第四話 水瀬しずくは「騙しててごめん。消えるね」と懺悔するように続けた。
トイレを出て、水瀬のいる席をちらりと見ると、誰かが居た。
離れているからよくわからないが……僕の座っていた席の辺りに立っている。
どうやら、水瀬と話しているらしい。
ゆっくり近づくと、向こうもこちらに気づいたようなそぶりを見せて、足早に立ち去った。
「誰だったんだろう」
とはいっても水瀬の友人のうち僕が知ってる人なんてごくわずかだから、きっと知らない人なんだろうけど。
少し早歩きで席へ戻る。
「お待たせ」
「おかえり」
「誰と話してたんだ?」
「友達。色々相談に乗ってくれたりする良い人なんだよ」
「へぇ」
さっきは変な発言をしていたとはいえ、やはり水瀬は水瀬だ。
友達が多くて、陽キャで、みんなに優しい。
不思議と安心する。
そうだ。一度の間違いなんて、誰にでもあるだろう。
きっとホットフラペチーノ発言だって言い間違えていただけに違いない。
それを取り立てて指摘しようだなんて、酷いにもほどがある。
でも、水瀬でもそんな間違いをするんだって思うと。
絶対的な神様の、人間らしい部分を見つけたみたいで何か嬉しかった。
僕が一人感動してるうちに、水瀬はじゅるっとコーラを飲み干した。
カップを揺らして、氷の音だけが鳴る。
「……無くなっちゃった」
名残惜しそうに空きカップを見つめる水瀬。
「僕らもそろそろ帰るか」
「そうだね」
水瀬がおもむろに立ち上がり、トレーの上に散らかしたゴミを片付ける。
丁寧な所作だった。僕はそれに見惚れてすらいた。
そのまま少し遠いゴミ箱まで歩いていく。
慌てて僕もトレーを持って立ち上がった。
一足早く到着した水瀬は、さっきまでコーラが入ってた紙コップの蓋を開けると、中の氷をざあっと水捨て場に流し込み、カップ本体をトレーの上に置きなおす。
水瀬は一つ頷いて、ゴミ箱に向き直った。トレーを手にする。
――そして、ゴミをゴミ箱に、トレーごと捨てた。
「え」
あまりに衝撃的な光景だった。
丁寧な所作の後に挟まれる暴力的な行動。
驚きのあまりに声に出てしまうのを押さえられなかった。
「入るんだ、それ」
……トレーをゴミ箱に入れる人、初めて見たかもしれない。
紙のトレーならまだしも、マックの普通の緑のプラスチックのトレーだ。
さっき店員さんがまとめて持って行っていた、あのトレーだ。
「え?」
「いや、トレー捨てるタイプなんだなって」
「……普通は捨てないの?」
恐る恐るといった様子で尋ねる水瀬。
「横に置いとくと思う。ほら、ここに」
水瀬と同じ手順をたどり、トレーだけは捨てずに台の上に乗せて見せる。
「そっか……」
「……あ、いや、えっと……うん。す、捨てるのも別にいいんじゃないか? 店側も……ほら、丁度新しいの買いたかったかもしれないし。ね?」
静かになった水瀬をフォローするように慌てて言葉を紡ぐ。
いくつら言葉を紡いでも水瀬に届くことは内容で、彼女はどんどん表情を曇らせていく。
「――ね、さっきスタバの話してた時も私は何か変なこと言ったよね。あれ、何が変だった?」
「……そんなことないよ」
「言って欲しいの」
「何もないよ」
「言って」
「………………。フラペチーノに、ホットはないです」
「え……でも、フラペチーノって、コーヒーでしょ?」
「フローズン系の食べ物なんだよ。ほら、マックシェイクみたいな」
「あー……あぁ」
何か深く絶望したかのような声音をしていた。
いつもの明るい彼女からは想像もできない。
視線を合わせるのが怖くて、後ろを振り返ることができなかった。
「……終わりだ」
「え?」
「もうだめだぁぁぁああああああああああああああ!」
突然の大声。周りの客がこちらを振り返る。
僕も驚いて振り返る。
水瀬は気まずそうに顔を逸らし、小声で続ける。
「ごめん。引いたよね」
「…………いや、引いたってほどじゃ」
「目障りなことしてごめん。今も変に注目されちゃった」
さっき教室で見たみたいな、あと一歩で壊れてしまいそうな表情。
「水瀬、大丈夫かお前」
「大丈夫じゃないかも」
ふらふらと席の方へ戻っていった。僕も数秒遅れて追いかける。
「私、ほんとは陽キャとかじゃなくて陰キャ中の陰キャです。陰キャ星人です。陰気が強すぎて自室にはキノコが生えています」
水瀬は机に突っ伏しながら言う。
すごいネガティブだ。
あまりの豹変ぶりに何も言えないでいると。
「高校での私って結構明るいキャラだと思うの」
自分に自信を持って言っているというより、もっと自虐的な雰囲気で、続ける。
「でも実は高校デビューしただけで、陽キャでもなんでもないからマックにもスタバにもいったことないんだ」
絞り出すように、懺悔するように続ける。
「騙しててごめん。消えるね」
水瀬はひったくるように地面に置いていたバッグを掴んで立ち上がる。
「今日はありがとう。楽しかった!」
最後だけいつも通りの雰囲気で、でも震えた声で、水瀬はそう言い残して店外へと駆けていく。
どうすればいいのか分からなくて、僕はそれをただ見送った。
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