第36話 フィアットの車中

 車の入れる道まで、あたし達は細い道をひたすらに下る。ときには獣道になっていて、そこは半分滑り落ちるみたいな形で降りた。

 あたしはアッキちゃんに手を引かれながら、舞火はマキ論に肩を貸しながら、のろのろと進んだ。

 戴天たいてんの再生まで、どれだけ時間を稼げるだろうか。

 まあ、再生したとしてもポチの居ない戴天だからなんとかなるだろう。

 ――なるかな? あたし達もまあまあ満身創痍まんしんそういと言っていい状況だ。

 それにセーマンの施設には武器もたくさんありそうだ。今日だけでどれだけの銃刀法違反を目撃したやら。


「なにぼうっとしてんの? ここ降りたら、ほら、あそこにあるのがあたし達の車」


 舞火が顎で指した先、灌木におおわれた細径ほそみちの先に丸っこい赤い車がある。

 屋根の部分だけが白で、あれはもしかして……ほろになってる? 左ハンドルだし、どっちの趣味か知らないけど目立ちすぎだろって車だった。


「なんていうか、ヤバいね」

 

「フィアット500C、かっこいいでしょ?」


「褒めてない」


 藪枝やぶえだに腕と脚を刺されながら、なんとか車のある場所まで降りていく。

 入院着、無防備すぎるだろ。手も脚も首元もノーガードだし、それであたしは戦闘していたわけで、よくやったと思う。返り血のついた入院着で山道を歩く女子高生、なかなかに事件性があるな、なんて他人事みたいに思う。

 



 フィアット500Cのハンドルを切りながら、舞火は山道を飛ばしていく。

 

 あたしは、というとバックシートにマキ論と一緒に座らされて、見様見真似で止血をさせられている。

 You Tubeってなんでもあるな。マキ論は半ば意識を失っているので、ときおりうめくくらいでおとなしいものだ。食いちぎられた手先はビニールに入れて足元に転がしてるけど、くっつくのかなこれ。

 ま、どうでもいいけど。

 

「それにしても、よくポチを潰せたね? 蝶が知らせてくれたから駆けつけたけど、正直どう戦おうかって思ってたんだよね。戴天は一人じゃなんにも出来ないけどさ、ポチが居るからやっかいなんだよ。どうやったの?」

 

 なんてたずねてくるけど、舞火のことは嫌いなので、無視。


「もえのアドバイスだよね。まさか鼓膜を狙えって言われると思わなかったけど」

 

 助手席に座ったアッキちゃんが、あたしに代わって返事をする。

 アッキちゃんと座席が離れたのもあたしが機嫌を損ねている原因だ。

 

「へえ、鼓膜を? なんでそう思ったの?」


 ヘアピンカーブの下り坂をガンガンに飛ばしながら、舞火が話しかけ続けてくる。

 右に左に体が揺れて、止血しにくい。

 もうこんなもので良いだろう、と思ったあたりで、両手が真っ赤に染まっていることに気付いた。

 気取った外車の座席になすりつけてやろうか。


「ねえ、教えてよ」

「あたしも知りたいなあ、教えてよもえ」


 アッキちゃんが言うなら仕方ない。

 手を入院着の裾で拭いて、額に浮かんだ汗を手の甲でぬぐってから、大袈裟にため息をつく。


「『しろがね』のときは普通に会話していたからだよ。マキ論と会話が成立してた。戴天にポチ呼びされてるときのキモい鳴き声しか聞いたことなかったから驚いたよ」


「そういえば、そうだったかも。でもそれでなんで鼓膜?」


 アッキちゃんが首をかしげるのが、バックミラー越しに見える。


「戴天の指示を受けないと、式神が使えない……ポチのスイッチが戴天の指示にあるって言えばいいのかな、そう予想したの。マキ論に銃で顎を砕かれた戴天は、指示が出せなくなったでしょ。顎を砕いておいてから、マキ論はポチにナイフで近接戦をしにいった。マキ論はすぐにポチを刺すつもりだったんだろうけど、横槍が入って時間をロスした。戴天のぐちゃぐちゃになった口が再生して、戴天が『ゴー』を出して、ポチは犬歯を生やした」


「なるほど、それで、マキ論を助けるためにはポチが指示を受け取れないようにするしかないと」


 顎に手をあてて、感心したみたいにアッキちゃんがうなずいてくれる。

 

「そういうこと。あたし達、武器らしい武器も持ってないけど、鼓膜を破るだけならヘアピンでも出来る。戴天自身があたしにくれた、五芒星の二つのピンでね」


「マキ論ちゃんはしろがねの秘密を知っていたってことか。あたしにも話しておいてくれたら良かったのに」


「ただの運転手に教えても仕方ないでしょ。式神だって、尾行にしか使えないんだから」


 あたしの言葉に、舞火は舌打ちを返す。

 振り向いて嫌味の一つや二つ言いたいところだろうけど、今は運転中だから出来ないだろう。おあいにくさま。

 フン、という鼻息とともに荒い運転をさらに荒くした舞火のせいで、あたしは左側に大きく引っ張られる。

 筒のパッケージのマーブルチョコになった気分で、ザザーっと寄った先にマキ論が座っていて、あたしはマキ論に抱きついてしまった。

 ゲエ。

 

「五芒星の……ピンは……」


 半分眠ったようになっていたマキ論が、衝撃で目を覚ます。あたし達の会話は聞こえていたらしい。


「……二本のピンは、詞子のりこ鳥子とりこが……、付けていたものだな。トモカヅキを手に入れたことで、過去と決別出来るとでも思ったのか……アハハッ! カァ゛ハッ!」


 みぞおちに思い切り拳を入れてやった。


「戴天はクソ女だったけど、境遇には同情してる。彼女があたしにピンを渡したのが、過去と決別したいって気持ちからだったとしたら、それを笑われたくない。あんな悲しい人間を作ったのは、あんたらだ」


「悲しい人間? 完全な黄泉返り人にしてやったのに、随分な言われようだな。戴天からも聞いただろう、あのままなら親を殺すか親に殺されるかしていた姉妹だったんだ。それを私が紹介してやった。感謝して欲しいものだ。セーマンの力がなければ、貴様の言うところのクソ女にすらなれなかったんだからな」


 気付けば車は直線道路に入っていた。稜線沿いに降りてきていたらしい道が、ふもとの町に入ろうとしている。

 ミッフィーの口みたいな角度のバッテンを描く交差点の、小さな信号の手前で車は停まった。


「ちょっと! マキ論ちゃんの処置してって言ったはずだけど!? いきなり殴ってんじゃねえよ!!」


 赤信号で停まるタイミングを待っていたらしい舞火が振り向いて、あたしの顔を引っ掻こうと手を伸ばしてくる。

 死闘を見てきたあたしとしては、こんなもの子猫がじゃれついているようなものだ。人差し指を握って、関節を逆にしてやる。

 舞火は小さな悲鳴をあげて、急いで手を引っ込めた。

 運転手の指を折るわけないのに、本気でビビってバカみたいだ。


「処置はしたよ。で、いま向かってるのは病院ってわけ?」


「これから向かう教団本部にも、救護室くらいある。スタッフもいる。手術は出来ないが、あんた達の儀式さえ済めば、マキ論ちゃんは出世を約束されている。指が無くとも支障はない」


「かえって箔がつくくらいだ」


 マキ論がさも愉快そうに笑ったあと、顔をしかめた。

 大怪我してるのに調子に乗って笑ったら、傷が痛んで当然だ。


 車が動き出す。

 大きな直線道路に入って、日本全国どこにでもある地方都市の光景が広がる。チェーンの飲食店のロードサイド店と、中古車販売店と、ディーラーと、重機の停まった資材置き場と、ガソリンスタンドと、ホームセンター……。

 次の信号で停車したところで、ガソリンスタンドの看板の店舗名に目を凝らす。


「四日市……。四日市?! あの、教科書とかで見た、四日市港、四日市ぜんそく、四日市コンビナートの四日市? なお現在は環境推進都市となっている。と教科書にあった四日市市? でも四日市って海があるところじゃないの? めちゃくちゃ山なのに四日市なの?」


「もえ、試験のために詰め込み勉強したのは偉いけど、地図帳は見ていないみたいだね。四日市は山もある。四日市は三重県にある。三重県には、伊勢志摩がある……」


 驚きのままに教科書知識を羅列するあたしに、ため息をつきながらアッキちゃんが返した。

 

「これから向かうのは、アッキちゃんの故郷ってこと?」

「そう、そこにセーマン派の本部がある。儀式に必要な、志摩の海も、ある」

 

「そういうコト。そこまで行けば、元エトワール候補も手を出せないだろうな。姥捨山制度は普通に有用、私の言った通りだろう? 光らなくなった星と同じ、いや、それ以下だ。光ろうともしなかったんだから。それにしても完全な黄泉返りにした以上、捨てるのも簡単じゃない。実験体にするくらいか。幼馴染のよしみで、私の下僕にしてやってもいいが」

「それ以上言ったら、今度はあんたの指のない左手と思いきり握手してやる」


 あたしが睨みつけると、マキ論が肩をすくめた。

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