第四幕:白面の亡霊④
三
山道を進んだ分かれ道で、錬は絶らと別れて寺へと戻ることにした。
思ったよりも時間が経ってしまったため、住職や師匠が心配しているかもしれないからだ。
一人で岐路に着きながら、未だに混乱する頭を整理する。
絶が玉櫛の君の子であり、五百旗家の血を引く存在で、律は護拳の一人。
彼女にとっては二人とも雲の上の人だった。話しぶりや会話から身分が高いとは予想したが、それを上回ったので帰り道はぎこちない敬語になっていた。なので浪人と名乗った天晴だけは、妙に落ち着けた。
凄い人達に会った、と苦笑して寺への階段を駆け上がる。
「え?」
ようやく絞り出た言葉が、これだった。
寺が破壊されている。何とか崩れてはいないが、柱は折られ、床や天井にも亀裂が。
そして、さらに異様なのは庭の真ん中に、全身甲冑に身を包む武人が佇んでいること。
一切、肌の露出のないその武人は、見上げるほど大きく、まさに鋼鉄の小山が動いているような錯覚をする。
「ここにキツネが逃げ込んだと聞いた」
甲冑の隙間から籠った、作られたような声が発せられる。
明らかに普通の武士ではない。逃げなければいけないと頭では分かっていても、自分の体ではないように腰が抜けて動けなかった。
寺にいた者は一カ所に集められており、怯え、身を寄せ、小さくなっている。その中にいる住職は、かなり手酷くやられたようだ。
「あ、あの!」
自覚するよりも先に声が出ていた。
ここの者は錬にとって家族も同然。それをこれほど痛めつけられて、見なかったフリはできなかった。
「わ、私は天狐族です。ここの方々にこれ以上手を出すのは……」
「キツネを含む三人組の旅人が来たと聞いたが……お前のことか?」
「あー……いえ、それは」
歯の根が合わず、うまく声が出ない。
錬の頭には、先ほど別れた絶達のことが思い出される。
相手の狙いはおそらく彼らだ。
いっそのこと素直に話せば、そちらを追いかけてくれるのではないか。
ここを守りたい、助かりたいとの気持ちから、様々な考えが浮かんでは消えを繰り返す。
「あ、あのですね……」
「さっさと答えよ」
無機質ながら苛立った語気がある。
錬は唇を舐めた。
「ここには私、だけ……かな~」
完全に裏返った声が喉から出た。
武人はしばらく錬を見下ろす。信じているとも思えないが、どうでもいい、と首を振る。
「くだらん。なぜ我(われ)がこのような雑務に力を出さねばならないのか」
そう言うと両腰に帯びた大刀の一本を引き抜く。
「どちらにせよ、キツネは殺さずに連れていくよう言われている。ゆえ、逃げないよう。足だけ斬り落としていく」
「わ、わたし、逃げませんよ!」
「ああ、それはそうであろうな。逃げるのは愚かな行為だ」
まったく聞く耳を持たない武人は刀を振り上げる。
ああ、これはだめだ……。
涙目になる錬は、心の中で諦めた。
刹那、武人は周囲の地面より現れる鎖に絡め取られ、拘束される。
「なんだ?」
驚いた口調とは裏腹に、甲冑が膨らみ破裂。その力で鎖を引き千切る。
背後から飛び掛かっていた天晴だったが、弾き飛ぶ甲冑の破片に慌てて身を翻して避けた。
「んむぅ」
一旦距離を取る天晴の口から、感嘆の声が漏れる。
「何者だ?」
そう誰何する頃には、武人の甲冑は元通りになっている。
「ここの者に一宿一飯の恩がある旅人だ」
「安い恩で死ぬことになるぞ」
「恩をないがしろにして旅などできん」
互いに間合いぎりぎりの距離で構える。
「そこの武者よ。女子一人に刀を使うなど不届き千万!」
門の所に立つ絶は、極力自分を大きく見せるためできるだけ胸を張っている。
「錬よ。こちらへ」
絶に言われ、ようやく動くようになった錬はへっぴり腰になりながらも、絶の元へ。
「絶様。戻ってきてくれたんですね!」
「当然じゃ! 嫌な予感がしたのじゃ」
感謝で泣きつく錬に、絶はふんすと得意げだ。
「絶……絶……ほう」
武人が何かに気付いたように呟く。
「あの郷から逃げた半妖か。それで、お前が護衛……」
武人は天晴に視線を向け笑う。表情など見えないのに、明らかに笑ったのが分かった。
「空蝉を斬ったサムライがいると花村の報告にあったが。お前のことか」
空蝉や花村玄斎の名に絶と天晴の顔は引き締まり、身構える。
「まだ生きている所を見るに、花村も討たれたか」
「双木では、さらに一人な」
実際は皇羽が倒している。
「面白い。我は烏夜衆が一人、豪刹(ごうせつ)」
豪刹と名乗った武人がもう一本の刀を引き抜き、両手に刀を持つと、場の空気が一層張り詰め、圧し潰されそうな殺意が支配する。
「キツネ二匹に半端が一匹。殺生石も手に入り、おまけに強者と死合えるなど。これほどうれしいことはない」
大きな体が一層膨れ上がったように見える。
「我は、己が力を試すことが好きだ。空蝉ほどの実力者を倒したとあれば、相手にとって不足なし! 参れ!」
罠ではないと断言はできないが、豪刹の剥き出しの闘志を見る限り、嘘を言っているようには見えない。
「住職。すまないが、他の者を連れて、少し離れていてくれ。騒々しくなる」
天晴に言われ、住職は傷ついた体に鞭打って、怯えて震える者達に指示を出し、寺の裏へと避難する。
「ここの者達を守りたくば、我を倒していけ。正々堂々などと言わず、二人同時でもよいぞ。最も、キツネが何匹いようが、数には入らん。郷の連中を見れば分かる」
その言葉に律の毛が逆立つ。
「あまり舐めるなよ。鉄屑が!」
「分かりやすくて良いな。ならば……お言葉に甘えて!」
言うやいなや、律と天晴は同時に前へと出た。
天晴と律は初めてまともに共闘するが、互いに相手の動きに合わせて動く。さすがに阿吽の呼吸とまではいかずとも、それなりに連携の取れた行動だ。
左右に分かれた二人は挟み込むように豪刹を責める。互いの邪魔にならないよう、タイミングを少しずらし、攻める角度や踏み込む位置も片方に気を取られると敵の視界に入らない絶妙な場所だ。かなりの達人であっても、この連携からの攻撃を防ぐことは難しい。
それを理解してか、豪刹は小さく笑うと、一歩も動くこともなく、完璧なタイミングと仕草で二人の攻撃をいなした。
そして、鋭い反撃。両の手に握られた大刀はまるで棒切れのように軽々と振り回された。轟音を立てる刃は正確に天晴と律を襲った。その剣風は周囲を根こそぎ抉る勢い。刀で受けたら、恐らくはそれごと肉体を叩き切られるだろう。
天晴はギリギリの動きで迫る凶刃の軌道から僅かに体をずらして避け、そのまま相手の小手、それも継ぎ目の場所を狙い斬りつける。一方の律は、脳天に迫る刃が触れる寸前で身を捩り回避しながら、逆に懐に飛び込んで顎を鉄甲で突き上げるように打ち抜く。
結果は二人とも、思っていた感触とは異なるもの。
天晴の刃は小手の継ぎ目に通らず弾かれ、律の鉄甲は振り抜かれることなく止まる。
予想外に、少し驚きながらも一旦距離と取ろうとした二人だが、豪刹の追撃は止まらない。まるで暴風のごとく剣舞は的確に襲い掛かってくる。卓越した反応速度を持つ二人でなければ、とうの昔に命を落としている。
何度目かのヒヤリと背筋に冷たい汗が流れた時、ようやく反撃のチャンスが訪れた。
太刀筋の甘い一撃を、律は小さな挙動で刀の軌道をずらし、力をそのまま利用して石畳に落とす。さらに掌底を刃の腹に叩きつけることで、へし折った。
その様子に豪刹は唸りながらも、もう一方の大刀を振り上げる。
が、軽い衝撃と共に、振り上げた手から大刀がすっぽ抜けた。
天晴の鋭く正確な突きが、豪刹の振り上げた手に握られる大刀の柄頭を射抜いていた。
驚嘆の声が豪刹から漏れた時には、天晴の無明の鞘がその兜と面頬にめり込む。威力に堪らず、兜の前立てに亀裂が走る。
天晴と入れ替わるように、律が相手の懐に入り込むと十分に腰を落とし、力を溜めて鉄甲による強打を見舞った。
激しい衝撃音はその威力のデカさを物語る。
さすがの豪刹の巨体も後方へ一瞬浮かび上がり、よろめきながら後ずさった。
大きな凹みに亀裂が入るも完全には砕けない。途轍もなく頑強な鎧だ。まともな製法で造られた物ではない。だが、どれほど防御に優れようとも、衝撃までは防ぎよきれない。内部の肉体は間違いなく破壊されているはずだ。
動きの鈍った豪刹へ、好機とばかりに二人は踏み込もうとしたが、天晴は背中の毛が逆立つのを感じる。これは警戒すべき予兆だ。
豪刹の背中が大きく開かれたかと思うと、中から大量の刀を生えた。
天晴は強引に踏み止まり、隣の律を巻き込んで飛びのく。時を同じくして、豪刹は背中の刀を掴むと振り下ろした。標的がいなくなった刀は、そのまま近くの大岩を砕く。
その衝撃は大地を揺らし、周囲の木々をざわめかせるほど。
「よう、避けた」
両手に刀を構える豪刹は、嬉しそうに言う。
「おいおい、一体、どういった身体の仕掛けなんだ?」
大量に生えた刀は、例え内部が空洞であっても入りきらない。それに、先ほどの攻撃でダメージを受けている様子がない。
「殴った感じだが、鉄甲に籠めた法力が内部に伝わらずに表面を流れた。鎖を千切った時と言い、ただの鎧ではない」
律は妙な手応えに眉を顰めて言う。それに豪刹は声を上げて笑った。
「当然だ。我が鎧は永続化された式型鎧『鳳』。あらゆる力道の攻撃に対して耐性を持つ。だが……キツネよ。こいつに亀裂を作るとは、良い打撃を持っている」
豪刹が感心しながら鎧を摩ると、亀裂が消え、凹みが直る。
高い防御力に、自己修復まで備わっているらしい。
「こいつは、大筒がいるな」
天晴はニヤリと片笑むと、視線を律と絶に向ける。二人はしばらく考え、意図を理解したように頷いた。
そして天晴と律は合わせたように動く。正面から堂々と、だ。
「真っ向勝負とは潔し!」
豪刹は声を張り上げ、間合いに入った瞬間、怒涛の剣舞。剛腕に任せて振り抜きながらも、その狙いは正確。
息もつかせない猛攻を避ける二人だが、次第に追い込まれる。
受け流し損ねた律の胸の皮一枚を切っ先が通り過ぎた。大した傷ではないが、それでも派手に血が噴きあがる。
歯を食いしばる律のカウンターが兜の面頬にぶつかる。
だが、怯まない。
そこへ、天晴が懐に飛び込むと、無明の鞘による強烈な突き。
さすがの巨体も浮かび後ずさるも、大しただイメージではない。
「笑止!」
豪刹の嘲笑を含んだ言葉と共に振り下ろされる刀。しかし、それが天晴へ届くよりも前に、無明の鞘が火を噴く。薬式銃の弾は爆炎を上げて豪刹の体を吹き飛ばす。
「小癪なマネを!」
数度転がり、体勢を整えたそこは鐘楼。釣鐘の下。
「この程度の火力で、砕けると……」
最後まで言い切ることはない。
絶が指で『窓』と作っていた。
「わしが大筒じゃ。
業火灰塵。一切と残さず。『火産霊(かぐつち)』」
絶の言葉を放つと、豪刹の周囲に膨大な炎の塊が現れた。その業火は、ただの火ではない。意志を持っているかのようにあらゆる物を飲み込もうと浸蝕していく。まるでその炎そのものが、生物であるかのように。
しかし、それが見えたのは一瞬のこと。封殺縛鎖が鐘楼の柱に絡みつき、律がその鎖を強引に引いて柱を倒したことで、豪刹の真上に釣鐘が落ちた。
火産霊と共に閉じ込められた豪刹に助かる手はない。
「見たか! これがわしらの力よ!」
拳を握る絶。そして、その隣で「この人たち、化け物みたいにめっちゃ強いじゃん」と若干引きながら吐露する錬だった。
「絶様。お身体は大丈夫か?」
火産霊の負担を知っている律は、絶の体を支えるように駆け寄り訊ねる。ただ、これまでのように気を失うことはなく、微かに笑顔を見せる余裕すらあった。
「うむ。厳しいが問題はない。やはり旅の中で体が慣れてきたのやもな」
肩で息をする絶に、律は釈然としない顔をするが、それ以上は何かを言うことはなかった。
その時、釣鐘が甲高い音を立てる。それは内部から。
耳がおかしくなりそうな音を数度立てて、ついに砕かれる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます