水瀬しずくは「フラペチーノはホットが美味しい」と自慢げに言った。
まっしろ委員会(黒)
プロローグ 水瀬しずくは「春アニメはもう終わっちゃったもんね」と笑った。
期末テストが終わった後の昼下がりで、つまり高校生が一番自由な時間だった。
今日は木曜日であるのを確認して、僕は所属している部活の部室へ向かう。
天気は暑すぎるくらいの晴れだが、あと数日で台風が来るなんて予報されていた。
額に伝う汗を腕で拭って、廊下を歩いてゆく。
部活があるのは金曜日だから、本当は来る必要なんてないけど。
友達に会いに来るために、僕は毎週木曜日にここに訪れていた。
ガラリ、扉を引いて中に入り、辺りを見回す。
――いた。
普段は化学実験室として使われているこのボランティア部部室の中央部、
背もたれのない木製の椅子に、女の子が腰掛けている。赤色の下敷きを手に持っていて、暑そうに顔をぱたぱた仰いでいた。
水瀬しずくだ。
僕も所属しているボランティア部の友人で、同じ一年生。
ボブカットの黒髪には赤色のヘアピンが止められている。制服はきっちり着ていて、真面目なのがうかがえる。
――校則で許された範囲でおしゃれするのがイマドキなんだよ、とこの前教えてくれた。
一言で彼女を表すならば、コミュ力の神様になる。
どんな時だっていつもニコニコしているしどんなことだって楽しそうに話す水瀬はクラスの人気者らしく、みかけた時は大体いつも集団にいる。
あまり交友関係が広いわけではない僕にとってみれば、水瀬は大切な友人というだけでなく、憧れの存在でもあった。
――手を伸ばしても届きそうにない所にいる遠い存在、そう言った意味でも神様と言えた。
僕は軽く手を振り上げて声を掛けた。
「よう」
「あ……ちょっと待ってね」
音楽を聴いていたらしい、こちらに気づくと丁寧な所作でスマホを操作してイヤホンを外して、いつも通りのにっこり笑顔で返してくる。
気持ちいいくらいの笑顔だ。皆に好かれるのも納得だ。
「今日は来ないかなって思ったよ」
「木曜日だったしな」
「律儀だねえ」
入り口のあたりに鞄を投げ置いて、教室の中へと入る。
彼女の斜め前の席が僕のいつもの席だった。
倒れ込むように椅子に座り込む。暑くて今にも溶けそうなのだ。変に体力を使いたくなかった。
「はぁ……今日も暑いな」
「ここはクーラーないしね。下敷き大活躍だよ」
「持ってくるのめんどくさいんだよな」
仕方ないなあ、と持っていた下敷きでこちらを扇いでくれる。涼しい。優しい。
「梅雨明けしたんだって。道理で暑いわけだよね」
「あぁ、本格的に夏だな」
「もう春アニメも終わっちゃったもんね」
――ここでアニメの話に繋がるのがなんとも水瀬らしい。
そう、この少女、重度のアニオタなのだ。
それが僕と彼女を結び付ける部活以外では唯一の共通点だった。
きょうびオタクを名乗る人間なんてごまんといる。
僕だって最初は陽キャの歩み寄りってこうやるのかぁって温かい目で見てたものだが、仲良くなるうちにその認識は改めさせられた。
水瀬はその時々に放送するアニメを全て三話まで絶対に見る、オタクの中のオタクだったのだ。僕も見ている方だと思っていたが、彼女には負ける。
彼女とこうやって部室に集まって話すようになったのも、水曜日やっていたアニメの感想を話し合うためだったし。
「夏のアニメ、何かオススメあるのか?」
「そうだね……まだ見てないし、そもそも始まってないやつも多いから何とも言えないけど……」
おもむろにカバンからスマホを取り出し、いくらか操作する。手慣れた手付きだった。
「独断と偏見で決めたオススメ。今送ったよ」
ぴろん、と聞きなれたスマホの通知音がなった。取り出すと、彼女からいくつかタイトルが送られてきていた。続けて画像も何枚か。
「おお、助かる」
「特にオススメなのは、一番最初のファンタジーものかな」
心なしかいつもの三割増しくらいで目がキラキラしているように見える。
わくわくした様子でこちらを見てくるから、少し眩しく感じて視線を落とした。
――最初からスマホを見るつもりでしたよ、みたいな雰囲気を出しながら。
「ファンタジーものは純粋に原作が面白いらしくて、アニメも力入れてそうなPVだったからオススメ」
「確かラノベが原作だよな。本屋で見た気がする」
「そうそう! あと制作会社がユーフォー」
「おお、それは信頼できるな」
「でしょでしょ」
後はね……、と言いながら、水瀬は立てた右手の人差し指をくるくる回す。
テンションが上がってくると無意識的にやってしまうらしい。
「あ、そうそうこのラブコメもオススメ! 最後に書いてるやつ!」
水瀬はノリノリだった。
「ラブコメか……」
対照的に僕はあまり乗り気ではなかった。
「あんまり好きじゃない?」
「どんな話かによる」
でも、彼女がオススメと言うのだ。
この話をするのが嬉しくてたまらない、そんな表情の彼女を止めるのは申し訳なくて、ついそう返事してしまった。
……そうだ。食わず嫌いも良くないだろう。
あのジャンルでさえなければ、きっと楽しむことが出来るはずだ。
「えっとね、一言で言うと――」
きっと、予感があったのだと思う。気づけば、彼女の唇に視線が吸い寄せられていた。
「――幼馴染ものなんだけど」
さっと、血の気が引いた。
さっきまで感じていた暑さも遠くに感じられて、寒気を感じ始める。
――よりにもよって、あのジャンルだった。
「あ、えっと」
何か返事をしなければならない、そうは分かっているのに、口が上手く動いてくれない。
それどころか半年前の辛い思い出が蘇りそうになって、あわてて頭をぶんぶん振って誤魔化した。
死に体の魚みたいに口をぱくぱくさせることしかできない僕を、水瀬は心配そうに覗き込んでくる。
「えっ、ごめんなさい。私……何か言っちゃったかな」
そのおかげで――と言っていいのかは分からないが、僕はなんとか落ち着くことができた。
――彼女も彼女で、あと一歩で壊れそうな表情をしていたのだ。
水瀬は手を落ち着かなさげに動かしている、慌てて、困って、辛そうに口を歪めている。
そんな水瀬を見て、いくらか落ち着いた。落ち着かざるを得なかった。
僕があのジャンルを苦手なのと同様に、彼女も何か問題を抱えているのだろう。
深入りすべきじゃない。水瀬を心配させてはならない――そう思った。
「あ……わ、悪い。俺の問題だ。気にしないでくれ」
「そう……なら、良いけど」
奇妙な沈黙に場が支配される。居心地が悪い。申し訳ないとも思う。
話題を変えたいけど、この状況を打ち消せるだけの話題が無くて押し黙ってしまう。
それは水瀬も同じなようで、二人して気まずそうにスマホを弄る。
無意味にスマホのアプリの模様替えをするのにも飽きてきたころ。
ふと、ぐぅと小さく音が鳴るのが聞こえた。
音の鳴ったほうには当然水瀬がいて、当の本人は恥ずかしそうに頬を染めて顔を俯けている。
――ああ、彼女も僕とそう変わらないのだ。
さっきまでの緊張感が一気に和らいで、つい笑ってしまった。
水瀬は顔を真っ赤になってむくれる。
「もう、ひどいよ!」
「いや、悪い。ちょうど俺もお腹すいたんだ」
「そっか、もうこんな時間だもんね」
「帰るか」
そう言って立とうとした僕に対して、果たして彼女は座ったままこちらを見据えてきた。
さっきまでの暗い雰囲気を一切感じさせない、いつものにっこり笑顔で。
「……あのさ」
「ん?」
「マック行きたいんだけど、一緒に来ない?」
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