平日昼間、春休み中のある日のこと。

 まずはオーブンの予熱から。その間に卵を割って、溶きほぐして。ナッツ類は刻んでいったん小皿へ。薄力粉はとんとんとふるいにかけておくのも忘れずに。最後にチョコを刻んで、湯煎で溶かせば、準備は完了。

 チョコと卵を泡だて器で混ぜ合わせる。次はゴムベラを取って、薄力粉とお砂糖を混ぜる。最後に刻んでおいたナッツ類も混ぜたら、事前に準備しておいた型に流し込んで。あとはオーブンに入れて、焼きあがるのを待つだけだ。


 ふう、と息を一つ吐く。けれど、まだ終わってはいない。お菓子作りは総じて、後片付けが面倒になりがちだ。何回作っても、この煩わしさだけは変わらない。固まってしまったチョコをお湯で溶かしながら、ボウルやら泡だて器やらゴムベラやらを洗っていく。

 ただまあ、どれだけ面倒でも、案外手を付けてしまえばあっという間に終わるもので、気づけばキッチンは元通りになっていた。あとは、オーブンの中のブラウニーが完成するのを待つだけ。


 再び、ふうと息を吐いた。やっと一息つける。焼くのはオーブンがやってくれるし、焼けた後も切る前に粗熱を取るから、しばらくはしんどい作業はない。


 ……いや、まあ。最終段階とも言える、「渡す」っていう工程が、一番気が重いんだけど。


 はあ、と息を吐いた。今度のそれは、本当に溜息としか言いようがないそれ。エプロンをはずしてから、スマホを手に取る。通知を確認しようと画面のロックをはずしたら、ちょうど頭に浮かべていたやつからの連絡が来ていた。思わず、また溜息。それでも、無視するでもなくそいつとのトークルームを開いている当たり、やっぱり私もどうしようもないって言うか。


 ソファに座って、メッセージを確認する。そこには、いつも通りの気軽なノリで「明日大学ないけどどうする? 家行っていい?」なんて文字が躍っていた。ほんと、人の気もしらないで。


 しばらくその文字を眺めてから、たぷたぷ文字を打っていく。「いいよ、ちょうどいま焼いてるとこ。明日ちゃんとラッピングして渡すから」なんて、そっけないだろうか。でも、私とこいつの距離感なんてこんなものだ。


 メッセージを送信してから、スマホの画面を落としてソファに転がる。ほんと、いつまでこうやってるんだろうな、私。


 あいつと出会ったのは、小学校の低学年とか……だったはずだ。どうにも、ちょっと昔すぎて覚えていない。それで、ちゃんと交流するようになったのが、確か小学校の五年生。きっかけは、そう、バレンタインだった。

 それまで、バレンタインで何かを作ったりする経験は、私にはなかった。でも、その時仲の良かった子に誘われて、一緒に作って送りあうことになったのだ。いわゆる、友チョコってやつ。

 そして、そのコミュニティの中に、なぜかあいつも居た。

 いや、正確にはちょっと違うのかもしれない。あいつは、女の子が集まって友チョコの話をしている中、急に話に入ってきて、確かこう言ったのだ。


「なにそれ、おれにもちょーだい!」


 当時の私は、何を言ってるんだこいつは、と思ったからよく覚えている。けれど、クラスの中で人気者だったそいつを、他の女の子たちは無下にしなかった。それで、結局そいつにも渡すことになってしまったのだ。

 バレンタイン当日、他の女の子たちは、そいつ宛のチョコだけラッピングを変えたりしているのを横目に、私だけは女の子に渡す友チョコと何一つ変わらないラッピングでチョコを渡していた。さっき作ったのと同じ、ブラウニー。あの時は、お母さんと一緒に作ったものだったけど。

 それが目に留まったのか、それとも、全員に対してそうしたのかは分からないけれど。一か月後、ホワイトデーの日に、そいつからお返しを貰った。ちょっといいお店の、おいしいクッキー。そこには、小さなメッセージカードがついていて、小学生男子の綺麗とは言い難い字で「ありがとう! おいしかった」と書いてあった。

 それで……それが、どうにも、気になってしまって。

 それ以降、なんとなく、毎年そいつにブラウニーを送ることが定番になってしまった。

 最初に友チョコを送りあった女の子たちと、進学で距離ができても。

 中学、高校を超えて、大学生になった今も。


 私とあいつの間に、特別な何かなんてないというのに、私は毎年あいつにブラウニーを送って、そして一か月後のホワイトデーにはあいつからお返しのクッキーとメッセージカードが届く。

 毎年作ってきたせいで、ブラウニーだけはきれいに作れるようになってしまったし、レシピなんてもう見返すことの方が少ない。


「いつまでこうやって、誤魔化し続けてんだろうなぁ、私」


 ぽつり、口から出たのは、結局のところ本心だ。


 あいつと今でも縁が続いているのは、私がそれを切りたくないと思って、それなりに努力してきたからだ。

 結局のところ、私は小学五年生のあの冬の日から、いまだに抜け出せていないのだろう。このきもちは、もうすぐ十年の大台に乗ろうとしている。


「……ほんと、いつまでこうやってるんだろうなあ」


 静かな部屋に、私の言葉だけが溶けていった。




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腹を空かせた夢喰いさま(https://hirarira.com)より、お題「いつまでもそうやって」で書かせていただきました。

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【短編集】星屑を詰めて 琴事。 @kotokoto5102

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