第二幕:守護縛鎖の拳②

   二 


 店から出た二人は、活気のある大通りを歩きながら、今後の道程で必要になる物を買い揃える。

 圷峠は双木よりも藩の内側にあるため、五百旗家分裂による影響は大きいだろう。烏夜衆だけでなく、泰虎派の目も増えてくることを考えれば、これまでのように安易に街や村へ立ち寄れなくなる。

 野宿することもあるだろうし、山を越えることもあるかもしれない。

 天晴は懐の銭を考えながら「うむ」と顎を摩る。贅沢はできない。元より一人旅のため、さほど手持ちはない。

「まぁ、何とかなるか」

 いざとなれば、芸でも披露して日銭を稼げばいい。

 ふと、絶が静かなことに気付き、視線を向ける。

 そこは通りの端で開かれる露店の一つ。器や雑貨、人形などの工芸品が並べられており、囲んでいる旅の者や商人、町娘や子供らに紛れて、絶も物珍しげに覗く。

 その中で、漆絵塗りのつげ櫛を手に取り、眺めていた。

「なんだ櫛が欲しいのか」

 声をかけられ、驚きすぎて手に持つ櫛を落としそうになる。

「あ、いや見ておっただけだ!」

「髪の手入れは大事だからな。お前専用の物があってもいいだろう」

「これは女用であろうが。なぜ、わしが使わねばならぬのだ。見ておったのは……母上に似合うと思ったのだ」

「そうかいそうかい。なら母に買っていってやれ」

 そう言って絶の手からつげ櫛を取ると、絶は目を輝かせる。

「買ってくれるのか!」

「圷峠でお前の叔父上にまとめて請求するがな」

 天晴の返答に「あっそ」とあからさまに幻滅する。とはいえ、買って手渡す頃には嬉しさを隠しきれないようで、ホクホクした表情で露店を後にする。裾で隠れているが、それでも尻尾が揺れているのが分かる。

「そういえば、そなたに言われて髪の手入れをしているせいか、最近はやけに妖力の溜まりが早くなったように思うのだ」

 宝でも持つように櫛の袋を抱える絶が思い立ったように話す。

 玄斎との戦いの時も妖力が暴走した。これまで、そんなことはなかったという。

「確かに、あの時の狐火は前に見たものよりも凄まじかったな」

「うむ。わしは半妖ゆえ、これまで妖力が溜まりにくい体質と言われていたのだが……」

 妖狐やオニをはじめとする亜人には、『狐火』や『剛磊』といったそれぞれの固有能力が存在する。その使用に必要なのが妖力だ。そのため、固有能力を一切持たない人間に妖力はない。代わりに、精神力から生まれる胆力を練ることを得意とし、法力や神通力などに転用する。つなみに、気迫などによる威圧は、胆力の放出によるものだ。

「どうだろうな。髪に力が宿るとは言ったが、それだけでそれほど変わるとも思えん。危機を乗り越えたことによって、お前の能力が上がったのかもしれん」

 筋肉や勘と同じで、使うほどに強化されるものだ。

「まぁ、そうかもしれぬな」と曖昧に絶が答えると、隣から「んむぅ」と独特のため息が聞こえる。

「どうしたのだ?」

「先ほどから、サムライに見られている」

 こっそりと絶が視線を送ると、少し離れた場所に身なりの良いサムライが訝しげに天晴らを見ていた。

 間違いなく見ている。

「て、敵か?」

 慌てて視線を戻し、小声で訊ねるも天晴は小首を傾げるだけ。

「どこかで見た気もするが、篁のサムライに知人はいないしなぁ。お前は、見覚えはないのか?」

「わしは長く天狐の郷におったのだ。サムライに詳しいわけ、なかろうが!」

 なぜか得意げに胸を張ってみせる。

 しばらくそのサムライは二人を見ていたが、そのままどこかへと消えてしまう。

「何だったのだ?」

「分からんが、厄介事に巻き込まれても面倒だ。裏を通って、宿に置いた荷物を取りに行くぞ」

「双木では、少しゆっくりしたかったのぉ」

 そう言って、人波を潜って路地へと入った。

 いかに栄える双木と言えど、路地に入れば人通りもない。入り組んだ道をしばらく進めば、人影はなく、遠くで聞こえる喧騒が幻のように思える程だ。

「あー。やはり、誰か尾(つ)けてきてるな」

 うんざりするように天を仰いで立ち止まる天晴に、絶は緊張で硬直する。

「烏夜衆か?」

「かもな。仕方がない。俺はここでそいつを迎え打つ。お前はできる限り気配を消して、宿に戻り荷物をまとめておけ」

「わしに、そなたを置いて逃げろと?」

「お前がいては気になって戦えんだろ。それに、こんなところで前のように狐火が暴発しても困る」

 確かにその通りだと、納得するしかない。

「夕刻までに戻らなかったら、先に双木を発て」

「戻らなかったらなど、縁起でもないことを申すでない!」

「そうだな。必ず戻るから、息を殺して待っていろ」

 ペロッと舌を出して笑う天晴に、絶は後ろ髪を引かれつつも宿へと走る。

「さて、と」

 無明を鞘ごと腰帯から引き抜くと肩に担ぎ、気配する方向へと体を向ける。


 気配の主は音もなく現れた。

「何か用か?」

 天晴の待ち伏せに虚を突かれたようで、相手は一瞬面食らうも、そのすぐに鋭い眼光で睨みつける。

 相手は男。歳は天晴と同じくらいだ。雲水と呼ばれる行脚の恰好をしているが、体格は天晴にも劣らないほどがっしりとしている。肌の色は白く、目鼻立ちは眉目秀麗であった。網代笠の下の切れ長の目は、人を刺し殺さんばかりに鋭い。

「ただの行脚……では、なさそうだな」

 足先から頭まで挑発するように眺める天晴の表情は、笑みのまま変わらない。

「何用か?」

 再度の問いかけに男は口を開く。

「お前と共にいた子に用がある」

「なぜだ?」

「お前には関係ない」

 男の対応は取り付く島もない。

「関係ないかどうかは、俺が決めることだ」

「お前と問答をするつもりはない。痛い目にあいたくなければ引き渡せ」

 袖から覗かせる手にはすでに鉄甲が握られている。

「せっかちな奴だ。他人と話すのは嫌いか?」

「抵抗するな。死ぬことになるぞ」

「前の二人も、そんなことを言ってたな」

 天晴が言い終わるより先に、男が一歩、足を踏み出した。

 ように見えたが、次の瞬間には間合いを詰めて目前まで迫っている。

 縮地と呼ばれる特殊な歩法だが、それにしてかなり練度だ。

 天晴は鼻先まで迫る鉄甲を、身を捩って躱しながら、踏み込み男の懐に肩をぶつける。

 ぶつかり合った両者は、その衝突に一瞬だけ呼吸が止まるも、次の行動は早い。男は懐に潜り込む天晴を掴み、膝を胴へと入れる。同時に天晴は体をさらに押し込みながら、拳で男の顔面を突き上げた。

 互いに数歩後ずさるも、天晴は振り上げた手をそのまま背面へ。背後に回していた無明の柄を掴むと、引き抜いて振り下ろした。

 体重の乗っていない斬撃だが、脳天をカチ割るくらいには勢いのある一撃に、男は目をむいて大きく飛びのく。

 間合いから外れた位置まで下がると、大きく息を吐き出しながら腰を落として構える。天晴に殴られたダメージはさほどない。先ほどよりも闘志に満ちた目を輝かせていた。

 対する天晴も刃を背後に持っていく脇構えの態勢を取る。男の拳法はかなりの腕前で、鼻先で躱した拳圧だけでもかなりの威力があった。相変わらず笑みを崩さないが、その目は笑っていない。

 そこからはジリジリと距離を詰め、互いに相手に出方を探る。

 その時、街中の方角から人々の騒ぎ声が聞こえた。

 奇しくもそれは絶が駆けた方角である。

 嫌な予感がする。しくじったかもしれない。

 冷汗が天晴の背中を流れる。

 目前の男も騒ぎに気付いたようで、意識が一瞬逸れた。

 長居は無用。

 天晴が先に動く。刀の間合いにはまだ遠い位置より横一文字。

 普通に振れば届くことはないが、思い切りの踏み込みと伸ばしきる左腕がその僅かな距離を詰めた。男は冷静に半歩下がり切っ先避けると、反動を生かして前へ。ガラ空きの天晴の顔目掛けて拳を叩き込む。

 鼓膜を震わす金属同士のぶつかる音。

 男の鉄甲を、天晴は逆手に持った無明の鞘で受け止めた。そして振り切った左手を強引に返し、引き寄せて振り上げる。

 刃は男の笠をかするのみ。身軽なステップでさらに後方へ下がった姿に、天晴は驚いた。

 外れた笠の下。銀髪の頭部に三角形の耳が付いている。

「妖狐。天狐か?」

「だからなんだ!」

「そうなると、事情が変わってくる。もしかすると誤解があるかも」

「お前になど用はない」

「だから待て。話を……」

「人間など信用でいるか」

 天晴の制止も聞かず、男は両手で印を組んで地面に拳を叩きつける。

「『封殺縛鎖』」

 地面に拳が触れると、天晴の足元一帯がぼんやりと輝き、地面から四本の鎖が飛び出した。

 それは天晴の両手足に絡まり、動きを封じる。

 この技は対妖用の僧術だ。

 頑強な鎖は生きているかのように巻き付き、対象者の力を抑え込む。

「誠に、お前。人付き合い下手か!」

 がっしりと手足を固定されて呆れてボヤくも、当の男はすでに天晴を無視して騒ぎの方へと駆けていた。

「おい! この鎖をほどいてから行け!」

 天晴の声に答える者はいなかった。

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