第二幕:怨念の暗闇①

第二幕:怨念の暗闇



 宿場から逃げるように出た天晴達は、大きな街道を避けた。

 山間の細道や獣道、時には険しい道なき道を進むこともあり、歩く速度は当然落ちたが、追手に見つかる様子もなかった。

 深い森の中。

 木々の幹や剥き出しの根、岩にはコケが生えており、滅多に人は通らないことは見て分かる。足元が滑りやすく、ひとたび足を取られれば斜面を転がり落ちてしまうだろう。

 郷育ちの絶は、最初こそ揚々と岩や根に飛び乗って移動していたが、さすがに疲れたようで肩で息をしながら形のいい顎から汗が滴り落ちる。

「ほらみろ。調子に乗ってるから疲れるんだぞ」

 少し後ろから地面を踏み鳴らすようにしっかりと足を据えて移動する天晴は涼しい顔をしながら、呆れ気味に軽く咎めた。

「疲れてなどおらぬ!」

 気丈に答えるが、その声には元気はない。

「強がるな。空気のにおいからして、少し行けば川がある。そこで少し休むか」

「休まずとも問題ない!」

「俺が休みたいんだ。それに、休息を甘く見るな」

 天晴の指摘に、絶は「うむ~」と間の抜けた声を出しながら『仕方がない』感を出す。

「まぁ、おぬしがそこまで言うなら、その川で小休止もまんざらでもないな。して、その川まではどれくらいかかりそうなのだ?」

「さぁな。半刻(三十分)……ぐらいかな」

 思わず絶の口から「えー、半刻も……」と小声が漏れる。眉はハの字に傾き、後ろから見ても落胆したのが分かった。

 体力的には限界なのだろう。

 しかし、山道に入った時に「わしは郷育ち故、このような道は朝飯前じゃ」と大言した手前、簡単に根を上げることはできなかった。

 絶が足を止め、息を整えていると、足元や周囲に動く影かいくつも現れる。

 目を凝らせば小さなのっぺりとした物であったり、人型のものもあれば、虫のような足のあるもの、帯状になって宙を飛ぶものなど様々だ。

「おお、魍魎(もうりょう)か」

 驚く絶に、天晴も気付いて感嘆の声を上げる。

 これらは特に害のない存在であり、古い建物や街、森、夜道などで稀に見ることがある。しかし、これほど大量に現れるのを見たことは天晴にはなかった。

「魍魎……郷では『原始の者』と呼んでおったな」

 そばを飛ぶ魍魎を払いながら、絶が説明した。

 魍魎は場所に沈殿する力の欠片が形を成した物。強い妖力に反応して姿を現し、近づく習性があり、力を取り込むことで妖へと変異することもあるという。

「郷におった時は、よく母上の周囲に集まっておるのを見たことがあるぞ。何せ、母上は里で最も力を持った妖狐だからな」

 母親の話のためか、少し得意げな様子だ。

「さて、息も整った。行くぞ!」

 周囲の魍魎に気を留めることもなく、絶は再び歩き出す。

「大丈夫か? お前ぐらいなら負担にならんから、背負ってやろうか?」

「な、馬鹿にするでない! そのような真似ができるかぁ」

 突飛な提案に泡を食ったことで足を滑らせが、転ぶ寸前でその腕を天晴に掴まれ助かった。

「ほれ、転んで怪我でもする前に」

「絶対に嫌じゃ! 誇り高き武家の者がそんな無様な姿を見せられるか」

「廃寺で倒れた時はおぶって運んでやったろ」

「あの時はあの時じゃ」

 絶は頑なに拒むので、天晴も無理強いはできない。

「分かった分かった。では、手ぐらい貸すのはいいだろう?」

「それも必要ない」と絶は差し出される手を払いのけて頭を振る。

「大丈夫と言うておろうが。これ以上、おぬしに手間をかけさせたとあっては、武家の者として顔が立たぬ」

 ふんすふんす、と荒い鼻息を漏らしながら斜面を上がる絶に、天晴はため息を漏らす。

「絶よ。足手まといになりたくないと思うなら、もっと他人の手を借りることを学ぶべきだぞ。武家の誇りだの、童の意地のせいで無理される方が迷惑ってもんだ」

「それでも、意地を突き通すことが武士道というもの」

「馬鹿。お前は武士ではないだろ。それに、童が一端なことを言うなど十年早いわ」

「武士でなくとも、五百旗の血を継ぐ以上、多大なる責任があるのだ」

 嫌味を言われたことで、絶は不機嫌そうな目で振り返る

 その瞳にはいろいろな感情があると、天晴には分かった。目の前の小さな体には、様々な重責が圧し掛かっている。肉親の死から始まり、裏切り、郷の惨劇、母との別れ、藩の危機……。今にも弾け飛んでしまいそうなほどに、絶はいっぱいいっぱいなのだろう。

 武家の誇りや武士道などという建前で、自身を律することが、絶の心を苦しめていると同時に守っているのだ。

 それは分かっている。分かっているが幼気な姿を見ると、天晴の気持ちはモヤモヤする。

 とはいえ、絶は強情だ。

 小さく息を吐くと、天晴は転がっていた枝を手に取り、無明の鞘に収められる小柄で手早く体裁を整える。

「なら、ほれ。これくらいなら良いだろ」

 即席の杖を手渡す。絶はそれをしばらく見つめていたが「他人の好意を無下にするのは、失礼に当たることだろ?」との天晴の指摘にやや唸り、受け取る。

「俺は別に、お前の考え方に文句を付けたいわけじゃない。ただ、もっと俺を頼れ。そのために雇われたんだからな」

 絶は恥ずかしそうに顔を伏せて、消えそうな声で礼を言う。そして、顔を上がる頃には、気持ちを切り替えたように明るさを取り戻していた。

「うむ。確かにそうやも知れぬな。だが、やはり頼りすぎてはならぬ。さぁ、川までもうひと頑張りじゃ!」

 気合を入れて、軽快に足を動かす絶の背をしばらく見つめ、天晴も後に続いた。

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