第40話 夜の船出

 翌朝、あたし達はふもとのコンビニで水を買っているところを捕らえられた。

 正確には、アッキちゃんが二人分の買い物をしてくれている間に、外で待っていたあたしが先に捕まった。返り血を浴びた入院着で、コンビニに入る勇気はない。


「手間をかけさせおって、クソガキ共が」


 敷地の端にあったチャペル風の建物のなか、あたしとアッキちゃんは大男に抑え込まれて座らされている。

 大理石の床がつめたい。

 目の前にはマキ論が仁王立ちしていて、背後には鳥居と掘っ建て小屋が乗った船が置かれている。これが補陀落渡海ふだらくとかい船だろう。

 木造の小さな船で、聞いたとおりオールらしきものもないし、小屋には窓もなにもない。そもそも人間が二人入ったら身動きもできないくらいの大きさだ。

 船の横、舞火が左舷に寄りかかっている。右舷側には、後ろ手に手錠をかけられた戴天が立っている。視線で射殺す勢いでマキ論の背中を睨みつけている。


「戴天の仲間は全部つかまえたわけ?」

「当たり前だ、貴様らが出したボヤの方がよほど手間がかかった」


「あっは!」

 アッキちゃんが笑うと、マキ論が無言のまま人差し指を下に向ける。

 アッキちゃんを抑えていたほうの男が、後頭部をつかんで顔面を思い切り大理石の床に打ち付けた。

 額が割れて、床に血が流れていく。


「あは! あはは! ざまあみろだ嫌煙家さん!」

 床にはりつけられたまま、顔だけ前を向くアッキちゃんが笑い続ける。

 額の血はすぐさま止まり、傷が再生していく。

 あたしを抑えていた方の男が、小さく息を飲んで震えるのが分かった。


「アッキちゃんに吸うのをすすめたのはあたしだよ。ケツから海水、あたしがやってあげようか?」

 精一杯に嫌味な声を出して言うと、マキ論はあたしの方を一瞥いちべつしてから目をそらした。


「黄泉返り人でもない普通の人間にやってもたいして面白くない。クソをされても面白くないからな」


「やってみたらいいのに。後悔しないようにさ」

 

「……何を考えているのか知らんが、時間稼ぎの手には乗らん。今夜の儀式まで、お前らは離して置いておく。部屋など設けてやらないからそのつもりでいろ。いくら叫ぼうが、外に聞こえない地下室に閉じ込めておく。逃げようものなら、アッキは容赦なく殺す、何度でもだ。トモカヅキは逃げようものなら、足首の健を切る」


「まったく、せっかく最後に普通のベッドを用意してあげたっていうのにね? これだから処女は困るっていうか? マキ論ちゃんのが分からないんだから」


 ヒールで床を打ち、硬質な音をたてながら舞火が近づいてくる。

 そのパンプス、サイズ合ってないんじゃない? って言ってやろうかと口を開いたときだ。

 舞火の顎をつかんで、マキ論が口づけた。

 長い水音、悶える舞火の身体、さっきとは違って、カツッカツッとこもった音で床を鳴らすヒール、全部がうっとうしい。


「下がってろ、舞火。また、指示はする」

「ん、はぁい」


 濡れた唇を指を失った手の甲で拭いながら、マキ論が指示を出すと、とろけた声の舞火が引き下がった。


「あー熱い熱い。でもキモいよねえアッキちゃん」

「でもあたしともえは最後のキスしたもんね」

「したね」


「フン! ガキが一晩逃げたところで、結局そんな感傷にひたることくらいしか出来ないのだから、哀れなものだ。連れて行け!」


 マキ論の指示で、あたしとアッキちゃんが立たされる。別々に外に連れ出されるなか、最後まで二人で見つめ合っていた。

 さて一晩のうちにあたし達がどこにいたのか、聞いたらマキ論は倒れるだろうなあ、なんてあたしは密かに口の端を上げた。




 

 その夜、あたし達は埠頭に連れてこられていた。

 煌々こうこう篝火かがりびが円周にそって焚かれており、フードを被った術師達がその間に立っている。熱くないのかな、とあたしはのんきなことを思う。

 朝買った500mlの水のペットボトルを指で挟んで持っているから、重い。半分くらいに減ってはいるけど、ずっと持っていると重く感じる。


 さっき飲まされた口噛み酒が胃をカッカと燃やしている。胃から上がってくる息が、喉をひりひりと痛めつける。

 儀式のために初めてのお酒を飲まされるのも、それが口噛み酒だっていうのも、全部が最悪だ。

 でもまだ、手に持ったペットボトルの水は飲めない。

 

 火の向こうに、補陀落渡海船が置かれているのが見える。

 中央には白い布が敷かれていて、五芒星が描かれている。

 一糸まとわぬアッキちゃんが、星の真ん中に座っていた。目をつぶって座るアッキちゃんは、お人形さんみたいな雰囲気だ。


「まずはアッキに術を施す。次に貴様を側につれて行く。術の詠唱を続けるなか、貴様らは一つになる。それからあの船に乗って、船出する。戻ってくるのは、完全になった黄泉返り人である、アッキだ」


「私、術を見るの初めてだから楽しみ。マキ論ちゃんのおかげですごいものが見られちゃう! トモカヅキになって協力することはできなかったけど、マキ論ちゃんの隣で儀式が見られるならそれはそれで最高ってやつ?」


 マキ論にもたれかかるようにして、舞火が言うのがうるさい。

 二人の後ろには、後ろ手に手錠をかけられたままの戴天が、信者に挟まれて立っている。

 眼球乾かないのかな? ってくらいマキ論を睨んだままだ。


「おい貴様、随分おとなしいな。やっと諦めたか?」


「まあね」


「そろそろ出番だ、詠唱が大きくなってきただろう。その汚い服を脱いで、水も置いていけ。船出には何も持っていけない」


 マキ論が手を伸ばしてきたので、あたしはその手を払う。

 

「服くらい一人で脱げるよ。ほら」


 目の前で、入院着の合わせを解いてやる。

 裸の上半身を見たマキ論が、言葉を失った。


「貴様、それ、なにを……」


「ドーマン!? どういうこと?? 毒虫ちゃん、昨日アッキと二人で?」


 舞火が悲鳴まじりでたずねてくるのを、鼻で笑って返してやる。


「その焦った顔、ウケる。あんたの式神が弱すぎるから、あたし達の行き先が分からなかったんだもんね?」


「う、うるさい! お前、もしかして……」


 絶句しているマキ論の隣で、舞火があたしのお腹に視線をぬいとめて吠えている。


「馬鹿な、出来ないはずだ。黄泉返り人は式神使いにはなれない。術が反発し合うからで――」

 

「それはもう聞いてる」


 まくし立てようとする舞火の言葉を断ち切って、あたしの言葉を続けた。

 

「でも、式神使いを黄泉返り人にしてみたことは、無かったみたいね? 式神使いが黄泉返り人になっても、術が使えなくなるだけで、黄泉返りにはなれたみたいよ。あたしがここに居るのが何よりの証拠。あたしはね、昨日黄泉返り人になったの。アッキちゃんが黄泉返りになったときと、同じ方法でね。悪いけど、もうトモカヅキにはなれないよ」


 そう言って撫でてみせるお腹には、紫色の格子柄のタトゥーがある。

 水のペットボトルを持ったまま、陣の中心に歩んでいく。

 詠唱は止まらない。止めようが無いのかもしれない。

 座ったままのアッキちゃんの目の前に立つと、アッキちゃんが顔を上げる。

 生まれたてみたいな顔で、あたしを見つめる。


「おまたせ、アッキちゃん。行こう」


 あたしが手を伸ばし、アッキちゃんがその手を取る。

 二人で手を繋いで立ち上がったところで、我に返ったマキ論が陣の中に駆け込んできた。


「待て! 貴様らどういうつもりだ!」


「こういうつもりだよ!」


 あたしはペットボトルの水を自分の上半身に思い切りぶっかけた。

 熱い、痛い、熱い、痒い、燃える、皮膚が溶けて嫌な匂いがする。


「……これは塩分濃度を海水と同じにした、水。塩はどこにでも売ってるからね」


 そう言うアッキちゃんの頬にも飛沫が飛んでいて、そこも赤く腫れ上がっている。


「お前らが望む通り、あたし達は船出する。あたし達だけの世界にね」

「死ぬ……つもりか?」


 あたしの言葉に、マキ論が顔を青ざめた。


「黄泉返りの死は孤独だけど、二人で泡になるなら悪くないって、もえと話したの」

「あたしはアッキちゃんの願いなら、なんでも叶えてあげたいの」


「狂ってる」

 舞火が言った。

 

「お前らほどじゃないよ」

「そういうこと」


 あたし達は陣から抜けて、走り出した。

 二人だけの船を出すために。


 後ろで、マキ論が怒り狂う声が聞こえる。

 それに混じって、戴天の悲鳴がしてくる。八つ当たりでも受けてるんだろうか。

 まあ、戴天が仲間を連れて乗り込んで来てくれたおかげで、あたし達は一晩隠れていられたんだから、当たり前か。

完全な黄泉返り人が必要なら、ほら、そこにいるじゃない。使えるのが。

 まあ、あたし達には関係ないことだ。

 

 二人で船のへりを押して、海に浮かべる。アッキちゃんを先に船に乗せて、あたしは膝まで浸かる深さになるまで船を押した。


 相変わらず鈍臭いあたしが、どっこいしょ、と船に飲み込む。

 船はもったりと左右に揺れながら、夜の海へと漕ぎ出していった。

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