明日は燃えるゴミの日

 今思い返せば、私は限界を迎えていたんだと思う。

 

 だって、大学は卒論が中々書けなくてしんどくて、バイトだって忙しいし新しい仕事が覚えられなくて、挙げ句、何社も面接を受けてるのに内定がもらえないままだった。

 外ではそんな有様で、唯一安心できるはずの家だって安心できる場所には成らなかった。

 

 彼のせいだ。いや、ちがう私が悪いの。私が、彼に気を遣えないから。

 

 でもだって、彼だって悪いと思うの。食事の後、食べ終えた食器は机に置きっぱなしで、食事を作るのだって私ばっかりで、服だって脱ぎっぱなし。すぐに部屋を散らかすし、それを片付けるのは私だ。

 

 違うでしょ、彼は今精神を病んでいるから、動けないのは仕方ないことなの。頭痛とか、吐き気とか震えとか怠さとか、いろんな原因があるんだから。

 

 一度だけ、病院に連れて行ったことがあった。でも、一番近くの精神科の先生は、なんだか人をこばかにしたような態度を取る人で、彼はあれ以降病院という場所を毛嫌いするようになってしまった。確かに、あのお医者さんは嫌な人だったけど、でも全部の病院が、お医者さんが、みんなあんな感じではないはずなのに。

 何度説明したって、彼は分かってくれなかった。

 

 そんな、今までのたくさんのことが重なって、初めて言った不満だった。

 

「ねえ、どうしてそんなに自分勝手なの」

 

 いつもどおり私が作った、彼の嫌いな食材の全く入っていない夕飯を、スマホを見ながら食べていた彼に。つい、言ってしまったのだ。

 

 その瞬間、彼は爆発した。

 何を言っていたかはもう分からない。

「俺は」「俺は」とばかり言っていた気がする。

 

 でも、いつもなら、彼が取り乱したらすぐに「ごめんなさい」「私が悪いの」って、そう謝っているのに、今日ばかりは何も口から出なかった。

 どうしてだろう。

 ただ、「私にはたったそれだけを言うことすら許さないのか」と、思ったことは覚えている。

 

「もうおまえなんて知らない。別れる。ここも、出ていくから」

 

 一通り喚き散らした彼は、そう言って、部屋から出て行った。少しして、ばたんと玄関扉が閉まる音が聞こえる。……彼は今、バイトもしてなくてまともにお金を持ってないはずだけど、今日どこに泊まるつもりなんだろう。私以外に心を開かないせいで、いや違うか。必要以上に心を閉ざすせいで、私以外にまともな交友関係は無いはずだけど。

 

 相変わらず考え無しの、馬鹿な子だ。そう思うと同時に、どうしてかゆるりと自分の口角が上がるのが分かった。

 

「ふふ、」

 

 私一人になって随分と広く感じるようになった部屋で、小さく声を上げて笑う。

 

 彼の私物はどうしよう。ちょうど、明日は燃えるゴミの日だし、全部まとめて捨ててしまってもいいかもしれない。燃えるゴミの日が何曜日か分かってない彼は、きっと私がそんなことをするなんて思いもしないのだろう。

 彼の食べかけの夕飯はどうしよう。私一人ではこんなに食べないし、そもそも彼の好みの味付けにしてるから私の好みの味ではないのだ。もったいないけど、捨ててしまおうか。食べ物に罪はないけど、彼が箸をつけたものは食べたくないし。それに、そう、明日は燃えるゴミの日だ。一晩なら、匂いだってそんなに残らないだろう。

 

 立ち上がって、彼が散らかしていった部屋を片付けながら思う。

 

 昔はもっと色々彼に自由に意見を言えていたのにな、って。

 

 いつからだろう。何も言えなくなったのは。

 いやでも、彼は、出会った当初からずっと精神的に不安定だった。

 なら、変わったのは私の方か。

 

 つらつら、考えながらゴミをまとめてゴミ袋の口を縛る。それを持って玄関へ向かった。狭いワンルーム、一晩とは言えゴミと一緒に寝たくない。どうせ明日の朝出ていくときに持っていくんだし、玄関に置いておけば合理的だ。

 

 ゴミ袋を置いたところで、彼が出ていったまま鍵が開きっぱなしになっていた玄関に気がついた。危ない危ない、物騒な世の中だ。開けっ放しでは何が起きるか、分かったもんじゃない。

 

 がちゃん、音を立てて玄関を閉める。外からの侵入者を許さなくなった扉を見て、脈絡もなくふと思った。


 明日の朝ごはん、何にしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る