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 真夜中の病院は救急車すら停まっておらず、実に静かな空気に包まれていた。

 どうせ検査して大丈夫でしたと帰ることになるのだろうと思って車を降り、慣れない夜間の病院で、どこから入ればいいのやらと夜間入口を探しながら思っていた。

 

 インターホンから夜間受付に連絡をすると電子ロックが解除され、中に入ることが出来たが、救急治療室の前の控室で待つようにと指示された。よく分からない、ふわふわとした心地のまま、誰もいない廊下を歩いて救急治療室の方へと向かい、出てきた看護師の人から控室で待っているように言われ、大人しくがら空きの控室に入る。椅子に腰を下ろして、母も私も、どういうことなのだろうかと考えながら、いつまで待てばいいのやら分からず、時間を持て余した。

 最初に呼ばれたのは三十分くらい経ってからだろうか。


「私は循環器の医師ではないのですが」


 と前置きをされて、整形外科の医師からとりあえず現在の状況の簡単な説明があった。それによれば、夜の十一時過ぎてから胸が痛いというので看護師を呼んで心電図を見ると、どうもよくない波形が映っていたらしい。そこにちょうど、この日非番だった循環器の医師が通りかかり、検査した方がいいというので検査の準備をしていたら目の前で心停止したらしい。設備も人もいたからすぐ蘇生処置が施され、大事には至らなかったが、今は心臓を見たり、検査をしているところなので、もう少し待っていてくれと、こういう話だった。

 その説明を受けている間に、廊下をストレッチャーに乗った父が運ばれていった。一瞬のことで、看護師の人が「お顔だけでも」と言ってくれたのだが、すぐに処置室の方に運ばれていってしまった。ただその時に目に入った父の体はよく映画やドラマで目にするそれで、口に人工呼吸器が取り付けられ、眠っているようだった。

 

 一旦控室に戻された私と母だったが、母の方は何とも不安な表情をしている。当然だ。心臓が止まったのだ。ただ以前から心臓には注意するように医師から言われていたし、薬も貰っていたし、全く健康な状態でなかったことは確かだ。それに何かあったにせよ、運良く助かったのだから、私は「大丈夫だ」と何度も口にした。それは自分自身に安心の魔法を掛けようとしていたのかも知れないが、残念ながら私は魔法使いではない。大丈夫と口にしている私自身、不安に包まれていた。

 

 二度目に呼ばれるまでは長かった。更に一時間くらいだろうか。

 今度は担当した若い循環器の医師だった。話の内容は先程、整形外科の医師から聞いたものとほぼ同じだったが、今回はレントゲン写真などを見せながらの詳しいものだった。

 心臓にはその筋肉の表面を覆うように血管が走っているが、中でも重要なのが冠動脈と呼ばれるものだ。そのうち太い三本が特に重要とされている。父の心臓はその三本が、三本とも詰まっていた。流れが悪くなっていた。よくこれで大丈夫だったと言われる程、状態は悪かったのだ。

 けれど何もしていなかった訳じゃない。定期的にかかりつけ医には心電図を見てもらっていたし、足をどうこうするまでは庭で薪を作ったり自分の好きなことを元気にやっていた。ただ血糖値は高かった。それは何とかしないといけないとずっと言われていたし、糖尿病の薬も合うものを色々と探してもらって服用していた。

 

 しかし結果は最悪だった。

 胸の痛みを訴えて心電図を取ったその時点で、もう明らかに心臓に異状が起こっている波形だったそうだ。すぐに検査をし、処置を施す必要があった。その検査の準備をしている段階で心筋梗塞しんきんこうそくが起こり、心停止した。

 幸い、ここが病院で、しかも循環器の医師が偶然通りかかり、話している最中での出来事だった為に、すぐに適切な蘇生措置が施され、一命を取り留めることが出来た。

 そこまでは非常に良かった。そうでなければ私たちは病院で冷たくなった父と対面していただろう。

 

 心臓の画像を見せながらカテーテル治療を施そうとしたけれど、狭くて入らず、この病院ではこれ以上は出来ないと言われた。今は麻酔で眠らせ、人工呼吸器をつけ、小さな風船を入れて心臓の働きを補っている状態で、すぐにどこかバイパス手術などが出来る別の病院に転院する必要があった。だがこの説明を受けていた時間は深夜、確か二時とかそんな時間だったと思う。

 とりあえず夜が明けるのを待って、転院先を探すことになった。

 私と母はいつ父の心臓が止まるのかと怯えつつ、私は「大丈夫」と何度も口にして、朝を迎えた。

 

 朝になり、病院も徐々に忙しくなくなってくる。

 一旦集中治療室に運ばれた父の荷物を取りに、別棟に移動する。その際に体に沢山の計器が取り付けられて眠る父を見た。

 看護師の方から「眠っていますが声は聞こえていると思うので何か言ってあげて下さい」と言われ、母は控え目に「おとうさん」と声を、私は「大丈夫だから。助かるから。何とかなるから」と何度も口にした。

 本来ならこれもコロナ禍ということで病室に入ることすら難しいのだが、状況が状況ということで特別に許可をしてもらった形だ。以前とは色々変わってしまっている。それでも病院に入院出来ていて良かった。もし入院していなかったら、ほぼ確実に死んでいた訳だから。

 

 一旦帰宅し、私は仮眠を取った。母の方は眠れないと言っていたが、それでも少しは寝たのだろうか。

 転院先が決まったと報告があったのは九時を過ぎてからだ。もう十時近かったかも知れない。予想していたのは隣の市の心臓外科のある病院だったが、そこは予定が埋まっていて今日の手術は無理ということで、別の病院を探すことになり、決まったのは私も母も知らない、遠くの病院だった。

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