鍋時代。

Planet_Rana

★鍋時代。

 どうやら時代は「鍋」らしい。


 というのも、食材を買い出しに行くたびに陳列棚に並んでいる鍋の素とやらを眺める機会がここ数年恒常化してきたように思う。最早鍋とは「寒い時期だから」とかこつけて頬張るたまの楽しみではなく、オールシーズンにおいて気軽に安い肉と野菜で美味しくいただける定番メニューと化しているのだ。


 毎日毎週やっている料理番組でも、毎日目にするタイムラインにも、恐らく私が興味を持っているからなのだろうがかなりの確率で目に入る調味料だ。かつては自前の家事スキルのレベルに応じて醤油だみりんだ酒だ、煮込むのはこの具材からで上げるのはこいつからだ、そうだ今だっ!! といったような「鍋奉行」が鍋界を仕切っていたのだろうけど、現在はぷちっとするだけで、或いは具材をいれて温めるだけで、鍋用の出汁をとる手間を省いてくれる「鍋の素」が食卓にて猛威を奮っているように思う。


 かくいう私は、鍋の素を買ったことがない。


 だって、鍋なのだ。鍋でぐらぐらしながら食べる鍋の、素なのだ。

 カレーやシチューのルーを買うのとはちょっとだけ違って、未知の調味料なのだ。未だに尻込みしている自分が居る。


 刷り込まれたイメージ戦略もといコマーシャルというのは面白いもので、鍋と聞けば鍋料理がすぐに引っ張り出されるくらいには方程式が成立しているのだが、鍋というだけなら角煮を煮るような鍋でもいいだろうに……ああそうか、今は圧力鍋とか電子レンジとかでも作れるんだったか。この国の、食に関する技術の進歩というのはすさまじいものがあるな。


 流行り出して何年になったか覚えてもいないが、ともかく手に取りやすい価格になっているわけだし。

 そう思って棚に手を伸ばしたが、思い留まる。


 ……。


 鍋で作るから鍋料理、イコール鍋なのだから、やはりあえてまで鍋の素を買う必要はないんじゃあなかろうか。


 その場合は鍋……土鍋が必要になるのかもしれないが、鍋の素を買って作った汁物は果たして鍋なのだろうか。


 まあ確かに土鍋を使わないというだけで「鍋」を使うわけだし、それを言うとカレーやシチューだって「鍋料理」ということにならないだろうか?


 更に言うなら鍋で煮込むには具材が必要だ。まだ私の買い物かごにはカイワレ大根がひとつしか入っていないし、これは卵焼きにとじられる予定のものなので他に食材を調達する必要がある。手始めにリャインで家主に「今夜は鍋だ」と送信した。我が家には特売で買った豆大福と苺とが待っている。デザートにこれらをつまめば至高だろう。


 さて、鍋で煮込めるものと言えば数多い。カレーやシチューに始まりスープに味噌汁、麺類を含めるならパスタにも素麺にも蕎麦にも饂飩にも中華麺にも火を通すことができる。なんなら底の方に油を敷いて炒め物が作れるし、水をはって温めたいものを入れておけば湯煎できる――ちがうちがうちがう。間違ってもプリンや蒸しケーキが鍋料理の定義には含まれないだろうと分かっているにもかかわらずデザートの案が思いついてしまった。鍋は万能ゆえに何でも温めてしまう定めにあるらしい。つゆを温めたと思ったら麺を茹で、野菜を炒めたと思えばプリンを蒸している。だからデザートから離れろ。仕方がないな、買い物かごに三つ入りの安いプリンでも突っ込んでおくことにしよう。


 ……そうじゃない。そうじゃあないのだ。


 鍋の素を買うだけの理由づくりのためにリャインまでしたのだから、ここはイメージ通りの「鍋の具材」を集めるべきだろう。ちょうど季節は年明けだし、普段買わずとも美味しいあれこれが探さずとも表に並んでいるのがスーパーマーケットなのだ。


 野菜売り場で萎びた長ネギを手に取って、四分の一カットの大根とカレーセットとをかごに入れる。これで平均的な鍋ものに使用できる食材は揃ったので、いよいよ鍋らしくする物を探すことにした。


 白滝か春雨か。

 ショウガかニンニクか。

 魚か牛か鶏か豚か。

 コンニャクか餅か。


 ……。……。……。


 とりあえずチマチマと買っておくことにしよう。

 気持ちばかりのキノコ類も添えて、鍋の素を適当にひとつ引っ掴み、会計をした。


 帰宅すると家主が何かを構えて待っていた。

 普段は着ることもしないエプロンをつけて、バンダナを巻いて、不器用にも飛び出た前髪とか後ろ髪とかが気になるがお玉を手にしている。


「……どうしたの、急に。珍しいね」

「どうしたのって。鍋なんだろ? それなら俺の出番じゃあないか」


 家主は言って、手にしていたパックを開けた。


 夜食にする予定だった豆大福である。

 百円均一で購入した鍋の底に、すぐに沈んだ。


「……あの」

「?」

「……それ、私のおやつ……」

「え、あれ。もしかして闇鍋じゃなくて、鍋? スタンダードなやつ?」


 あまりの出来事にショックが大きすぎて手元が狂った。ネギが飛ぶ。


「水平スライダぁああああ!?」

「……どうして闇鍋だって? いや、それは重要じゃないや。どうして私の豆大福を具にしようと血迷った?」

「え、ええと、ネットで、鍋に入れると美味しいって、レビューを見たので……」

「…………」

「…………」


 IHが流行る時代に、火にかけられた鍋がぐらぐらと揺れている。


 豆大福以外の冷凍していた食材やら卵やらが一緒くたになっている。それでいて香ばしくローリエなんか入れちゃっててなんかクミンっぽいようなカレー的な匂いがするし買ったばかりの特濃牛乳が台の上で開いてるような、気もするし……。


「……」

「お、怒った?」

「……鍋の素、買って来たけど今日はいらないみたいだね。肉は何がいいの、決めてよ」

「え? えぇと……豚……?」

「うん。分かった。野菜買って来たから、玉ねぎとジャガイモとニンジン入れるよ。切ってくれる?」

「お、おう! それならできる!」

「うん。よろしく」


 鍋の底に木しゃもじを当てて豆大福を引きはがす。入れてしまったものは仕方がないが、焦げては洗うのが大変だ。

 ……コンソメと胡椒と、入れるとするならショウガだろうかニンニクだろうか。


「ショウガとニンニク、どっちがいい?」

「しょ、ショウガ!」

「分かった」


 間髪入れず鍋へ突っ込む。これはこれで闇鍋かもしれない。


「大丈夫!? なんか俺の判断ひとつで鍋に入れてたりしない!?」

「大丈夫。お餅は後で追加するし、雑炊にするときにチーズ入れても美味しいと思う」

「えっ、まじ? 聞くだけでよだれがでそうなんだけど」

「マイタケ入れてもいい?」

「い、いいんじゃないか?」


 フライパンに油を引いて、薄切りの豚バラに鷹の爪を加えてさっと火を通す。そこにマイタケを加えて一気に火を通していく。野菜を切ってもらった端からフライパンに足してもらって、軽く炒めたそれらがきつね色になる前に火から離した。


 炒めたものを鍋に入れる。蓋を閉じる。

 あとはことこと、良い感じに煮込むだけ。


 出汁はとっていないが牛乳と肉とコンソメと香辛料でどうにかなるだろうし、これはこれで鍋だろう。

 それとなく満足して役目を終えた包丁とまな板を洗っていると、隣でエプロン姿のままの家主が所在なさげにしていた。


「何か言うことはありますか」

「ごめんなさい。明日、豆大福買ってくるよ」

「……次からは気を付けてくださいね。食べ物の恨みは怖いですよ」

「はぁぃ」


 割と反省しているらしいので、怒るのはここまでにしようと思う。買って来た食材もそのままに作業を進めてしまったので、お肉や長ネギなどを冷蔵庫に収めなければならない。あれこれ手に取ってはリレー方式で詰め込んで、ついに最後のひとつとなった衝動買いのプリンを手にした私は、ふと「足りない」ことに気が付いた。


 鍋でぐらぐらとしている中には卵もあって、確かにその分冷蔵庫から食材が消えているのだが……。思い出すのに時間はかからなかったが、代わりにプリンを床に落としそうになった。


 ああ。あんなに楽しみにしていた、あんなに楽しみにしていた――苺のパックが、ない。


 振り向く。

 目を逸らされた。


 ぐらぐらと鍋が煮えている。

 この鍋時代に、こ奴はいらぬ革命を起こしおって――。


「……いや、闇鍋だと思ったからさ……」

「買って来たプリン、全部私のですからね」

「慈悲をください!!」





(完食)


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