生きること、生きていくこと

@tnozu

起ノ章:帰巣


秋の太陽が山の端に傾いた。

辺りにはもんやりと霧がわき、雨がぽつぽつと降ってきた。


・・これはたまらない・・

羽根がぬれて からだが冷えると、飛ぶ力が弱ってしまう。


ワタシはスイスイと雨粒をよけながら、帰り道を急いだ。

巣は、山の奥の横倒しになった樫の木の下。そこにまっしぐら。


そう、ワタシは黄色スズメバチ。名まえはキヒカリという。

ビューと飛んでいる姿が、まるで黄色の光のようだからと、この名まえがつけられた。

巣にいる働きバチのなかでは、いちばん力が強く、「大将」などという役を務めている。

今は、食物となるミツバチの巣を探しに出かけていたところの帰りだ。


おや・・・


おかしな白い綿を足爪に引っかけて、フラフラと飛んでいる仲間がいる。よく見れば、羽根が少し灰色がかっている。

巣のなかで、いちばん気のあう仲間、ハイバネだ。生まれた時も、前の巣で大スズメバチに襲われた時も一緒だった。


「ハイバネ。おまえ、なにをもっているんだ?」

横に並んで、声をかけた。


「あっ、大将。これは山の麓のビワの木の枝に置いてあったんですよ。変なものがついているけど、なんとも美味そうでしょ」


確かにそれは、最高に美味しそうな肉団子だった。なんの肉かは知らないが、汁気がしみ出ていて、口の中でとろけそう。見ているだけで涎があふれてくる。


でも、なんで綿なんてものがついている・・それに、こんなものが、放っておかれるなんて・・


「ちょっと、まて」

ワタシはハイバネを引きとめ、近くの木にとまった。


と、何かが 茂みを掻き分けて近づいてきた。

現れたのは二人の人間だった。立ちどまって、こちらを見上げている。


[ナカマガ アラワレタ。スハ チカイ]

にやにやしながら、一人がしゃべった。


何を言ったかはわからないが、ワタシにはピーンときた。

人間たちは、ハイバネに目印つきの肉団子を持たせて、巣への道案内をさせていたのだ。

人間に襲われた巣は、ごっそりそのままなくなってしまう。その先はどうなるか・・考えただけでもぞっとする。


「ハイバネ、それをよこせ!」

肉団子を奪って飛び上がった。


「何をされるのですか」

「これは人間のしくんだ罠だ。巣に持っていったら、ワタシたちは全滅だ」

情けない顔をしたハイバネに、ワタシはびしっとばかりに言った。


「あれまあ、それは危ないところでした。で、どうするんですか」

「決まっている。どこか遠くに捨ててくる。おまえは先に帰って、見張りの数を増やすように伝えてくれ」


「了解しました」

ハイバネはあっという間に、茂みのなかに消えていった。


ワタシは人間たちをおびき寄せながら、巣とは、だいぶ離れた所に生えている松の木の葉に、肉団子を突き刺した。


[コンナトコロデ、エサヲ ハナシテシマウナンテ]

溜息をつく人間たちの間を、羽根を唸らせながら飛び抜けた。


・・ ・・ ・・


樫の木の根元にあいた巣の入口では、数を増やした門番たちとならんで、ハイバネが待っていた。


「ご無事のお帰り なによりです」

「大したことではなかったよ」

心優しい仲間と触覚を揺らしあい、ワタシは巣に入った。


「お帰りなさい、キヒカリ様」

まだ小さくて名も付けられていない子どもたちが、可愛らしく首をふって迎えてくれた。



山の裾からてっぺんまで飛び回り、おまけに人間の相手もしてヘトヘトだったが、そんなことは言っていられない。ワタシは早速、女王様のもとに向かった。


「それで大将殿、よい巣はありましたか」

甘い息をはきながら、女王様が聞いた。


「ええ、確かに麓の方にはたくさんありました。ですが、あれには手が出せません。近頃は、いつも人間が見張っておりますからに」


「そうですか」

女王様はがっくりと肩を落とした。


無理もなかった。

ここのところ、手に入る肉ときたら、すかすかしていて味も素っ気もないものばかり・・

あの栄養たっぷりのミツバチのお肉などには、滅多にありつけていないのだ。

巣のなかは皆腹ぺこで、秋口にずんと数を増やした子どもたちだって ずっと我慢している。


「どうか,気を落とさないで下さい。実は一つだけですが、とびきりの巣を見つけております。崖の途中の桜の木のウロのなかにあって、あそこを襲えば、みな、腹が満たされることまちがいなしです」

黙っておきたかったことだが、女王様の辛そうな顔につい話してしまった。


「それはなによりです。お務めご苦労さま。今日は、ゆっくりとお休みなさい」

女王様は、瞳を明るく輝かせていった。


ワタシは丁寧にお辞儀をして、自分の寝場所に退いた。


・・ ・・ ・・


「確かにあの巣はとびきりだった。だけど・・・」

「大将がぼやくなんて珍しいですね。なにかあったのですか」

いつの間に戻ったのやら、ハイバネが声をかけてきた。


うっかり口が緩んでいた。大将のワタシが、襲撃を迷っているなんて知られたら、皆の戦う意欲がなえてしまう。


「いいえ、なんでもない」

腹に力を入れて、しっかりと答えた。


けれど・・

やはり、ワタシは気になっていた。

あそこの連中は、人間に飼われているミツバチと違って、からだは小さいし、黄色の縞模様もくすんでいる。

それはよしとして、ワタシが近づくと、目がチカチカするほどに尻を振りはじめたのだ。あんなのは初めてだ。もっと、なにかありそうな気がする。


・・まあ、考えてもしかたがないこと。なにせ相手は、こちらの子どもほどもない ちっぽけなミツバチ。戦いの練習にもなりはしない・・


ワタシは、グゥーと鳴った腹の音で、気持ちを切り換えた。

なにはともあれ、一休み。ほんわりした温かさのなかで、目を閉じた。


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