第25話 再生の時⑥

 1.



 祝おう 新たなる営みに

 歌おう 門出への祝福を

 舞おう 遥かなる地平へ

 力となれ 糧となれ

 ともに歩む絆に幸あらんことを

 聖霊よ 人の子らよ

 皆の命を奏でよ

 天空へ 未知の彼方へ 風と共に



 聞こえてくるのは落ち着きのない声だった。

 前髪が気になるのかイスタリカは手にした鏡の向きを何度も変えては櫛で髪を整えようとしている。おろしたての衣装も襟元や裾口が気になって仕方がないようだ。

「ねぇアベル、本当におかしくない?」

 イスタリカは朝からアベルの家にやって来ると、ずっとこんな調子だった。

「大丈夫かな?」

 何度も同じことを訊いてくる。

 落ち着かないのはアベルも同じだった。これから師匠であり親代わりでもあるマサ・ハルトにイスタリカを紹介するのである。緊張のあまり体がこわばり、唇は乾き喉もカラカラだった。

「大丈夫、だよ」声が上ずりそうになっている。

「本当に?」

 襟元や前髪をつまみながらイスタリカは訊ねてくる。その度にセットが乱れてしまうことに気付かないようだ。

「きれいだと思うよ」

 頷きながらもアベル自身どこか上の空だった。

「思うじゃなくて、どこか変じゃない?」

「ないない」

 突っかかってくるイスタリカに慌てて首を横に振る。

「ちゃんと見てよ」

「見ているって」

 紅の赤が鮮やかに映り、普段は付けていない装飾品と水色の衣装に身を包んだイスタリカはいつもとは印象が違って見える。

 深いため息とともにイスタリカは再び鏡を覗き込む。

「やっぱりうまく決まらないわ」

「だったら普段通りでもよかったんじゃないか?」

「そういうわけにはいかないわ!」イスタリカはアベルを睨む。「第一印象って大切でしょう? 身なりはきちんとしないと」

「そりゃあそうだけど……」

「それに礼儀も知らない、挨拶もできない子だなんて思われたくない。あなただって、わたしがそんな娘だって思われたくないでしょう?」

 アベルが頷くよりも先に、またイスタリカの視線は鏡に戻ってしまう。

「こんな時にEマークを切らしちゃうなんて……」

「Eマーク?」

「エルラドのお店で売っている女性用の化粧品のことよ。知らないの?」 新作は柔らかく涼しげな香りがして人気の化粧品だった。「近頃売り切れるのが早くて、手に入りづらいの」

「そうか、言ってくれれば頼んでみたのに」

「アベルが? 誰に?」

 驚いてイスタリカが振り返る。

「エルラドの店って、エアリィの店だろう? 彼女とならよく会うし、頼めば融通してくれると思うよ」

「そうか……そういえばそうだったわね。でも、今すぐは無理よね……。残念……」

「少し落ち着こうよ」

「そういうアベルだって」

 イスタリカに貧乏ゆすりを指摘され、アベルは膝を手で抑える。

「そ、それはそうだよ。頭にイスタリカを紹介するんだよ。作ったものを見てもらうくらい緊張する」

「わたしは物と一緒?」

「そうじゃないよ。例え、例えだから」アベルは慌てて否定する。「それになんでそこに突っかかって来るかな」

「わたしだって緊張しているのよ。工の頭にわたしじゃダメっだって思われたくないの」

 イスタリカはマサを怖い人だと思い込んでいる節がある。

「ああもう」アベルは頭を抱えそうになる。「そうじゃなくて、頭も判ってくれるってこと。イスタリカだったら大丈夫だってぼくが保証する」

「う、うん。ありがとう」

 真剣な表情で顔を使づけてくるアベルにイスタリカはのけぞりそうになる。

「頭は見た目や生まれとかで差別なんてしない」

 出会いが最悪だったエアリィや親方ともマサは判り合えたのだから。

「だったら、なんでアベルはそんなに緊張しているのよ」

「イスタリカから、うつった」

「そんなわけないでしょう!」

「そうだよねぇ」アベルは苦笑する。「初めてのことで頭の前に立つときは、いつも緊張するんだ」

 マサに初めて挨拶した時も弟子入りした時も初めて自分が作ったものを見てもらった時も頭の前では足が震えていた。

「癖というか、条件反射? まあいいわ、アベルを見ているとわたしも頑張んなきゃって気になるわ」

「そ、そう?」

「頑張って、精一杯、二人で工の頭とハーナさんに挨拶しましょう」

 イスタリカはアベルに微笑みかける。

 彼女は手鏡をかばんに戻すと、手を差し出す。アベルはその手をとり、イスタリカを引き寄せ抱きしめる。

「大丈夫よね」

「なんとかなるよ」

「なんとかね」

 笑い頷き合う二人は、手を取り合って部屋をあとにするのだった。

 玄関の扉を閉める前にアベルは振り返りながら胸のペンダントに手をあてると、亡き両親に祈るように握り締める。

 日差しが照り付ける石畳の通りは熱せられた鉄板のようだった。手にしたマントをイスタリカに羽織らせると彼女はフードを目深にかぶる。彼自身もマントを羽織ると二人で工房への道を歩き始めた。


 下町の結婚は基本的に自由である。

 地区の長老に届けを出すと、そこから五家へと連絡が行くことになる。そこで台帳に載せられるとロンダサークでは晴れて夫婦として認められることとなる。そうすれば水の配給などの恩恵を受けることができるようになるのであった。

 少女はそう聞いていた。

 もっとも現状での結婚は各地区によって異なっている。

 古くからの慣習が根強く息づいているところもあれば、よそ者を受け入れない地区も存在しているという。どれだけの時間を費やそうと消えることのない習わしがあり、格式や家系、細かく言い出すときりがないくらい差別的封建的なものが存在していて、エアリィは話を聞くにつけ眉をひそめたくなるようなものもある。

 トレーダーにとってそれらの事柄はなんら意味がなく、形式を重んじる姿は旧区の連中と変わりないように少女には感じられた。

 工の民にも慣習のようなものは存在している。格でと言えばマサは工の頭であるとともに品評会で最高栄誉賞を取り続けていたので工区で一番の家柄だったしアベルはその一番弟子だった。一方、イスタリカの家は工房の格で言えば末席に近いという。

 職種や工房の格などが関係していると少女は聞く。

 その技能が途絶えないように早くから手を打ってきたためであり、それによって数百年にわたって技を受け継いでいる工房もある。兄弟が多ければ後継者問題で悩むことも少ないが、そうなると諍いも絶えないらしい。農区の耕地の問題と同じようだ。工房同士や親同士のつながりから、当人の意思を無視して結婚が決まるケースも多かったとハーナは教えてくれた。

 マサとハーナには娘がいる。彼女は他の地区の家に嫁いだ。

 その時のことは筆舌に尽くしがたい事件であったという。ひとり娘だったこともあり、彼女は周囲からも工房の跡取りを求められていたが、出会った他の地区の男性との結婚を決意し、その話を両親に切り出した。マサは頑なにそれを認めず、ハーナの後押しがなければ縁を切るところまでいっていたという話だった。

 当時と今では状況は変わってきているのだろうが、それでもその一件を知るものは不安を感じずにはいられなかったらしい。

 アベルは少女とマサとの勝負以来、なにかにつけてエアリィのことを気にかけてくれていたし、彼女もアベルを頼ることが多々あった。そのアベルが結婚するというのである。気にならないわけがない。

 品評会から受賞作の指輪が戻ってきてすぐに、アベルはそれをイスタリカに手渡しプロポーズした。そして、そのままイスタリカに引っ張られるように彼女の家族に挨拶に行ったという。イスタリカの家もまた工房を営んでいた。彼女は長女だったが、下には弟がいる。彼には技術的にはまだ問題はあるもののイスタリカがアベルの元に嫁ぐことに支障はなかったようである。かくしてイスタリカの両親との挨拶を済ませたアベルは、この日、マサとハーナに正式にイスタリカを紹介し結婚の許しを得ることとなったのである。

 エアリィも他の徒弟達とともにその場に立ち会うことになった。

 マサが堅苦しいことを嫌ったこともあり、二人の挨拶はマサやハーナだけでなく工房関係者達への顔見せも兼ねたものになったのである。

 少女もクロッセとシェラのことがあり下町の結婚に興味もあったので、ハーナの誘いを二つ返事で快諾し、この場に駆け付ける。

 それはゲン担ぎであったのかもしれない。

 工の民の習わしに従いマサとハーナは白い衣装に身を包む。

 マサは口を真一文字にとじ、微動だにせず睨みつけるように前を見つめ続けていて、魔神像のごとき形相であった。

 その静寂が怖かったが、ハーナ曰くそれはマサも緊張しているからだと笑って話してくれた。

 アベルはマサの初めての弟子であり、ハルトの工房に弟子入りして十五年になる。工の民と同じ地区で生まれ育ったが彼は工の民ではなく、この地区に元から住んでいた民達の血を引いている。本来であれば弟子になることは不可能に近かったが、アベルの両親がベラル・レイブラリーと親しき間柄であったことが幸いした。弟子をとらないと拒否するマサをベラルは何とか説き伏せ、彼の尽力もありアベルはめでたくマサの一番弟子となったのである。

 その両親は十年前のスラド熱の流行で亡くなっている。彼らは息子の晴れの姿を見ることなくこの世を去っていた。

 今はマサが後見人となり、アベルの家のことなどの面倒を見てきている。血のつながりこそないが、マサとハーナにとって自分の子供同然で育ててきた弟子であった。

 そのアベルが婚約の報告に、相手をともなってやってくるのである。

 その場に居合わせた誰もがかたずをのんで見守っていた。


 ハルトの工房の店先には『本日休業』の看板が掲げられている。

 噂を聞きつけて、遠巻きに工房を見つめている者達も多くいた。工房に近づくにつれてギャラリーが増えてくるような気がした。

 声を掛けてくるものは少ない。ただ目を合わせれば軒先や通りの向こう側から軽く手を振る者や無言の声援や祝福を贈ってくれる人が多く見られた。

「みんな暇なのね」イスタリカは吐息を漏らす。

「ここまで噂になっているなんて思わなかったよ」

 照れるやら恥ずかしいやら、アベルもイスタリカも苦笑するしかなかった。

 彼ら二人がではない。工の頭、マサ・ハルトは良い意味でも悪い意味でも有名すぎるのだ。何かが起こるかもしれないと、期待と不安をもって見守っているのだろう。

 いい見世物である。

「狭い街だもの、アベルがわたしの家に来たことも知られているでしょうしね」

「工房も今日は休みにするって言っていたもんなあ」

「何かあるって教えているようなものよ」

「そうだよなぁ……」ますます緊張してきたアベルだった。「……期待されているのかな……」

「なにをよ」イスタリカはアベルをにらむように見つめる。「冗談じゃないわ」

「ただ紹介したいだけなんだけどな。頭は敵じゃないし」

 それでも大きな壁。そそり立つ外壁だった。

 そう思うと自分はいったい何と相まみえることになるのだろう、そんな気持ちにすらなってくるのだった。

 工房の店先に立つ。

 締め切られた入口が堅牢な壁のようにも感じられた。

 入れてもらえなかったらどうしようかと一瞬でも考えてしまった。

 工房の入り口をアベルがノックする。

 すると意外な声が彼らを迎えてくれる。

「チェーリさん! どうして?」

 二人を思いがけない人物が工房に招き入れてくれる。

 七年前に隣の地区に嫁いだマサのひとり娘、チェーリだった。

「私も呼ばれたのよ。お邪魔だったかしら」

「そんなことありません! 絶対に」

 アベルはチェーリの歓迎に驚きながらも首を思いっきり横に振る。イスタリカは泣きそうになっていた。

「アベルもイスタリカも私にとっては弟と妹みたいなものだしね。話を聞いたとき嬉しかったわ」

「本当によかった」

「もうなんで泣くかな」チェーリはハンカチを取り出すとイスタリカの涙を優しく拭う。「私だって家族なんですからね」

「だって、だって」

 チェーリが家出同然で隣の地区に嫁いで以来、二人にとっては久しぶりの再会だった。

 それまでもハーナだけは地区の外で娘や孫にときおり会ってはいたが、それはマサには秘密にしていた。マサは口にした手前、意地を張り続けてきたが、少女とマサの勝負がきっかけとなりその流れが変わる。チェーリの息子テオがなし崩し的にではあったが少女とともに工房を訪れるようになり、マサも徐々にそれを受け入れていったのだろう。先日、マサが一人で娘夫婦の家を訪ねるという大事件ともいえる出来事が起こったのである。そして、この日に合わせてマサは娘一家を招いた。

 実に七年ぶりの帰省だった。

「おめでとうございます」

 二人はチェーリに微笑みかける。

「おめでたいのはあなたたちの方でしょう。私達はこんなんだったから、アベルもイスタリカもちゃんと祝ってもらいなさいよ。あの石頭にさ」

「もしかして根に持っています?」

 アベルはおそるおそる訊ねる。

「そりゃぁね」チェーリは奥を見つめる。「でもいいわ。こうしてあなた達のお祝いに駆けつけることができたのだから」

 そう言いながらもチェーリは一生言い続けてやると笑った。

「祝ってもらえればいいんですけれど」

「なに弱気になっているのよ。あなた達は大丈夫よ。普段通りに石頭に挨拶してきなさい」

 チェーリは二人の背中を押す。

 その背を見つめ、あふれそうになる涙をチェーリもこらえるのだった。


 食器等の金属製品の他に刃物類や小物、収納家具などが狭い店先に並べられている。高級品ともとれるそれらは安価な値段で売られていた。

 それらを通って工房への通路を抜けると、普段は雑然としている工房がきれいに片づけられていた。

 少女は天井に至るまで首を巡らせると、まるで違う部屋に迷い込んだような感覚がする。清潔な布で旋盤や機器類がおおわれ作業スペースもきれいに片付けられている。

 イスタリカをともない工房の中へと入ってきたその姿は盛装していたが、表情はいつものアベルだった。ぎこちない足取り、緊張のあまり顔が引きつっていて、少女までつられてしまいそうになり、気が付くと握った手が汗ばんでいた。

「アベルにいちゃん、どうかしたの?」

 少女の隣にいたテオも雰囲気から判るのだろうか、服の裾を引っ張り訊ねてくる。

「本当だよね。ただあいさつするだけなのに」

「あいさつ? じじとばばに?」

「そうよ」

「ぼくしてくる?」

 不安そうな顔をしている。

「テオではダメなのよ」

 テオの目線になり少女は言う。

「……そうかぁ」

「アベル兄ちゃんがね、自分でやらないといけないの」

 テオはいい子だ。

 マサの険しい顔を見てあの時のことを思い出してしまったのだろうか、少し泣きそうな顔になっている。

 少女はテオの頭をなでる。

 人見知りの激しいテオだったが、少女には懐いてくれた。この子がいなければマサとの今の関係はなかったかもしれない。

「むずかしいの?」

「本当は」少女は微笑む。「簡単なことなのだけれどね」

 簡単なことになのに難しい。

 そういうことが世の中には多すぎた。人が人であるがゆえにこういったすれ違いの感情は良く起きる。ちょっとしたひと言から人との出会いやその後の関係が変わってくることもあり、意味の取り違いからそれが修正も訂正もないまま終わってしまうことだってあるのである。

「でも大丈夫だよ」

 少女はテオの手を取りいうのだった。

 アベルは自分とは違う。そう言い聞かせる。

 判っていても、静寂と緊張感は耐え難いほど高まっていた。

 誰もが早く、無事に終わってほしい、そう願うのだった。


 アベルが工房に入る。

 マサがアベルとイスタリカを射るような目つきで見つめている。

 真っ直ぐにマサを見ようと思っていたが、数瞬でそれは破られる。一度目線をそらしてしまうと、そのまま目が合わせられず視線は宙を漂う。

 イスタリカも同じなのだろう。震えているのが判る。

 彼女は小さかった頃、初めて父親に連れられて工房を訪れた時、工の頭の雷鳴のような怒鳴り声と威圧するような顔付きに震え上がった。その場で泣かなかったのも逃げ出さなかったのも奇跡だと思えるほど怖かった。親としては緩衝材のような存在として連れてきたつもりだったのだろうが、そうはならなかったようである。解放されひとりになると工房のトイレの片隅で彼女は声を殺し嗚咽を漏らした。

 その時通りかかり隅で震え泣いていた彼女を介抱したのがアベルだった。

 それ以来、トラウマになったのだろうか、イスタリカは工の頭を極力避けた。いまだ恐怖が染みついた体は逃げようともがいているようにも感じられた。

 ハーナがそんなイスタリカに気付いたのだろうか、マサに声を掛ける。

「あんた、いつまで怖い顔して二人をにらみつけているんだい」

「えっ?」慌ててマサはハーナの顔を見る。「にらみつけてなんていねぇよ」

「そんな顔してるわよ」

「してねぇよ」

「じゃあ、もっとにこやかな顔しなさいよ」

「へらへらした顔なんてできるかよ、真面目な話だろうが、これはよ」

「だからってにらんでいいもんじゃないわよ。酔っぱらったときのようなもっと愛想良い顔しなさいよ」

「素で出来るかよ。元々こんな顔なんだよ」

「テオにはできるくせに」

「そ、そんなにか?」

「デレデレしちゃっているくせに。ほら、テオを見てごらんなさい」

 テオの表情を見てマサは慌てる。

「こ、これは違うぞ。怒ってんじゃねぇからな」

「ほら、アベルも黙って立ってないで、こっち来て言うこと言っちまいなさい。この人だって取って食いやしないんだからさ」

「誰がそんなことするか」

「どうだかねぇ」ハーナは笑う。「本当に竜巻が起きて雷が落ちるかもしれないわよ」

「そうしたら大災害よ」

 チェーリも声をあげハーナに同意する。

 ささやかな笑い声が伝染していく。

 アベルは小さく頷くと、イスタリカとともに前に進み出てマサと向かい合う。

 声は上ずり、つっかえながらも口上は述べられた。

 派手なものでも感動的なものでもない。実直なアベルらしい素直な言葉でイスタリカを紹介した。

 それにマサは頷くと「めでたいな」そう言って目を細め弟子を見る。

 少女は胸をなでおろす。誰もがそうだったのかもしれない。自然と拍手が沸き起こりアベルとイスタリカに祝福の言葉をおくるのだった。

 二人を中心に自然と輪ができる。

 ようやく場が和んだかに見えた。

「イスタリカさんは、ベイドールの工房の出のようだが、あそこの跡取りはどうなっているのかな?」

 マサの問いかけに一瞬で緊張が走る。

「ええっと」予期していた問いかけではあったがイスタリカは焦ってしまう。「し、下に弟がいまして、その、弟が継いでくれることになりました」

「ほう、そうしたか」考え込むようにマサは言う。「下はいくつだ?」

「十四です」

「まだこれからだな」

「あっ、はい、そうなりますね……」

「まあいいか、あいつの苦労なんて知ったこっちゃねぇ。アベルの元に嫁ぐことには支障はねぇわけだ」

 マサは腕を組み何度も頷く。

「父さん、なんか変なこと考えてないでしょうね?」

「なんでだよ」

「だってねぇ」

 ハーナも頷く。同じ仕草で娘とともに困惑する姿はさすが親子である。

「めでてぇ席だぞ」マサは咳払いする。「みんな聞いてくれ」

 マサを見た一同は、彼の満面の笑みにどう反応していいものか複雑な思いに駆られる。

「アベルに、工房をまかせる」

 工の頭に肩を叩かれたアベルは、目を見開き声にならない声を上げる。

「これからは、アベルが工房をまとめ、やっていくんだ。ゆくゆくはおれがヴェリール・ナハに新居を建ててやる。そこでお前が工房を継いでいくんだ」

「い、引退するんですか?」

 誰もがそう思った。

「そうじゃねぇ。おれはこれから工区再建やらサウンドストームのことにかかりっきりになる。工房のことはアベル、お前に任せてぇんだ」

「そ、そうなんですか」

 困惑は収まらない。

「まあ、先だっての品評会じゃ優秀賞ではあるが、看板背負って賞をとったからな。その祝いもかねてだ」マサはアベルの背中を勢いよく叩く。「おめでとう。お前がハルトの工房主だ」

 戸惑いながらも少女は他の弟子達と頷き合うと、テオの手を取り外へと駆けだした。少女は店の外へ出ると手に持っていた爆竹の導線に火をつけ、土気色の空に向かって爆竹を思いっきり放り投げる。

 テオが教えられていた言葉を通りに向かって大きな声で告げた頃、現実が飲み込めてきたアベルの悲鳴にも似た声が爆竹の音とともに鳴り響く。

 焼けつく熱い空に祝いの花火が上がった。


「よっ、おめでとう」

 シルバーウィスパーの親方が少女に声をかける。

 酒樽を抱えた親方が、副長ら主だった面々とともに立っていた。

 空の色が薄暗く変わり始めたころだった。オアシスにはまだ熱気が残っている。それをそのまま引き継ぐかのようにハルトの工房前には人々が集まってくる。思い思いに持ち寄った酒や食料が広げられ祝いの宴が始まっていた。

「あたしに言わないで下さいよ。主役はあちらですから」

「そりゃそうだがよ。それにしてもすげぇ人出だな」

「本当ですね。マサさんの人徳ですかね」

「あいつがねぇ」

「では、アベルのということで」

「それなら判るぜ」

「オヤジ……、アベルとはほとんど話したこともないくせに」

 副長、ケリオスが呆れる。

「しっかし、独立、おめでとうって言ってやろうと思ってきたのに本当にそうなるとはねぇ」

「独立というか、継承ですね。本当に驚きました。マサさんがまさかそのようなことを考えていたなんて」

「俺はよ。てっきりあの野郎に追い出されての独立かと思って慰めてやろうと酒を持ってきたのによ」

「誰がそんなことするか!」

 マサが口元を引きつらせ言う。

「お前さんだったらやりそうだって、もっぱらの噂だったよ」

「うるせぇ! かわいい弟子にそんなことするかよ」

「かわいいねぇ」

「今日は娘一家だって来てんだよ」

「ほお、いい心がけじゃねぇか」

 顔を近づけにらみ合う二人だった。

「おめでたい席ですから、二人ともね」

 少女は呆れながらも親方に酒を勧める。

「そうだった。こんなじじいの顔見に来たわけじゃねぇや」酒樽を工の頭に渡す。「で、当の主役は?」

「あそこです」

 輪の中心にイスタリカとアベルはお人形のように据えられ、そこに様々な人々が訪れては祝いの言葉を掛け、二人に酒を注いでいる。

「なんだよ、魂の抜けたような顔しやがって」

「よく見えますね」

 すでにあたりは暗くなりつつあった。

「だてにシルバーウィスパーに乗ってねぇよ。それにしても気が抜けたか?」

「まあ、マサさんに工房の跡取りの話とか、新居の話をされてから、あの調子ですから」

「実感がわかねぇのか、プレッシャーに感じてるのか?」

「どちらかというと後者でしょうか。さきほど、シュトライゼさんがインタビューしていかれましたよ。明日の一面トップだとか」

 号外でもいいかとシュトライゼは言っていたが、それはマサとアベルがとめたのであった。

「しっかし、思い切ったことしやがるな」

「前から考えていたことだ。今は再建とお嬢のことで手一杯だからな。工房は後進に譲るって決めていたんだよ」

「まっ、体がいくつあっても足りねぇか」

「それにいつかは決めなきゃならねぇことだ」

「まあな」

「お前さんもな」

「俺はまだまだ現役だぜ」

「それでもな」分かれ道はいつか来る。

「ずいぶんと真面目な顔しやがって、酔ったか?」

「おれはいつだって真剣だよ」

「そいつはよかったな。なるようになるんだよ、そういうのはな」

「それにな昼間っから、ずいぶんと飲まされてるけどな。これっくらい酔いの内に入らねぇよ」

「じゃあ、今日は飲み比べと行くか」

「おう、かかってこいや」

「じゃあ、今夜はとことん付き合ってやるぜ」親方は豪快に笑う。「と、その前にアベルに挨拶しとかねぇとな」

「おう、そうしてくれ」

 親方と工の頭は人ごみをかき分けるように進んでいった。

「あの二人いい感じに仲良くなってきましたね」

「元々が似たような性格ですからね。気が合うのでしょう」ケリオスが苦笑する。「エアリィとしては喜ばしい事では?」

「そうですね」

「あまりにも豪快すぎて、見ているこっちは気が気ではありませんが」

「そういう点ではアベルとは気があったのではありませんか?」

「そうとも言える。お互いに奔放すぎる親を持ったからね。だから、アベルの婚儀は僕としてもうれしい」

「ケリオスの方は?」

「アベルに紹介してもらおうかな」

「それにしてもこの風景はどこも同じですね」

「トレーダーも?」

「ええ、めでたいときはとことん祝います。結婚の儀となるとちがいがありますが、それでも盛大に祝うのは変わらないです」

「生きている場所は違えど根本的なところでは変わらないということかな」

「そう思いたいですね」

 誰かが月琴を奏でだす。

 ひらけたところで火がたかれ、それを中心に音楽と踊りの輪ができる。

 アベルの長い一日はまだ終わりそうになかった。



 2.



 エアリィがオーリス・ハウントと契約を交わしたあの日から二十日が過ぎようとしていた朝のことだった。

 閉店間際を狙ったように彼は現れる。

「よおっ、元気だったか?」

 ひょっこりと何気ない雰囲気で少女の店に顔を出したその表情は、よく言えば愛想のいい笑みを浮かべていた。

「まあ、わりと」

 少女の声はフィリアが驚いて振り返るほど冷めていて平坦だった。

「そうか、それはよかった」

 彼の胡散臭い笑みに変化はない。

「よくありませんよ」

「すまない」

 睨みつけてくる少女にオーリスは頭を下げた。

「本当にそう思っていますか?」

「思っているとも」

「逃げられたかと思いましたよ」

「どこへだよ?」オーリスは笑う。「ロンダサークからは逃げようがないぞ」

「オーリスなら、砂漠ででもイクークなみにしぶとく生きのびそうですが?」

「お前じゃあるまいし、そんな生き方できるかよ」

「あたしもですよ。生きぬいてやろうとは思いますけれどね」

「本気で生き抜きそうだから怖いな」

「逃げられたと思ったのは本当ですよ」

「信用がないな」

「どこにあるというのですか? オーリスにあたしはそういったものを見せられたことはまだありませんが?」

「それもそうか」オーリスは屈託なく笑う。「そんなおれを信用してくれたんだから、こうして戻ってきたんだろう?」

「どうでしょうねぇ」

「少しは心配してくれたか?」

「貸したお金のね」

「踏み倒しはしないさ。おれの名に懸けてな」

「どこからそういう自信が出てくるのでしょうね」少女は少し呆れる。「それで、どこでなにをしていたのです?」

 あの晩以降、少女と約束を交わした彼は借り受けた金を手に姿を消した。誰もその行先は知らなかったのである。

「塀の外で労働奉仕」

「オーリスが?」

「そうだよ。なんか変か?」

「意味がわかりません」

「個人的にそうしたかっただけだからな」

「なぜ、そういってくれなかったのです」

「そういう決まりだからな」

「ちゃんと説明してください」

「こいつとだったからな」

 オーリスが後ろを指さす。

「どちら様ですか?」

「グッダさ」

 初老の男は居心地悪そうに会釈する。

「その方がオーリスのご家族ですか?」

「そう」彼は頷いた。「おれのおやじだ」

「何を言っているのですか」その言葉にグッダは慌てる。

 彼はお世辞にも良い身なりではない。周囲の視線を気にしてか所在なさげであった。

「はじめましてエアリィ・エルラドです」

 少女は彼の前に立つとかまわず手を差し出すと、困惑しながら初老の男はその手を取る。

「グッダです」

「少しですが、オーリスから話はうかがっています。災難でしたね」

「この子がお前さんの命を救ってくれたんだ。感謝してくれよ」

「こんな老いぼれを助けてくれて、ありがとうございます。老い先短い身で返し切れるかどうか……」

「あたしはオーリスから頼まれただけです」

「返すんだよ。グッダにはその才があるさ」

「こんなに落ちぶれてもですか?」

「運、不運は誰でもある。今度こそ道を間違えなければいい。それにこいつの商売を引き継ぐんだ。それぐらいなら造作もない事だろう」

 オーリスの言葉にグッダも少女も驚きの声を上げる。

「そんな話聞いていませんよ」

「そりゃあ今、初めて言ったからな。それにエアリィ、そのつもりはあるんだろう?」

「あたしはオーリスにその話をしたことはありませんが?」

「推測だがな」オーリスは言う。「まあ、こんな話、往来ですることではないだろう。場所を移してじっくり話をしようや」

 彼は二人ににこやかに話しかけるのだった。


 オーリスが商工会議所に顔を出すのは十年ぶりだった。

 彼を知らないものも増えていたが、それでもフタヒラら古参の者達がかわるがわるあいさつに訪れる。

「どういう風の吹き回しですかね」

 怒っている風ではなさそうだが、シュトライゼの表情はまったく読めない。

「商談だからな。ここがいいんだよ。その権利はまだあるだろう?」

「あなたが商工会の一員であることを忘れていなかったことは幸いですね」

「お茶も出れば、菓子もあるだろうからな」

 全員のお茶を運んできたデリンダに言う。

「ここは休憩所ではありませんよ」

「そうかたいことは言うな。おれもグッダも今は住所不定だ」

「今まで住んでいたところはどうしたんですか?」

「引き払った」

「これからどうするのです?」

「それを話すつもりでここに来たんだよ」

「それは楽しみですね」

「ご期待に添えるようにしよう」

「つまりわたくしは立会人ですかね」

「そういうことだ。これ以上の者はいないだろう?」

「ベラル師でも、五家でもないと」

「それも考えたが、シュトライゼ、お前さんにも責任の一端はあるからな」

「何のことでしょう」

「とぼけんなよ」

「はてさて」

「お前がエアリィをそそのかし、おれのところに連れてこなければこうはならなかったよ」

「出会うべくして出会ったのですよ」

「作為がありまくりのな」

「あたしは楽しいですよ」

「だそうです」

「おれはよくねぇよ! 平穏な生活を求めていたんだ。穏やかに余生を送るつもりだったんだよ」

「何もかも捨て去って、逃げ出すなんて認めませんよ」

「おれの人生だ」

「それは認めますよ」

「ならば放っておいてくれればよかったんだよ」

「そうはいきませんよ。あなたは多くの者をすでに巻き込んでいるのです」

「もう十年前だ」

「時なんて関係ありませんよ」

「そうだな」オーリスは軽く吐息をもらす。「お前がわざわざ出向いてこなけりゃな」

「かかわり合うことを選んだのはあなたです」

「そうですよ」少女は笑顔で同意する。「おしかけもしましたけれど」

「だからだよ」

「そうでもしなければあなたは向き合ってくれなかったでしょう」

「そんなことはない」

「本当ですか?」

 その場の全員がオーリスを見つめる。

「まったく、お前らは……、嫌が応にもおれは向き合う羽目になったよ」

「ならば無駄ではなかった」

「そうであってほいしです」

「いい迷惑だ」

「そうでもしなければ、今この場にあなたはいなかったでしょうね」

「はた迷惑な奴らだよ」

「どういたしまして」

 少女の笑顔がティナの笑みと重なる。

 それらが彼の中に渦巻いているものすべてをかき回していく。喜びも悲しみもないまぜになって記憶がよみがえってくる。

「さて、今のあなたは何を始めようというのです?」

「たいしたことじゃない」

「そうですか、聞かせていただきましょう」

 悪くない顔つきだ。シュトライゼはオーリスを見てそう感じた。

「まずはエアリィに借金を返さないといけないからな」

「そうですよ。本当に逃げられたかと思ったのですから」

「その件に関して不服申し立ては受け付けますよ」

「お前はまだおれを罪人に仕立て上げたいのかよ」

「これまでの十年を考えますと、わたくしとしてもそうしたいところですね」

「嫌なこった。異議を唱える」

「それは冗談として」

「おい!」

「実際問題として、エアリィ嬢にはその権利はありますよ。口約束だとしてもあなたは姿をくらましていたのですからね」

「判っている。それが決まり事とはいえ、すまないと思っている」

「何をしていたんですか?」

「そうだな。まずは」オーリスはグッダを見て、それから二人で少女に向かって深々と頭を下げる。「ありがとう。エアリィのおかけで、おれもグッダも命を救われた。こうして生きながらえることができた。改めて感謝する」

「本当に心配したのですよ」

「すまなかった」もう一度彼は頭を下げる。「遅くなったが改めて紹介する。こいつがグッダ。おれのおやじであり師匠だ」

「そのようなたいそうなものではありません」

「何を言ってやがる。グッダがいなければ店はなかった」

「確かにグッダさんはハウント商会の屋台骨を支えていました」

 シュトライゼはオーリスに同意する。

「昔の話です。今は無一文の何の力もない老いぼれです」

「本当だよな。二人して朽ち果てる予定だったのによ」

「そんな気もないくせに」

「死にきれなかったのは事実だが、本気でそう考えていた」

「今は違うのですよね」

 少女は訊ねる。

「そうだな。おれたちの命はエアリィの手に握られているんだからな」

「にぎっていませんよ」

「それは本当ですよ。エアリィさん。砂漠に放り出され、そのまま朽ち果ててもおかしくない命でした」

「そういうこった」

 オーリスは少女から借り受けた金を持って五家との交渉にあたり、言葉巧みに彼らを説き伏せた。それは前例のない事だった。

「それは見たかったですね」

 シュトライゼは本気で口惜しがっていたし、少女もそれには同意見であった。

「ですが、私自身が罪を背負って労働奉仕を行えばよかったはずなのに」

「年寄り一人に十五日間も過酷な労働をさせられっかよ」

 オーリスは笑った。

「それほど老いぼれではありません」

「まあ、結果としては乗り切れたが、あれをひとりでやりきるのは無理があったぜ。おれでも限界ギリギリだったからな。それにおれ自身グッダとじっくり話をしたかったし、考える時間が欲しかった」

「今まで散々逃げ回っておいて、今更ですか」とシュトライゼ。

「お前はいちいちうるさいんだよ」

「すいませんね。性分なものですから」

「なにをしていたのですか?」

 少女はあらためて訊ねる。

「石切り場にいた」

「本当ですか?」

 目と鼻の先にいたのである。

「嘘を言ってどうする」

「ですが、あたしは何度も石材を運んでいるのですよ」

「知ってるよ。罪人の無償奉仕は人と会うことが許されていないからな」

「そうなのですか?」

 少女の問いかけにシュトライゼも頷く。

「採掘坑に潜らされていたよ」

「そうですか。あそこは人手がいくらあっても足りないという話でしたからね」

「過酷だよ。逃げたくなるのも判る」

 肺が焼けるほどの熱気がこもる灼熱の坑道。肉体を酷使する石の切り出しや搬送。何度も意識がもうろうとし、倒れそうになった。誰の助けも受けることが出来ず過酷な労働を乗り切らなければならない。

「サウンドストームの音が聞こえたよ。お前さんも頑張っている、それで判ったよ」

 そして彼自身も励まされた。

「よくもちましたね」

「本当ですね」

「無心だったからな。本当に必死だった」

「悟りは開けましたか?」

「無理だったな」シュトライゼの問いかけに苦笑する。「お前は欲の塊だから、こっちへは来るなって言われたな」

「誰にですか?」

「秘密だ」

 満面の笑みを浮かべてオーリスは笑う。

「その時、散々オーリスと私は話し合ったのです」

「こいつにエアリィのところで修業させる」

 困惑するシュトライゼとエアリィだった。

「私は年だ。こんな老いぼれよりもオーリスの方がいいと言ったのですがね」

「人の話を聞きはしないと」シュトライゼは微笑む。「逃げる、というわけではなさそうですね」

「当り前だ。おれの体は二つもないからな」

「説明をお願いします」

 少女は静かに訊ねる。

「確認するが、エアリィ、お前さんは事業を引き継げるものを探している。それは間違いないな?」

 オーリスの問い掛けに少女は頷く。

「わたくしもエアリィ嬢も一切あなたにそんな話はしていませんが」

「そうだったか?」

「そうですよ」

「そういうことにしておこうか」オーリスは微笑む。「トレーダーがオアシスに定住するなんてのはあり得ねぇ話だからな。そうだとすると、事情があってのことだろう。期限がどれほどあるか判らないが、それを承知の上で商いを行い、こいつは成功を収めている。五家、レイブラリーあたりとの約束もあるんじゃないかな。こいつは大店にはその権利を譲るつもりはないみてぇだしな。そんな気があるんだったらもっと早くに大枚を手に入れているだろうしよ。そうだろう?」

「はい」

「ならば引き継げるような信頼できる人材を求めたいところだが、そんな伝手はそうそう見つかるもんじゃない。それでシュトライゼに相談したってところだろう」

「その通りです」

「シュトライゼの野郎が、最初っから素直に話をするわけもないしな」

「あなたが相手ですからね。また雲隠れでもされたらたまったもんじゃありません」

「ご苦労なこった。もっとも、こいつの思惑はエアリィと違っていたんじゃねぇかな」

「どうでしょうね」

「まんまと乗せられてしまったがな。相変わらずの策士だよ。おれとこいつを利用したんだからな」

「策士ですか」笑っているようにも聞こえるが、目は真剣そのものだ。「たとえそうだとしても、わたくしひとりの力ではどうしようもありませんでしたよ」

「あたしも、そうであったとしても、オーリスがいてくれたのでよい勉強になりました」

「こいつもエアリィくらい真っ直ぐだったらよかったのにな」

「すいませんね。ひねくれていて」

「今に始まったことじゃねぇよ。まったく思い出したくもねぇ過去をほじくり回されて、振り回される身にもなってみやがれ」

「すいません」

「エアリィが謝ることじゃねぇよ。悪いのはすべてシュトライゼだ」

「ですが……」

「そうですよ。わたくしが望んだことでもあるのです」

「殴り倒してもいいか」

「お断りです。そうされるような筋合いはありませんから」

「大ありだよ。お前っくらいの悪党はいねぇよ」

「わたくしはきっかけを作って差し上げただけですよ。自分の殻に閉じこもって周りを省みもしないような大ばか者にね」

「バカは認めるよ」

「よかったですよ。気付いていただけて」

「シュトライゼさんには、確かにそういって人を紹介してもらおうと思っていました。一筋縄ではいかないと最初から注意もされていました。それでもあたしが決めて、あたしがオーリスにお願いしたいと思っていました。それはまちがいなくあたしの意志です」

「まったくどうやればこんなに真っ直ぐになれるんだろうな」オーリスは肩をすくめグッダに言う。「なあ、おれが言ったとおりだろう?」

「本当ですな。ティナ様を見ているようです」

「興味がわくだろう?」

「そうですね」

 やりがいがありそうです。そう思いながらグッダは頷く。

「こんなガキなのにいっぱしの商人面だ」

「あたしはトレーダーです」

「言われなくとも、判ってるよ」笑みを絶やさずにいう。「グッダ。一緒にやってみろよ。絶対に面白い。フォローだってお前さんの方が向いている」

「本気で言っているのですね?」

「おれが太鼓判を押す」

「勝手に話を進めないでください」

「そうですよ。オーリス」

「どうしてオーリスではないのですか」

「おれがすべて引き受けてしまったら、グッダの仕事が無くなっちまう」

「それだけの理由ですか? あたしはオーリスにやってもらいたいのですよ」

「光栄な話だな」

「だとしたら、どうして」

「エアリィがおれにこだわる意味が判らんがな。グッダはすごいぞ。なあシュトライゼ?」

「そうですね。過去にあれだけのことを積み上げてきたのですから」

「失敗した意味はこいつも判っている」

「散々失敗した意味を考えさせられましたよ」グッダは苦笑するしかなかった。「心が鉈で切り刻まれるようにですよ」

「それはご愁傷さまです」

 シュトライゼがグッダに言う。

「失敗を糧にすれば同じ過ちは犯さないだろう」

「だといいですね」

「あたしの店が小さいから? 子供でもできると思ったから?」

「そんなんじゃない。ことここに至るまでおれはお前さんを見てきたからな。あれは小回りが利くからできることだし、ガキにでもできるような商いじゃないことは承知している。何も土台のないところから信用を勝ち得て積み上げていくことくらい大変なことはないからな。お前さんという異色の存在があったにせよだ。それに積み上げていった大切なものをエアリィが絶やしたくないこともよく理解している」

「だったら……」

「おれよりも、グッダの方がそういった方面に精通していることもある。お前さんが相手している連中は裕福な者は少ない。そんな中からお前さんの商品を買ってくれているんだ。それに応えたいんだろう?」

「はい」

「だからこそグッタならできる。こいつもひとつのことをとことん突き詰めるのは得意だからな。のめり込むぞ」

「そういえばそうでしたね」

「だからこそ任せられる」

「もう一度チャンスをいただけるのなら」

 グッダは少女に頭を下げる。

「オーリスはどうするのですか?」

「シュトライゼに高く雇ってもらうさ」

「嫌ですよ」

「そういうなよ。せっかくやる気を出してんだぜ。狙ってたんだろう?」

「そんな余裕が商工会にあると思っているのですか?」

「作ってやるよ」

「言い切りましたね」

「そう言った方が高く売れるからな」

「策があるのですか?」

「そんなものポンポンすぐ出ると思っているのか?」

「判りませんよ」

「それに、起こるかもしれない」

「何がですか?」

 少女は驚く。誰もがオーリスを見た。

「なんだろうな」オーリスはおどけた様に言った。「エアリィ、おれはグッダにお前のことを任せるが、まったくかかわらないってわけじゃないからな。それは約束する。その上で頼む。グッダにチャンスをやってくれ」

「ずるいですね」

「大人だからな」

「本当ですよ。あたしがどんな想いであなたに応えたと思っているのですか」

「すまない」

「そう思っているのでしたら、毎日、店には顔を出してくださいね。毎日ですよ」

「毎日か」オーリスは苦笑する。「契約に盛り込んでくれ」

 少女はシュトライゼとフタヒラの立ち合いのもと、オーリス、グッダと正式な契約を交わすことになる。

 そして翌日からグッダは少女の店を訪れ、新たな商いを学び、少女をフォローしていくことになる。グッダの知識と経験はオーリスが言うように少女をうならせる。

 少女は彼を信頼するようになり、徐々に店をまかせていくのだった。



 3.



 廃棄地区の再建作業は長老会の承認が下りる前から始まっていた。

 マサと石工の筆頭トーラムが陣頭指揮をとり、崩れた外壁の調査が行われていたのである。

 命綱を頼りに石工達はハンマーを片手に外壁の上から下に向かって降りながら石材の状態をくまなく調べてまわる。

 長年にわたって放置されていた石材の痛みはひどく、崩れ露出していた場所ではわずかな衝撃でも崩落が起き、大小様々な石が落下するという危険な状況での作業となった。露出してしまった部分のほとんどは風化し使い物にならない。トーラムが初めに予想していた以上に石材が必要なことが判ってきたのである。

 長老会の承認を得て、工事は本格化する。

 もろくなっていた石材は取り除かれ、新たな石材が運び込まれ竜巻の力にも崩れないように積み上げられていく。

 ここでも少女のウォーカーキャリアが存在感を示した。

 小型ながらそのパワーと飛行能力を活かし、難しい場所でも石材を搬送していき、外壁の整備にも役立っていた。石切り場での切り出し作業は難航し、工期はやや遅れ気味になっていたが、その遅れを取り戻すようにウォーカーキャリアが活躍する。

 外壁と並行して新しい港湾施設の建設も進められ、サウンドストームによって、最初の基礎となる超大型の石材が石切り場から運び込まれた日は圧巻であった。

 計算上は可能だと判っていても、その大きさと重量を考えると最後まで目が離せない作業になった。

 巨大な基礎石が持ち上げられ、中空をゆっくりと移動していく姿に人々は畏怖の念を抱く。空を飛ぶ小型のウォーカーキャリアのどこにそのような力が秘められているかと思うのである。

 トレーダーですらそれは驚きに値する光景だったはずだ。デドライもヴェスターとともにウォーカーキャリアが飛行し巨石を運ぶ様子を見ていた。サウンドストームのエンジンはかつてデドライが乗っていた愛機の物が使われている。復活したエンジンの鼓動にふるえ、その力に新たな可能性をデドライも感じたのである。


 下町の多くの住人が見つめる中、巨大な石材が轟音とともに進んでいく。ヴェリール・ナハで待つ人々は外壁の向こう側に巨石が姿を現したとき拍手と歓声をもってウォーカーキャリアを迎える。

 しかし、少女にはそんな彼らの様子を見ている余裕はなかった。

 わずかな風でも巨大な石材は振り子のように振られ、大きく機体が持っていかれそうになり、速度やエンジン出力に細心の注意を払いつつ操縦を続ける。一番の難関は石材を正確に降ろす作業だった。トーラムや石工たちの誘導に従い何度も微調整を重ね時間をかけてでも定められた位置へと石をおろしていく。

 練習を重ね、作業を何度も確認し合っていたにもかかわらずアプローチを二度もやり直すことになった。

 エアリィは作業が終了したというサインが出た時には心底胸をなでおろした。

 コックピットから出て地上に降り立った時には膝に力が入らず、その場に手をついてしまう。八時間以上にも及ぶ作業は少女の体力も気力も奪っていた。

 少女が恥ずかしいと思う間もなく人々がエアリィを取り囲み、胴上げをする。そのまま少女は宴の中心へと運ばれていく。

 ねぎらいの言葉や祝辞などを少女はぼんやりと聞いていた。

 気が付くと意識が飛んでおり、いつの間にか館に運び込まれ、目覚めた時にはベッドの上だった。

 実感がわいてきたのは翌日、現場に立ち巨大な石を見上げてからだった。

 サウンドストームと少女がやりとげた。

 その時の様子をシュトライゼは正確にイラストとともに描写していた。


 砂だらけの廃墟だった地区はゆっくりとではあったが姿を変えていく。

 覆い尽くしていた砂が外壁の外へと放出され、徐々に家々や建造物が姿を現すと、かつてここに街があったことに気付かされるのだった。

 壁や柱だけが残された建物は重機によって取り壊され、整地されて区画の整理が行われる。

 メモリアル地区や農区以外で、下町では初となる整備された地区造りとなった。

 最初に一度解体された一号高炉が運び込まれ、組み立てとともに新しい外装の建設が始まっていく。工区の象徴と言える施設が見違えるような真新しい建物となって姿を現した。

 そのヴェリール・ナハを移住予定の者達が訪れる。整地された場所を見ながら思い思いに家を建てていくことになる。ほとんどは石工達によって建てられていくのだが、中には自ら設計し建てる者もいるという。

「思っていた以上に土地が広いね」

 地図を片手にアベルは周囲を見回す。

 土地と土地との境目を現す小さな杭が立っている。線引きこそされていないが、アベルとイスタリカが立つ場所が二人の土地となっている。

「他の人よりも広いんじゃない、アベル?」

「頭の工房と同じくらいの面積だと聞いたけれど……」

「他の移住してくる人たちと同じがよかった?」

「今後のこととか考えるとね。少し……」

「いいじゃない。もらえるものはもらっておいた方がいいわ」

「イスタリカは凄いな」

「わたしだって怖いわよ。こんな街の中心部よ。いわば一等地! そこに家と工房が立つのよ。信じられないわ」

「自分の家があるだけでも奇跡なのに。それなのにこんな場所を提供されるなんて思いもよらなかったよね」

「気にしたら負けよ」

「負けって……、勝ち負けなんてあるのかな?」

「アベルは後継者なのよ。もっと自信を持ちなさいよ」

「確かに自分の工房が持てればなんて思っていたけれど、頭の後を継ぐなんて、そんな自信なんてないよ」

「泣き言言わない。わたしだって怖いし泣きたいんだから、次期工の頭夫人なんて言われるのよ……」

 イスタリカは顔をしかめ身震いする。

 二人は顔を見合わせては深いため息をつく。砂すらも外壁の外へ飛ばしそうな勢いだった。

「どうしたのよ、お二人さん。辛気臭い顔してさ」

 そんなアベルの背を少女は思いっきり叩く。

「エアリィ、どうして?」

「イスタリカさんもこんにちは」

「こ、こんにちは」イスタリカは差し出された手をぎこちなく握り返す。「えっと、Eマークはよく使わせてもらっています……」

「本当ですか? ごひいき、ありがとうございます」

 少女は満面の笑みで応える。近頃では大店でも似たような商品が売り出され、競争が始まっていたのである。

「どうしたの、イスタリカ?」

 ぎこちない様子にアベルは問い掛けるが、イスタリカは首を横に振り何でもないというだけだった。

「先日はあまりゆっくりお話しする時間がなかったので、お会いできてうれしいです」

 にこやかに話しかけてくる少女に対して、イスタリカの表情は固い。

「やっぱり緊張している?」

「し、してるわよ。だって、だって」

「トレーダーだからですか?」

 トレーダーだからゆえに怖がられることは判っているので、少女は笑みを崩さずイスタリカと向かい合う。

「ご、ごめんなさい……」

 肩を落とし何度もイスタリカは頭を下げる。

「気にしないでください」

「ぼくも初めは緊張したけれど、普通だよ」

「そうなのかな」

「そうですよ。あたしもアベルと同じように接してくれるとうれしいです」

「よ、よろしくお願いします」

「イスタリカぁ~」

「だって、だって、わたしは初めてなのよ~。アベルとは違って慣れてないのよ~」

 半泣き半笑いの状態だった。

「それはそうだけど……」

「これからはいろいろなところで、いろんな人と会うことになるのですよ」

「そうなのよね……」

 これはイスタリカも想定していなかったことだ。

「アベルはマサさんの助手でもありますから」

「本当にいろんなところに使いに出されるからねぇ」

「人づかいが荒いですよね」

「本当に」アベルは頷く。「いまだにぼくも緊張する。遠くからしか見たことがない人や噂でしか知らないような人たちとも会ったりするんだからさ」

 ベラルなど五家の人々やその徒弟達だけではなく、各職域の首長達とも顔を合わせ連絡を取り合わなければならない。その手伝いを彼もさせられているのである。

 様々な人達と接していくと自分がいかに狭い世界しか知らなかったかがアベルにも判る。

「いつの間にそんなに偉くなっているのよ」

「ぼくじゃないよ。頭がいてのことだし、エアリィがいなければ知らない世界だった」

「わたしはとんでもない奴と結婚するのかしら?」

「とんでもないって……、ぼくはいたって普通だよ」苦笑するしかなかった。

「アベルは普通ですよ。まわりがみんなクセの強い人たちばかりですから」

 少女はそう言って、やって来たクロッセを指さす。

「僕がなんかした?」

「五十一区の爆発暴走男よ」

 それでイスタリカも判ったようだった。

「クロッセ・アルゾンです。いたっておとなしい男ですよ」

「静かになった時の方が要注意なのよ。高確率で爆発が起きるわ」驚くイスタリカに少女は何度も頷く。「壁を突き破るの」

「そんなこと滅多にないよ」

「毎回そういう爆発を起こされたら、周囲は大変よ」

「ああ、うるさいなぁ」

 小言を言う少女にクロッセは耳をふさぎながら言う。

「クロッセ先生は、サウンドストームの生みの親で、高炉の技術顧問もしているんだよ」

 アベルがイスタリカに紹介しながら付け加える。

「お役に立てるよう、頑張ります」

「本当よ、こわさないでよね」

「やらないって!」

「えっと、旧区出身の方ですよね?」

「一応」

「そうは見えないでしょう?」

 少女の問い掛けに頷いてしまうイスタリカだった。

「自分があそこにいたなんて記憶のかなただから、いいんじゃない」クロッセは気にならない様子だった。「それにエアリィだってそうだろう」

「まあね。想像していたのとは違うでしょう? あたしもクロッセも」

 頷きかけて、慌てて首を横に振るイスタリカだった。

「よかった。今度お店に来た時は声をかけてくださいね。おまけしますから」

「あ、ありがとう」

「それで、アベルは下見?」

「そんな感じ」

「予定地はどう?」

「実感がわかないんだよね」イスタリカもアベルの言葉に頷く。「ここに家が建つなんて」

「想像すればいいよ。でっかい家が建つんだって」

 手を大きく広げるクロッセ。

 アベルは苦笑いするしかなかった。

「うれしくないみたいね」

「なんていうか、本当にいいのかなって」

「アベルは自分の今の家にこだわっていたもんね」

「こだわりとか、そういうんじゃなくて……」アベルは少し考え込む。「あの家は両親が残してくれた唯一のものだから……」

 弟子入りし、両親が亡くなってからは休みの日以外は寝に帰るだけだったりするが、それでも大切な思い出の詰まった家だった。

「もし独立することができたら、工区からは外れているけれど、小さくともあそこで店を開けたらって思っていたんだ」

「それがアベルの夢だったもんね」

「でも、のちのことを考えたら、ここの方が広くて便利じゃないのかな?」

「そう簡単なことじゃないよ」クロッセが少女の後頭部を軽く叩く。「長年住んでいれば愛着も湧いてくるんだよ。それが唯一残されたものだったりしたらなおさらだよね」

「あ~、そうなのね。ごめんなさい、アベル」理解した少女は素直に謝罪する。「でもクロッセに言われるとは思わなかったわ。それにあたしにはそういうことがよくわからない。あたしたちは定住することがないから」

「トレーダーだって、ウォーカーキャリアが家みたいなものだろう? それを簡単には手放せないだろう」

「そういう考え方もあるか。でもファミリーの中でもウォーカーキャリアを変えたりもするから、あまり自分の家という感覚はないわね。ウォーカーキャリアはファミリー共有の財産だし」

「それが環境の差でもあるんだろうな」

「今のクロッセが言うと実感がともなって聞こえてくるわよね」

「いまだにギャップを感じる時があるからね」

「それに決めるのはアベルですものね」

「なにがだい?」

 アベルは少し話についていけなかった。

「クロッセも、この地区に移住しないかって誘われたのよ」

「でも、五十一区に残ることにした」とクロッセ。

「そうなんですか?」

 アベルは驚いて訊ねた。

「マサさんに誘われたんだ。近くにいた方が何かと話も進めやすいからってね」

「どうして断ったんですか?」

「どうしてと訊かれると、やっぱり五十一区が好きだからかな。僕を受け入れてくれたところだし、これからも何があっても僕を受け入れてくれるから」

「ほかの地区だったらはた迷惑で、放り出されていたかもしれないものね」

「絶対にそうなっていたと思うよ」

「そこは自信あるんだ?」

「認めたくないけれど」クロッセは苦笑する。「土地や物には捨てきれない想いもあるだろうけれど、それでも新しいことにチャレンジしていきたい気持ちもあるだろうと思う。そのどちらも大切なことで、どれが正しいことだなんて判らない。それでもマサさんはこの地に根を張ろうと思ったんだろうし、僕は今までの場所で頑張ろうと思った」

「クロッセにしてはずいぶん真面目な話をするのね」

「茶化すなよ」顔を真っ赤にしながら言う。「残ると決めた僕が言うのも変かもしれないけれど、どちらの選択も大切だよ。進む決断が未来を作るのだし、それがあるからこそ先へと歩み続けることができる」

「では残る意味は?」

「守るべきものに意義がある。ただそれにしがみ付いているだけでは何も解決にはならないだろうけれどね。結果は未来にしかわからない」

「ヴィレッジの連中とマサさんやクロッセみたいな人たちをさしているのかしら?」

「どうだろう。アベルはどちらだろうね」

「ぼくは……」

「シェラも五十一区に残るって決めているし、僕はそれにしたがうだけだしね」

「シェラの言うことはなんでも聞くのね」

「なんでもってわけじゃないけれど……」

「アベル。今度のイベントでね、クロッセとシェラの結婚式をあげるという話があったのよ」

「それはおめでたいですね」

「それは断ったじゃないか」

「式のお金も全部、商工会持ちだし、なにも心配はいらないのによ」

「どうして断ったんですか?」

「もうみんなに祝ってもらっているし、今さら式だって言われても目立ちたくないって、シェラと話をして、断った」

「そうなんですか」

「それでねアベル」

「なに?」

 何かをたくらんでいるような少女の顔つきにアベルは嫌な予感がした。

「クロッセとシェラに断られたので、あなたとイスタリカさんにその話が回ってきたの。二人に代わって式をあげてくれるわよね」

 有無を言わせない口調であった。

 満面の笑みで少女はアベルとイスタリカに笑いかける。その後ろではクロッセが済まなそうに何度も謝っていた。

 もう何が来ても驚かないとアベルは思っていたが、やはり驚きの声をあげてしまう。


「よく考え付きましたね」

 シュトライゼは結婚式の式典の様子を見渡しながら少女に言うのだった。

「シュトライゼさんほどではありませんよ」

「エアリィ嬢の方が、斬新かつ遠大だ」

 自分のような謀略とは違うと言いたげでもあった。

「そうでしょうか?」

 トーラムによって造られデザインを施された荘厳な石造りのアーチを見上げながらシュトライゼを見る。新しい市場の外観は港湾地区のそれとは似ても似つかぬものだった。旧区や始まりの地のモニュメントのような造りである。

 少女はここを集会やイベントにも使えるような規模の大きい施設にとマサに提言していた。

 思いもよらぬ提案に難色を示す者もいたが、再建には人を集める呼び水になるものが必要だと少女は説いた。人を惹きつけ暮らしをより良くするものとして考え、移住してくる住民達の施設としても考慮して作られた。

 広く再生のためのものとしてアピールされ、メモリアル地区以外にも大規模な施設が造られることとなった。そして、その初めてのイベントとしてシルバーウィスパーの入港式典と、アベルとイスタリカ両名の結婚式が施設のお披露目として行われる運びとなる。

「なんとなく、シルバーウィスパーが入港するだけでは、盛り上がらないかなと思って」

「それでも十分なものだと思いますけれどね」

 三本のマストにある帆を全開にして入港する姿は港湾関係者でもそうそう見られるものではない。

「日の光を反射し、七色にゆらめく帆はきれいですからね」

「人を呼ぶには十分インパクトはあるかと」

 そのための宣伝は商工会議所でも行っていた。

「多くの人が来てくれると思いますが、施設のアピールにはならないかなと思ったのです」

「確かにシルバーウィスパーは遠くからでも見ることが出来ますからね」

 建物らしい建物が少ない今なら四方から見放題であった。

「ここがこういう使い方もできると知ってもらいたいじゃありませんか」

「なるほど、施設の宣伝としてはいいですね」

「そのためにトーラムさんには無理を言ったのですから」エアリィは苦笑する。「あたしの知る限り、ホーズルというオアシスでは、花嫁と花婿が砂上船に乗り、船出して式をしめくくるという儀式を行っていました」

「それとは逆に花嫁だけが船に乗り、花婿が入港を待つという形に変えたのですね。これだけ盛大かつ大舞台を使っての式もそうそうありませんからね」

「旧区にもないらしいですよ」

「でしょうね」

「ホーズルとは考え方を変えてみて、入港とともに花嫁を迎え入れるというのは大がかりでおもしろいかなと」

「実に面白いですよ。そしてあなたは博識だ」

「おせじはいいです」

「そんなことはありません。我々が思いもしなかったことを考えてくれる」

「自分で思いついたものではありませんよ」

 それまで見聞きしてきたものをアレンジしたにすぎない。

 少女はただ毛嫌いし詳しく見てこなかった自分を恥じ、様々なオアシスを詳しく見ていたらより良いものを考え付いていたかもしれないと思ったのである。

「誰も考えたことがないものなど、今の世にありうるでしょうかね。すべてを模倣してしまうのなら、それはほめられたものではありません。あなたは見聞きしたものをロンダサークに合わせてやろうとしているのです。それは我々にはない事であり、誇るべきものです」

「あ、ありがとうございます」

「わたくしは楽しくて仕方がないのですよ」

「ご期待にそえるものでしたらいいのですが」少女は少し困惑する。「この地区が再建されて完全に自立するまで、まだまだ時間がかかります。人といえば工事関係者ばかりで活気と言えるものはまだありません。おおいに盛り上げたいですし、人が集まってほしい」

「そのイベントのひとつが今回の式というわけですよね」

「トーラムさんは、はじめあまりいい顔をしてくれませんでした」

「ですが趣旨を理解してくれたら、このような素晴らしい建物を作ってくれましたよね」

「市場には見えないかもしれません。監督も驚いていました」

「旧区にあるようなデザインか、聖霊の住まうような場所に見えますからね」

「そういうイメージで、トーラムさんにはお願いしましたから、シュトライゼさんにそういっていただけたのでしたら成功です」

「この建物も四六時中、市場として使うというわけではありませんからね」

「いろいろと使い道を考えてみました。その第一号としてシェラとクロッセの式をと思ったのに」

「お二方には逃げられてしまいましたね」

「残念です」

 少女は心底悔しそうだった。

「アベル君には悪いですが、ぜひとも協力してもらいましょう」

「そのつもりです」

 マサにもバックアップをお願いしていた。

「衣装の方も、パニーシは乗り気になっています」

「よかった」

「あなたの、新しい流行を作りませんか、という言葉が響いたのでしょう」

 結婚式の衣装はそれぞれの地区で古くから使われている伝統的なデザインがほとんどだった。目新しい事のなかった世界に少女は光を当てようとしたのである。

「レンタルという考え方も面白いです」

「一度だけのものに高いお金はかけられないでしょう? 地区によってはおさがりも多いと聞きます。オーリスが言っていたとおり日々の暮らしに手一杯という方も多いでしょう。一生に一度のこととはいえ無理はできないでしょうから」

「地区や家柄とかに縛られないような式というのもいいかもしれませんね。見本をいろいろと作ってみるとパニーシも言っています。若手職人の方々も大張り切りの様子でした」

「どのような衣装になるか楽しみですね」

「そうですね。そしてそれを見た人が新たに利用してくれるようになれば、商工会としてもありがたいです。そのあたりの戦略もオーリスには考えてもらっていますよ」

「無茶ぶりだって怒っていませんか?」

「知ったことではありませんよ。こちらは高い金をオーリスに払っているのです。給金分の仕事は最低限してもらいますよ」

「そうですね。がんばってもらいましょう」

 少女とシュトライゼは笑いあう。


 マサとベイドール家との間で式の日取りがシルバーウィスパーの入港に合わせて急遽取り決められた。

 アベルとイスタリカの婚約は二人のあずかり知らぬところで大事へと発展していき、予想外に大きなものとなって二人を祝うことになったのでなる。



 4.



 その日、砂上をシルバーウィスパーは進んでいく。

 親方は副長に操舵を任せ、腕組みしその様子を船上から眺めていた。目指すはヴェリール・ナハの新しい港湾施設だ。

 三本のマストには帆がいっぱいにはられ、風にはためくとともに帆は七色に変化していく。砂ばかりの単調な世界に船体とともにきらびやかに浮かんでいる。

 列席した関係者も訪れた人々も美しい姿に思わず見入ってしまうほどだった。

 接岸近くなると船からロープがおろされ、重機に結び付けられ接岸作業が行われる。

 その作業する中にはアベルの姿もある。ジッとしていられなかったようだ。

 舷側の搬送用扉のすぐわきから誘導路を作るように両脇に関係者や二人の親族が並ぶ。

 シルバーウィスパーの舷側の扉がゆっくりと開かれていくとともに、五家の徒弟達による盛大な音楽が場を盛り上げる。

 父親に導かれ華やかな花嫁衣装に身を包んだイスタリカが姿を見せると、その美しさに感嘆の声が上がる。

 アベルの元へと進み出たイスタリカは彼の手を取ると、祭壇の元で待つベラル・レイブラリーの前へと進み出る。

 その間も五家の徒弟達による荘厳な演奏は続く。

 ベラルの問いにアベルとイスタリカは声を合わせ結婚を誓い合う。

 祝福するベラルの言葉とともに彼は唄をその場で披露し、二人の門出を祝ったのである。

 初めての様式に列席した人々には戸惑いもあったが、その衣装や建物、音楽といった印象的な雰囲気にゆっくりと引き込まれ、酔いしれるのだった。


 式の最後にマサは親族からの挨拶としてこう締めくくった。

「今日という日は二人だけでなく、この街の門出の日にもなった。再建だとか復活だとかそんな言葉を今まで使ってきたが、そうではなかった。これはロンダサークの未来への出発であり、新しい歴史のスタートなのである。この二人のように若く新しい力が、この街を形作っていくからこそ、この街はとともに発展していくのである。その力と可能性をこの祝いの日に見せてもらった。それに応えるためにも誓おう。未来ある街を作ると」

 力強い言葉は、新しい門出と時代の幕開けと言われるものになる。



 〈第二十五話 了  第二十六話に続く〉



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