれた時からこの顔を見ている僕でも、これじゃあ女の子にしか見えないのだから他者から見ればどう思うのかは火を見るよりも明らかだ。

 正直な話、これに関しては文句は何も無い。

「で、でも全ての女の子がそういうわけでも無いじゃん」

「そうだな。でもお前の場合それ以外の要素が原因でモテないんだよ。容姿が原因の1割だとするなら性格の方は9割だしな」

「それって今した話の方が無駄だったって事じゃないか」

「一応話しておく必要があると思ったからな。で、これから9割の方を説明するんだけど…………なんて言ったら良いのかな。女の子側は慰めてほしいのにお前は直接元凶を潰しに行って、本人が求めているものと違う事をやる…………ああダメだ。全然上手く説明できない」

 言い辛いのか、それとも説明し辛いのか、詩音は酷く困った表情を浮かべる。

 親友がそんな顔をするなんて僕のモテない理由ってそこまであれなのだろうか?

 何か聞くのが怖くなってきた。

「正直な事を言うとお前って感性がズレているからな。良くも悪くも普通じゃない」

「そう? 確かに自分でも少し変わっているとは思うけど」

「少しどころじゃねぇよ。普通の人間は刀片手にヒグマを仕留めて来るなんて言って山には入って行かないんだよ。あの時は嫉妬に狂い過ぎて本当に頭壊れたんじゃないかと思ったわ」

 溜め息交じりにそう言い放つ詩音の言葉に僕は思わず顔を顰める。

 狩猟はお爺ちゃんから教わった僕の数少ない趣味の一つだ。流石にそれで文句を言われるのは頭に来る。

「銃の免許持ってるなら銃を使ってるし、刀だけで仕留めてるわけじゃないよ。ちゃんと罠だって使ってるし、仕留めた獲物は残さず全部利用してるよ」

「そういう事を言ってるんじゃ無いんだけどなぁ。少し質問するけど、ヒグマを狩る時はどんな気持ちでやってるんだ?」

 詩音の質問を聞いて少しだけ考え、そして答える。

「どんな気持ちって…………スリルがあって楽しいって思ってるよ」

 そうじゃなきゃ日本刀を片手にヒグマと命のやり取りをするわけが無い。

 野生動物を仕留める時、罠にかかっていても油断する事は出来ない。罠を外される可能性だってあるし、どれだけ可能性が低くても生き残る為に何でもやる。

 慢心していなくても此方が怪我をする可能性だってあるし、最悪死ぬかもしれない。少しの判断ミスで致命的な失敗をするかもしれないし、判断を間違えなくても取り返しのつかない事態になるかもしれない。

 だからこそ面白いんだ。

 自分の命が掛かっているからこそスリルがあって、嫌な事だって忘れられるから。

「…………やっぱりお前って顔に似合わず蛮族だよなぁ。いや、鎌倉武士の方が近いか? どっちにしろ、もっと昔の、それこそ戦国時代にでも産まれてた方が幸せだったと思う。本当に現代社会で産まれた事自体が不幸だ」

「流石に人と命のやり取りをしたいわけじゃないんだけど。てか事前にそういう事を言われると覚悟してたけど本当に失礼な事しか言わないなお前」

「いや、親友として断言する。お前はそういう奴だよ。お前がモテないのってそういうところが原因なんだぞ」

「なん…………だと…………? え、マジで?」

「マジマジ。校舎にヒグマが現れた時あっただろ。あの時お前嬉々として木製のモップを持って外に出てってヒグマを殺して、その後家庭科室の包丁を使って解体しようとしていたところを生徒全員が見てるんだぞ? ちょい悪の不良なら兎も角、猛獣と笑顔で殺し合っている奴と誰が付き合いたいって思うんだよ」

 自分がモテないその理由を聞いて言葉を失う。

 確かに言われてみれば学校内での僕の扱いって腫物を通り越して恐れられていた。

 教師はおろか校内の問題児や不良でさえ僕の事を見れば怪物でも見るような視線で避けていた。唯一避けていないのは詩音だけだった。

「…………もしかして僕ってヤバい奴扱いされてる?」

「どっちかつーと人でなしだな。性根が善性でポンコツだから許されてるだけだな」

 その言葉を聞いた瞬間、僕は顔面をテーブルに叩き付けた。

 周囲から何事かと再び此方に視線を向けられるが、今の僕には全く気にならなかった。

 本当にどうして今まで気付けなかったのか。鈍感にも程があるだろう。

「鈍感ってかそもそも人間に興味が無いんじゃね?」

「興味無かったら女の子と付き合いたいだなんて言うかバカー!!」

 本当にこいつ親友なのだろうか、さっきからあまりにも辛辣過ぎる。

「まぁ、でも…………お前の場合今のままで良いのかもな。恋をすると人が変わるって言うし、お前の場合余計に悪化しそうで怖いから。マジで性質の悪いラスボスになりそうだし」

「本当に辛辣過ぎるよ! 怒りを通り越して死にたくなってくるわ!」

 心を滅多打ちにされた僕はいつの間にか両目から涙を流している事に気付く。

 まさかここまで懇切丁寧に自分が女の子にモテない理由を説明されるとは思わなかった。

「うぅ…………でも、まだ詩音とバカ騒ぎ出来るだけマシか」

「あっ、ゴメン。オレ今日彼女と一緒に過ごすから無理」

「はっ?」

 詩音の言葉で僕の心は一瞬で沸騰した。

 何だ、今、こいつ彼女という単語を言わなかったか?

 言ったよな、言ったよね、言ったぞこいつ…………彼女が出来ない僕の前で――――ッ!

「へー…………彼女さんと過ごすんだ。どんな人か気になるなー」

 刀が入った刀袋に手を伸ばしつつ詩音に問いかける。

 すると詩音は満面の笑みでスマートフォンを取り出した。

「この娘だよ」

「どれどれ…………えっ?」

 詩音のスマートフォンに映った人物を見て思わず凍り付く。

 画面に映っていたのは一人の可愛らしいの子だった。そう、女の子である事は間違いない。

 ただ一つ、この女の子はとても幼く、幼稚園児が着るようなスモックを身に纏っていた。

「あ、あの詩音くん? 詩音さん?」

「実はさ。ついこの前この娘から告白されてさ。今日一緒にクリスマスパーティーをする予定なんだよ。だから今日はこれで御開きにしたいんだけど」

「いや、それは良いんですけど…………」

「悪いな輝夜! 今日はオレが奢るから! さて、早く帰って料理を作らなくちゃ! 喜んでくれると良いなぁ!!」

 そう言いながら詩音は舞うようにしてテーブルから離れて店から出た。

 僕はその後ろ姿を眺め、何とも言えない気持ちになる。

 親友が先に彼女を作っていたという裏切られたかのような強い衝撃、親友がロリコンだったという事実、恋を知って変貌を遂げてしまった親友の変わり果てた姿、そしてそんな親友の姿を見て祝福したいという思いと憎いという思い。

 様々な要素が絡み合い情緒がぐちゃぐちゃにされた僕の相貌から熱い液体が零れ落ちる。

「お客様? 大丈夫ですか? 両目から血涙が流れておりますが…………本当に大丈夫ですか!?」

「はい…………何とか大丈夫です。大声を上げたりしてすみませんでした」

 心配してくれている店員と此方を見て戸惑っている客の姿を尻目に、僕は刀袋を手に持ち店を後にする。


   +++


「何が恋をしたら人が変わるだよ馬鹿野郎。お前が一番おかしくなってんじゃねぇか」

 自宅に向かう帰路につきながら、ようやく正気を取り戻した僕は既に立ち去ったペドフィリアにそう吐き捨てながら虚な足取りで街を歩いていた。

 なんというか、色々とショックだった。

 親友の変わり果てた姿とか、自分がモテない理由とか。

 僕も色々と普通じゃないけど、あのペド野郎に比べれば遥かにマシな気がする。

 でもあんなのと競り合っている時点で滅茶苦茶死にたくなってくる。

「もう、なんか色々と疲れたしどうでも良いや…………」

 そう言って刀袋を持ってない方の手に持った荷物に視線を向ける。

 袋の中にはホールのクリスマスケーキと結構な大きさのローストターキーが入ってる。

 今年のクリスマスは一人寂しくこのご馳走を貪るしかやる事が無い。一人で食べるには量が多過ぎるが、残したら明日食べれば良いだけ。何よりやけ食いでもしなければ気が済まない。

 本当に自分のことながら寂しいクリスマスになりそうだ。

「いっそのこと世界が滅びないかな? もしくは異世界にでも行きたいなー」

 胸の内から沸き上がるどす黒い感情に任せて脊髄反射で呟きながら歩く。

 そしてふと空を見上げ、身体が凍り付く。

「何…………あれ?」

 空には大きな裂け目が発生しており、その裂け目の向こう側は真っ暗になっていた。

 雲が裂け目のように見せているというわけではない。明らかに裂けていた。

 そして、その裂け目が僕の事を吸い込み始めた。

「えっ、うわぁあああああああああ!!?」

 僕の身体は重力に逆らって宙に浮き始める。

 抵抗する事はおろか身動き一つ取ることすら出来ない。

 何が起きたかを理解する間も無く、僕の身体は裂け目の向こう側に吸い込まれた。

 そして、気が付けば森の中に投げ出されていた。

「いつつ…………ここは」

 何処だろうか、そう口に出すまでも無く理解する。

 見たこともないような木々や草花といった植物。

 そして空に浮かぶ2つの月。

 日本はおろか地球上の何処に居ても見る事が出来ないだろう神秘的なその光景は、僕にここがどういった場所なのかを強制的に理解させる。

 あの裂け目に吸い込まれた結果、異世界に来てしまったのだという事を。

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