伯爵家の養子はこの世界を生きていく
森川 朔
ローゼンベルク家編
第1話 少年期 プロローグ
僕が覚えている最初の記憶は、鬱蒼と生い茂る森の中、優しく抱きかかえてくれた父の姿だ。
「シオン様、もう起きていらっしゃったんですね」
「おはよう、エラさん」
シオンが笑いながら挨拶をすると、エラさんは困ったように少しだけ眉を下げる。
「シオン様、私ども使用人には敬称など不要ですよ」
「父さんから年上の人には敬意を持って対応するようにと教わりました」
「それは同じ貴族様同士の場合です、私どものような使用人にしてしまうと威厳がなくなってしまいます」
貴族である以上、威厳が大事なのは流石に11歳まで育ててもらっているからわかる。エラさんが言う通り、他の貴族の前で言おうものなら、あそこの貴族は使用人にへこへこしていると裏で笑われることだろう。でも、毎日僕たちの身の回りの仕事をしてくれている人たちに礼を言えないのはそれもまたおかしい気がする。
結局、幾度かの押し問答の末、
「他の貴族様がいらっしゃらないところであればそのようにして頂いて問題ございません」
と言質を取ることに成功した。やはり感謝はちゃんと伝えた方が良いに決まっている。
「ありがとう、エラさん」
「いえ、私どもの方こそシオン様のお優しさにはいつも救われております」
エラが部屋の窓側まで向かいカーテンを開くと、柔らかな日が差し込んできて部屋中が途端に明るくなる。
「着替えの手伝いは不要ですか?」
「大丈夫」
「承知しました。朝食の準備は出来ておりますので」
「わかった」
エラはシオンに恭しく一礼して部屋を出ていった。
シオンはベッドから出ると寝巻から着替え、鏡を見ながら身だしなみを整える。着方が少し違うだけで貴族社会では笑いものにされたりする。めんどくさい話だけどしょうがない。
「こんなもんか」
寝癖がついている黒髪を櫛ですき、シオンは部屋を後にした。
食堂にはエラの他に数人の使用人が控えていて、シオンの姿を確認すると一斉に頭を下げた。
父さんや、いずれ当主になる可能性がある、ブルーノ兄さんやミヒャエル兄さんたちに頭を下げるのならわかるけど、僕にまでそんな恭しく頭を下げなくても。
席に座ると、すぐさま厨房から料理が運ばれてくる。
「いただきます」
出された料理はどれも出来たてで美味しかった。毎日こんなおいしい料理を出してくれる彼らには感謝しかない。そんなことを思いつつ、シオンはあっという間に朝食を食べつくす。
「ごちそうさまでした」
「本日は外での鍛錬ですか?」
後ろに控えていたエラが声をかけてくる。
「うん、昼頃には戻ってきます」
「承知いたしました、お気をつけていってらっしゃいませ」
「ありがとう、いってきます」
エントランスまで見送りに来てくれたエマにお礼を言いながら、シオンは屋敷を飛び出した。
シオンが屋敷を去った後、食堂に残っていたメイドたちは食器を片付けながらおしゃべりに興じていた。
「相変わらず貴族らしくないですよね、シオン様は」
「ええ、この前も屋敷の清掃をしていたら『いつもありがとうございます』と微笑みながら労ってもらいました」
「羨ましい……」
「私も、この前屋敷に届いた重い荷物を運んでいるときに、シオン様が颯爽と現れて『大変ですよね、手伝います。何処に運べばいいですか?』って助けてくれて、まるで小説に出てくる王子様みたいでした」
「さすが、シオン様」
「他の皆様も良くしてくださるし、ほんとローゼンベルク家のメイドになれてよかったー」
「「ねー」」
「ほら、いつまで話してるんですか。そろそろ皆様起きられる時間ですよ。準備を始めなさい」
「「「承知しました!!!」」」
エラの一声におしゃべりに興じていたメイドたちは蜘蛛の子を散らすように持ち場へ消えていく。
「まったく」
エラはため息をつく。シオン様はそんなこともやっていたのか。どれも貴族がする様なことではない。下手をすれば貴族社会で馬鹿にされるような行動なのだ。
これまでも何度もお願いしてきたが、今日を含め聞き入れられたことは一度としてない。そう遠くないうちにシオン様は社交界にも正式に参加するようになる。それまでになんとか普通の貴族と同じようにして、お優しいシオン様が恥をかくようなことだけにはならないようにしないと。エラは心の中で決意を固める。
救いなのは、シオン様の行動はお屋敷の使用人たちからの信頼をより強くしているということだろう。まあ、助けてくれるのだから当たり前だが。
「ほんとシオン様は貴族らしくないお方ですね」
そう言う、エラの口元はうっすらと笑みが浮かんでいた。
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