第12話 竜皇子様と空の旅

 本日は晴天なり。この上ない出張日和でうれしい限りです。

 あれ、ん? 太陽が……陰ってきました。

 何かが降ってきて……ぬえぁっ!?


 ズズン、と巨大なものが私たちの前に着陸してきました。

 洞窟の奥で眠っている宝石のような、漆黒の光を通さない鱗に覆われております。角は六本あり、体温を調節しているのか、時折赤い舌がチロリと姿を見せます。


 ど、ドラゴン……なぜこのタイミングで! この合流地点だけは守り切らなくては……!


「やあリーゼロッテ、来てしまったよ」


 え、グレイル……殿下?

 いや、来ちゃったじゃないですわ。

 こっちの予定とか、体制とか、準備とか。もう滅茶苦茶ですよ?


 ジルドニア王国の国境付近で、グレイル竜皇子殿下が私たちを空から見守っていてくれたのでした。いや、有難いことなんだですが。すごい歓迎の意思は大いに喜ばしいことなのですけど……!


「せっかくだから私が直接空から案内しようと思ってね。知っての通り私は竜の血を引いている。背に乗せてひとっ飛びしようじゃないか」


 ものすごい大きな声ですね。竜化すると五感とかいろいろ強化されるのでしょうか。どうしてこう、王族系はやることが斜め上なのか、そのうち研究してみたいです。


 ああああ、うちの騎士団の人たちが青筋をビキビキ立ててますわ。

「グランゼリアに巡幸される聖女様のご意思をわかっていないようですなぁ。所詮は異端者ということですかな?」


 当然帝国も黙ってはいませんね。

「なんだ、滅びたいのかジルドニアのニンゲンども。このまま貴様らの王都まで『遊び』に行ってもいいんだぞ?」


 鉄兜を突き合わせて、おガンを飛ばしまくってましてよ。


 ああ、またですか。またなのですか。


 すいませーん、注文よろしいですか? 被り用の泥、大ジョッキでお願いしまーす。はい、急ぎで。


「空の旅は素敵ですねお姉さま。ああ、でもお姉さまはグランゼリアの民衆とお話をなさりたいのでしょう? 困りましたわね……」


「ふむ、聖女様はそのようなことをお望みか」


「はい。身に寸鉄帯びずして大衆に分け入り、その世情を知ることこそ聖女の務めですから」


 寸鉄帯びずとは武器をもたないということです(ただし聖アガサ騎士団がいないとは言ってない)。お姉さまの覚悟のほどが伝わることでしょう。でもグレイル様がドラゴン形態でノシノシついてきては、民の輪の中に入れるわけがないです。


「そっかぁー。ねえグレイル様、リズはグレイル様の見ている空を一緒に目にしたいです。私だけでも乗せていただくわけにはいきませんか? ねえ、お姉さまもお願い。リズはお空を飛びたいの」

「おお、そうかそうか!」

「リズはしょうがない子ね……」


「うむ、聖女様のなさりようを邪魔するのは無粋だった。私や騎士団がいては臣民の口も重くなろう。よし、火竜騎士団よ、最低限の案内人を残して本拠へと戻れ。聖女様の思し召しに従おう」


 竜皇子様の号令で、国境を挟んでにらみ合っていた騎士団はいったん矛を収めてくれました。


 しかし。


(まったくわがままな娘だ。あれが聖女の妹か)

(グレイル様の背に乗るとは、なんという冒涜か。後で覚えておけよ)


 針のむしろに耐えるのは慣れてますが、異国人の冷たい目は一層刺さりますね。

 魔力がグングン溜まっていくのですが、まさか帝国で使うことはありませんよね。


「リーゼロッテ嬢、またお会いできて光栄だ。なに気にすることはない、私が天界のに通じる道を案内しよう」

「素敵ですグレイル様。まさしく天下の特等席ですね! 空の覇者たるドラゴンの雄々しさはジルドニアでも今後語り継がれていくことでしょう」


 お姉さまには、信仰心あふれるゴリラの群れについていてもらいます。間違っても殉教しないよう、出立前に言い含めておきましたので、そう心配することは……ない……はずです。


 余計なことは考えないようにして、いつものように外交スマイルをグレイル様にプレゼントします。

「ではグレイル様、参りましょう」


 私は喜びの咆哮を上げている、グレイル様のエスコートをお受けしましょう。お姉さまと離れ離れになるのは少し嫌ですが、誰かがこのハズレくじを引かなくてはいけないのです。


 デカいです。ちょっと怖い。


「ではいくよ、リーゼロッテ嬢。しっかりとつかまっていておくれ」


 旋風と烈風を巻き起こし、私を背に乗せたグレイル様は力強く羽ばたく。鐙をつけることに抵抗がないのか、座り心地は極上です。

 おそらくは何かの魔法で守られているのでしょう、吹き付けるはずの空気圧をまったく感じることがありませんでした。


 肌寒いのでショールを羽織り、天を見渡す。掴めそうな雲にの合間を抜け、砂粒のように小さく見える町を通り越して、帝都へと空の旅は続いていきます。


「乗り心地はどうだい、リーゼロッテ嬢」

「今まで生きてきて最高の気分です。これが殿下の世界なのですね」


「そうだ。これが竜の生きるところだ。リーゼロッテ嬢にはこの景色を見せたかったんだよ」

「殿下……」


 私に、見せたかったのですか。お姉さまのオマケとしてではなくて。


「君と空が飛べて嬉しいよ。知っているかい、竜はその心を許したものにしか背を許さない。それに……これは揺るがない私の気持ちなんだ」


 そんなこと言われたら、気持ちが混乱して……胸が苦しくなって……きます。

 胸の苦しみは切なさと同時に、私にある一つの感情を植え付けました。


 その名は『高所恐怖症』。子供のころの経験が原因になるとよく伺いますが、まさか成人してから新たな属性がつくとは思いませんでした。


「よぉし、錐もみ飛行をするぞ! しっかりつかまっているんだぞ!」

「だ、だめぇぇぇぇ! 安全飛行でお願いしますうううううう!!」


 ギュオン、と周囲の風を切る音がした。グレイル様は私を背に乗せたまま、重力を制御してぐるんぐるんと回転して飛行されます。それはとても幻想的な光景なのですが。


「はっはっは、どうだいリーゼロッテ嬢」

「おろ……し……て。ゆ……るし……て」


 私の口から虹の光があふれそうです。そう、これは魔法。ファンタスティックでサディスティックな乙女の魔法。

 やめてお願い、許してください。こんな姿をグレイル様に見せるのは自害モノです。グランゼリア歴で初の、竜皇子様の背に虹をぶっかける人にはなりたくないです。降ろしてくださいいいい。


「おお、大丈夫かい、リーゼロッテ嬢」

「だめでずううううううううう!」


「そうか、もう少しで着くから心配しなくてもいいよ」

「ころ……して……。ころ……して……」


 喉元がかなりあったかくなってきました。これはもうリミットが近いです。

「さあ着いたよ、リズ」

「ぷあああああ、助かったぁぁぁ」

 生きる国辱となる前に、私は帝国の大歓迎を受けて地上へと着陸できました。


 セーフ! ほんとうに、ほんとうに、もう!


「ん、吐きそうだったのか。別にそのまま出してもよかったんだが」

「それはちょっと……」


 グレイル殿下は竜化を解く際に、色々な付着物は吹き飛んでしまうらしく、一向に気にされていませんでした。なんでも空を飛ぶものには私のようなアクシデントはよくあることらしいです。帝国の人たちも「それがどうしたの?」程度で済ましてくれましたので、自害せずにすみました。


「大丈夫かい、旅の装束は汚れていないかい?」


「はい。なんとか大丈夫でした……ご迷惑をおかけしました」


「構わないさ。初めての飛行なんだ、誰でも通る道だよ」


 思わぬアクシデントになりそうだったので汗顔の至りですが、いつまでも恐縮してるのは逆に申し訳ない。早いところ外交をしなくてはいけませんね。


「グレイル様の寛大なお言葉、心に染み入りました。私もお姉さまが到着する前に準備を進めたいと思います」

「なるほど、マールバッハ家の運営に携わってるだけはあるね。部屋に案内しよう。十分休んだら、打ち合わせをしようか」

「はい、ではお時間を頂戴いたしますね」


 湯あみをして体の神経を整えます。風魔法の使い手に髪を乾かしてもらい、帝国自慢の侍女たちにドレスアップとメイクを施してもらいました。

 いつものたれ目をきゅっと吊り上げるように。ややオリエンタルな面相になるが、若い女性だと侮られるのは避けたいのです。

 基礎化粧の上からそっとおしろいを塗る。これは白竜石と呼ばれている素材からできていて、のっぺりとした鉛入りのおしろいよりもよりも、透明感と自然さを見せるものです。

 いつもは薄い桃色に近い紅を指しているが、今日は赤身の強いものをチョイスしてみました。


 では、参りましょう。

 笑顔は盾。言葉は槍。いざ、私とグレイル様の輪舞ロンドの時間です。

 これから私たちはお姉さまを呼んだ真の狙いについて語ることになるだろう。さあ、舌戦の時間だ。

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