第二幕:怨念の暗闇②
☆ ★ ☆
天晴の予想通り半刻ほど進むと、小川が流れていた。
川幅はさほどなく、水深は膝下程度。水は冷たく透き通っていた。
絶が丁度良い大きさの岩に腰を下ろし、一息ついていると、水面を滑る冷たい風が顔に当たって心地いい。耳を隠すために被る頭巾を取れば、川のせせらぎや木々のざわめきが一層聴こえてきて気持ちを落ち着かせてくれる。
横を見れば川原の石を組んで焚火が作られており、その周りを囲むように天晴が捕まえた魚が枝に刺されて火に当てられていた。香ばしいにおいが漂ってきて、思わず腹が鳴りそうになる。
「んむぅ。生き返るな!」
そこから少し離れた川の中。着物をはだけ、上裸の天晴が、湿らせた手ぬぐいで体の汗を拭っていた。
彫刻のような筋骨逞しい肉体には、大小さまざまな傷跡が浮かびあがっており、その背には一層大きな裂傷の痕が見える。彼のこれまでの人生を物語っているようだった。
「何を見ている?」
天晴の問いかけに、自分がつい体に見入っていたことに気付いて、絶は赤面して慌ててそっぽを向く。
「お、おぬしでもそれほど傷を負っておるのだな、と思ったのだ」
最初は言葉の意図が分からなかったが、天晴は自身の傷痕に目を落とすと快活に笑う。
「そりゃ、傷ぐらい付くさ。こんなもん(刀)を振り回す生き方をしてるんだ」
焚き火の脇に置かれた無明を指して言い「それに」と続ける。
「物心付く頃から剣術を叩き込まれてきた」
「確かに、おぬしほどの腕前は一朝一夕ではなかろうな。さぞ厳しい修練をしたに違いない」
「人並みよりは、頑張ってたな」
「うむ。武士の子であれば当然の役割じゃな。兄上達もよく稽古に励んでおったな」
懐かしむような、そして少し物寂し気な声で絶は目を伏せる。
気持ちが沈みかけていると、絞られた手ぬぐいが飛んできた。ギリギリを通過したので、バランスを崩し、もう少しで岩から川へ落ちそうになる。
「いきなり何するんじゃ!」
人がしんみりとしている時に水を差すなど無粋にも程がある、と絶は投げてきた天晴に牙を剥く。が、当の本人はカラカラ笑うだけ。
「辛気臭くなっているからだ」
「だからって、投げつけることはなかろうが」
「当たらなかったろ」
「そのような問題ではないのだ! 他人に物を投げるなと申しておるのだ」
「すまんすまん」とまったく気持ちがこもらない謝罪を口にしつつ、天晴は川から上がり着物を着直して外套を羽織る。
「おお、見ろ絶よ。いい塩梅に焼けているぞ……いや、ちょっと焼きすぎたか? まぁいい」
ドカリと腰を下ろしてやや黒く焦げている魚を火から遠ざけてから一尾にかぶりつく。
未だに納得のいかない絶はしばらくその様子にジト目を向けるが、一切効果がないことに諦めて天晴のそばに腰を下ろして一尾受け取る。
彼の言う通り、やはり少し焦げており、苦いが食べられないほどではない。
「うまいな!」
「そうか? 少し苦い」
「この味は、童には分からんか」
「焦げておるだけであろうが!」
「細かいことを言うな。お前の悪い癖だぞ」
「いや、細かくはないだろ」
「では、お前の分はいらんのだな」
「それとこれとは話は別じゃ」
絶の魚も取ろうとする天晴に、急いで自分の分を確保して食べる。不思議なもので、食べ続けていると美味しく感じる。確かに焦げてはいるがいい塩加減だ。
「さて、腹ごしらえをしたら、出発するかね。先はまだ長いんだ」
黙々と食べる絶に笑みをこぼしながら、天晴は煙管を取り出し、火を入れて咥える。大きく吸い込み、そして大きく息を吐き出した。
「圷峠まで、どれほどかかりそうなのだ?」
「さぁな。いくつか大きな町や村を経由しなければいかんだろうし、追手にも警戒が必要だからな」
追手の単語に絶の顔は曇る。空蝉のような強敵との戦いがまだ控えているだろう。そんな死線をこれからいくつ越えて行けばいいのか、そう考えただけで気が滅入る。
「なぁ、今回の一件が終わったら、お前は何をしたい?」
突然の問いに、絶は面食らい「は?」と漏れる。
「いやな。人間、未来に希望があると自然とやる気が出るもんだろ?」
「そう、じゃな。やりたいことかぁ……父上や兄上の葬式をする暇がなかったから、しっかりと弔ってやりたいのう。母上は酷く傷ついておるやも知れぬから、湯治の用意もしたいの。あと、天狐の郷も……」
「待て待て! もっと自分のためにしたいことはなのか?」
「そうは言うがな。おぬしはどうだ?」
「俺か? いろいろあるぞ。まず、うまい酒を飲む。腹いっぱい飯を食う。温泉にもゆっくり浸かりたいな。この篁の名所をのんびりと見て回りたいし、女も……」
最後はごにょごにょと言葉を濁す。
「なんじゃ、刹那的な快楽ばかりではないか!」
「それくらい気を抜いて考えた方が楽しい」
「気を抜きすぎじゃ。そんなんだからフラフラと浪人をして、嫁にも逃げられるのだぞ」
「自由に生きて死ぬのも一興だ」
「そんな自由はわしにはない」
「いいからやってみろ。考えるだけなら、バチも当たるまい」
納得のいかない顔だが、絶は言われた通りに思いを巡らせる。
自分が五百旗家の役割も、天狐族の立場も、何にも縛られない存在なら。全ての問題が解決し、自由に動けるとしたら……。
「そうじゃな~。わしも篁藩を気ままに見て回りたいかのう。いや、篁だけでないぞ。都にも行きたいし、他の藩にも行ってみたいな。ほら、宿場の飯屋でおぬしが、いろいろと旅の話をしてくれたであろう。わしも見てみたい」
そう話す絶の顔は多少なりとも、先ほどよりも和やかで明るい。屈託なく笑う姿は、無邪気な子供そのものだった。
それから絶の口からは次々とやりたい事が溢れてくる。
それをうんうんと煙管を燻らせながら天晴は聞いていると、不意に話が止まる。見れば、絶はやや神妙な面持ちで何かを考えていた。
「どうした?」
「いや、いろいろと話したのだが、それよりも真っ先にしたことがあったと思い出した」
絶はゆっくりと溜めてから口を開く。
「柔らかい布団で寝る」
確かに最近は地面や、良くても固いせんべい布団で寝ている。絶には死活問題なのだろう。
真面目な表情で訴える絶に、天晴は「確かに」と声を上げて笑った。
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