影光の鷹

六野 璃雨

1章 入隊編

第1話 呼び出し

 ──ドンドン、ドンドン。


 もういつ崩れてもおかしくないような、そんなボロくて狭いアパートの一室で、飛鷹ひだかは両耳を塞いでうずくまっていた。


「おいコラいるんだろ、いつまで立て篭ってるつもりだ!」

「こっちも暇じゃねーんだよ、さっさと揃えるもん揃えて出て来いや!!」


 荒々しい声と物音がし続ける玄関を、押し入れの隙間からそっと覗く。玄関のドアはいつ蹴破られるだろうか。今はまだ実力行使には至っていないようだが、男たちがドアを叩く度にギシギシと音が鳴るのだ。あんなにぼろいドア、いつ壊れてもおかしくない。


「……今のうち」


 飛鷹は押し入れから這い出た。男たちが取り立てに来ていない間はまるで警察官の張り込みのように、飛鷹のいる部屋を車から見張っているのだ。だから男たちが取り立てに来た時がチャンス。男たちが玄関の前にいるなら、外には誰も──。


「おっと、何をしているのかな坊や」


 窓の鍵を開けて外の空気を吸い込んだ時、真横からそんな声がした。

 ヒュッと息が詰まる。おそるおそるそちらを見れば、ベランダにしゃがんでタバコを吸う男の姿。玄関からは相変わらず怒鳴りつける声とドアを叩く音が聞こえている。

 男たちは二人ではなかったのだ。


「まさか坊や……逃げようなんて馬鹿な真似、考えてねえよな?」


 ベランダに座り込んでいた男がゆっくりと立ち上がる。黒いストライプのスーツから覗く派手な柄のシャツがその男の柄の悪さを物語っているようだ。


「なぁ」

「ひっ」


 男が飛鷹のまだ細く、発達しきっていない腕を掴んだ。男の指につけられたゴテゴテした金の指輪が飛鷹の腕に食い込む。痛いとか、そんなことを思う前に飛鷹の脳は恐怖で埋め尽くされていた。


「返すもん返してもらわねえと、困るんだよ」


 お前も売られたかねえだろ、と。男がそんな言葉をかけてきた時。飛鷹はあることに気がついた。恐怖で気が動転していたからなのかもしれない。たまたまそう見えただけなのかもしれない。


「恨むならお前と借金残して消えた母親を恨むんだな」

「……動いた」

「あ?」

「影、動いた」

「……はぁ?お前何言って……」


 飛鷹は自分の影が動くのを見た。



 ──そこから、飛鷹の記憶は途絶えている。





◇◆◇


 ──栄賀四十年、四月。


「うっへえ、三年がいなくなって静かになったと思ったら今度は一年のがきんちょだぁ」


 隣を歩く親友の美郷みさとが嫌そうに顔を歪めながら言うのを、飛鷹は苦笑いで返す。


「あーあ、せっかく自由って感じだったのに」

「でも、美郷の妹も入学してきたんでしょ。なんて言ったっけ、名前」

「廉」

「そう廉ちゃん」


 日桜ノ国ひおうのくには現在入学シーズンを迎えている。先月は卒業シーズンかと思えばすぐに入学シーズンが来ることを考えると時の流れが少々早すぎる気がしないでもない。

 飛鷹たちの通うここ、栄桜えいおう第一高等学校も例に漏れず先日入学式を迎えていた。先月やっと最上級生が卒業して、校内がどこか静かになったと思ったのに、入学式を迎えた途端、校内はお祭り騒ぎ並みの賑わいを見せ始めたのである。


「全く、休み時間の度に廊下に出てくんなよなー。暇かよー」

「去年のおれたちにも言ってやりなよ…」


 廊下を歩く飛鷹と美郷は、一年生の群れを押し退けつつ、自分たちの教室に向かって歩いていた。

 栄桜第一高校は、日桜ノ国にいくつかある学園都市のうちの一つ、栄桜地区栄桜学園都市の敷地内に存在する高校だ。学園都市というだけあって小学校から大学まで有している広大な敷地が広がっているのだが、栄桜第一高校は他の学園都市にある高校や私立高校よりも学費が安い。かなり安い。その影響か、入学する人数もかなり多い。だからこうして進級する度に廊下が人で溢れかえることになるのだ。


「やーっと見えてきたぜ、おれらの二年一組が」

「早くお昼食べよう、そろそろ昼休み終わっちゃうぞ」


 二人はやれやれと肩をすくめながら、手元の焼きそばパンやおにぎりを見る。一階にある購買はまさに戦争だった。三年生がいなくなったからとのんびり買いに行っていた先月がすでに懐かしい。

 飛鷹たちは教室のドアをくぐった。


「あの」


 ドアを閉めようとしたところで、声がかかる。

 見れば、長い黒髪にぱっちりした二重の小顔美少女が飛鷹と美郷を見ていた。どうやら声をかけてきたのはこの女子生徒のようだ。上履きの色を見れば赤。一年生だ。

 しかし飛鷹とこの子に面識はない。誰かクラスメイトの知り合いだろうか、と思ったが、先に美郷が声をあげていた。


「あれー、愛花ちゃんじゃん!こんなところまでどうしたの?こっち、二年の教室だよ」

「こんにちは、美郷先輩。今日はちょっと、用があって…」


 どうやら愛花と呼ばれた彼女は美郷の知り合いらしい。飛鷹は親友を置いて先に食べようと、自分の机に向かった。


小刀祢ことね飛鷹って人、知りませんか」


 その言葉にうっかり振り向いてしまったのが運の尽き、とやらだったのかもしれない。


「……ああ、あなたですか」

「……そう、だけど」


 少女の方を振り向いただけなのに、その行動を取った者が小刀祢飛鷹であることを確信したらしい。この時点で飛鷹は、少女の鋭さに気がつくべきであったのだろう。


「放課後、栄桜一高の体育館裏に来てください。待ってるんで」


 少女はそれだけ言うとスタスタと廊下を歩き去ってしまった。


「えっ………告白!?」

「いや、どっちかって言うと決闘の申し込みじゃない?飛鷹ぁ、愛花ちゃんに何したのさ」

「ええ…。あの子と喋ったのも今が初めてなんだけど…。てかあの子誰?美郷の知り合いっぽかったけど」

「樹村愛花。えっとぉ……廉の友達?」


 なんでそこで疑問形なんだ、と思ったが、そんな疑問は愛花が残した言葉にすぐに掻き消える。

 高校の体育館裏なんて、飛鷹の中では告白かタコ殴りの二択である。せめてもの可能性にかけて告白を疑ったが、そもそも飛鷹は彼女とは初対面、今初めて名前を聞いたくらいだ。しかも向こうは入学したての一年生ときている。愛花のような美少女が飛鷹のような普通の男子高校生にいきなり想いを寄せるはずもないだろうし、告白である線はないに等しい。


「え?じゃあまじで首洗って待ってろっていうこと…?」

「んーー知らん!それより飛鷹、飯食おうぜ」


 にかりと笑う美郷を見て、飛鷹は焼きそばパンの袋を開封した。

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