第10話 盤外のchess

 解凍してデータを読む。

 このレンタルオフィスの利点は、電磁防壁を何重にも重ねた鎧に集約される。

 だからこそこの秘匿された業務が遂行できる。

 

 先の世界大戦以降で戦争の色相が様変わりした。コペルニクス的転換と言っていい。

 その端緒となったのは東欧の局地線だった。

 21世紀にありながら第一次大戦的な戦法を重ねる年老いた大国に対し、攻め込まれた国家は21世紀に順応した無人兵器や誘導兵器、さらには電磁パルス兵器を投入して抵抗した。


 それは単に代理戦争に過ぎない。

 その後、超大国同士の最終決戦を見ることになる。

 しかしながらそれは戦争と言えるものであろうか。

 戦場は超高高度の成層圏での覇権の奪取にあった。

 そこには誘導ステルスドローンを始め、デジタルデバイスを詰め込んだ飛行船での仮想空間での戦争だった。

 相手の防壁を切り裂き、敵社会の電磁データの破壊工作、経済システムの混乱。デジタル通貨の焦土化が実行された。

 それはチェス盤の外で、ルークとナイトが乱闘する行為に似ていた。


 デジタル通貨とは、企業の仮想通貨ではない。

 歴とした国家の発行したものだ。

 実は戦争前から日本の円通貨でも流通紙幣の総額は、国民金融資産の6%に過ぎない。つまり金融資産総額は銀行が保管しているデジタル数値の総量になる。国民の通帳に印字された数字の総量だ。

 20世紀の初頭、金の総量を通貨量として兌換紙幣として扱っていた。金と交換できるという国家の約束がその価値を確かなものにしていた。

 それを国家の信用度(credit)が担保して不換紙幣を発行する。それは信用度と紙片が交換できる、いわば国家発行の仮想通貨に過ぎない。

 先の戦争はそのcreditが幻影であったと知らしめた。

 成層圏を征く飛行船が相手国の超高高度に侵入して、それらのデータを破壊する。国家規模の資産でさえも0になる。

 政府銀行の建物はみしりとも軋んでいないが、その内部は空洞になる。残るのは清潔な焼け野原だ。

 

「今日もお疲れ様です」

 小首を傾げたレセプション嬢がショートボブの髪を揺らした。

 先日の付箋で望月という名前を知っている。

「本日は文書が届いております」と瞬きを意図的にしてみせた。返事を欲しいのだろうと思ったが、気づかないふりをしていた。

「今時に珍しいですね」と添えたが、その嬢も紙片で意思を伝えてきたのに。

 苦笑を返事として受け取ったようだ。

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