第35話 ゴー!

「気狂い医術師の、失敗作の娘風情が、なま、いき、なッ……」


 憤怒の表情のマキ論が、地面に膝を付きつつも、ハンドガンの照準をオノレに合わせる。

 三発の、耳をつんざくような銃声が鳴り響いた。

 

 オノレは、額、肩、胸を撃ち抜かれ、顔から地面に倒れ込む。

 もう彼女――と、やっと性別が分かった――が起き上がることは無いだろう。広がり続ける血溜まりが、それを物語っていた。

 ずっとオノレの背中に張り付いていたらしい赤い蝶が、彼女の体から抜けていく魂みたいに飛び去っていく。


 あたしとアッキちゃんは、無意識のうちに、手を強く繋いでいた。

 目の前で起こっていることが現実だって信じたくなくて、意識が逃げようとする。お互いがお互いを現実に繋ぎ止めておくための、皮膚の感触。

 

 あたしは、アッキちゃんの手をさらに強く握った。アッキちゃんも同様に強く握り返してきた。

 どちらの味方をする気もないが、どちらか、欲を言えばどちらもが倒れてくれたら、手間は減るっていうわけだ。

 自分たちの運命が天秤の片方に乗っている以上、こいつらの命は限りなく軽い。そうでも思わないと狂ってしまう。


「はーあ、雑魚に弾を使ってしまったな。ま、至近距離ならこっちの方が、確実に処分出来るから、いいがな」

 

 マキ論がナイフを逆手に握り、振り下ろそうとする。ポチの喉元に向けられた刃が、魚の背みたいに光を返す。

 ポチは――ずっと戴天の口元に耳を寄せている。さっきまで、ごぷごぷ、としか聞こえていなかった音が、少しずつ言葉の形を取り始めている。血がとまって、かすかす、ひゅうひゅう、という音を漏らしながら、繋がりはじめた唇を動かしている。

 ポチはこのまま戴天に耳を寄せた姿勢のまま、黙って殺されるつもりなのだろうか。

 刃が、喉に入っていく。


 刹那、戴天の喉が、繋がった。


「死ね、しろがね」

 

「ポチ、ゴ―!」


 マキ論と戴天の声が重なる。

 ポチの犬歯が太く長く、口からはみ出すくらいに伸びる。

 その歯が、ナイフを握ったマキ論の左手の甲に深く突き刺さった。


 なに? 式神って歯にも憑かせるコトが出来るの? そんなのありなの?

 悲鳴を上げたマキ論の手からナイフが落ちる。


「は、な、せええーーーー!!!」

 

 マキ論の肘がポチの額を打ち付け、額を割る。血を流しながらも、ポチは噛み付いたまま離れない。

 苦悶の表情を浮かべるマキ論が、ひときわ大きな悲鳴を上げる。

 あたし達の頭にとまっていた赤い蝶が、焦ったように飛び立っていく。


 骨が砕ける音がして、続いて筋肉が裂ける音。

 そして地面に落下する、マキ論の左手の先。

 

 あたしとアッキちゃんは、無意識のうちに抱き合っていた。

 なんて世界に、来てしまったんだろう。

 逃げよう、逃げなくちゃ。幸い、赤い蝶もポチの方に飛んでいったことだし。

 そう思っても、足がすくんで動かない。それだけ、二人の戦闘は壮絶だった。


 右手でナイフを拾ったマキ論が、めちゃくちゃにナイフを振り回す。

 ポチの目を鼻を頬を切り裂いていくけれど、ポチは構わずに肩に噛み付く。

 太い血管を突き破ったらしく、噴き出した血がモヤのように二人を包んで、隠していく。


「もえ、どっちを生かす?」


 アッキちゃんが突然、物騒な話を向けてくる。

 

「生かすって、なに?」


「いや、ずっと見てても仕方ないかなって。両方殺すのは無理だし、どっちかを取りあえず、生かす。あたし達二人だけで山を降りるのも現実的じゃないから、そう考えると、マキ論を生かすか……。マキ論は車で来てる。運転は舞火で、いまは車で待機してる。……どう思う?」


 なるほど、この隙に逃げるってのも考えたけど、闇雲やみくもに駆け出しても捕まるだけか。それなら、マキ論を助けて車で脱出するのがよさそうだ。途中で乗っ取ったっていい。

 って随分ずいぶん考えが物騒になってきたなあ。この状況に影響されてるのかもしれない。

 

「そうだね、もしマキ論に加勢するなら、一つ作戦があるけど……ポチに、近づける?」


 アッキちゃんが、驚いた顔をしてあたしを見る。

 髪につけていた五芒星のピンを外して、一つはあたしが握る。もう一つを、アッキちゃんに握らせる。

 確実に仕留めるためには、二人がかりじゃないといけない。

 

「これでポチの……を刺して、今ならポチに隙がある。もしそれでポチが止まらなかったら、すぐに逃げて。アッキちゃんに傷がつくのは見たくないから」


 細かい説明をしている暇はなかった。ポチの歯がマキ論の喉に迫っている。マキ論がポチの口内から上顎に突き抜ける形でナイフを突き立てて防いでいるけど、多分もう持たない。


 ピンとあたしの顔を見比べていたアッキちゃんは、真剣な顔つきになって、ピンを強く握り直した。

 

「分からないけど……、もえを信じる。ポチを止める。もえも、傷つかないでね」

善処ぜんしょする。じゃあ、二人プレイで……いくよ!」


 あたしの声を合図に、あたしとアッキちゃんは左右に別れて駆け出した。

 もつれ合うポチとマキ論の元へ。

 

 クソ戴天は、あたし達の動きに気付いていなかった。

 ポチの歯がいまにもマキ論の喉に突き刺さろうとしているところを、至近距離から見つめていたからだ。

 恍惚とした顔で。

 本当に胸糞わるいヤツだ。

 

 あたし達はそれぞれ大きく迂回して、ポチの後ろに回り込む。

 予想はしてたけれど、アッキちゃんの方がずっと足が速い。同時攻撃は無理でも、少しでもはやくサポートに入らないと……これは、二人の連携が意味を持つ攻撃なんだ。

 焦りで足がもつれる。もっと速く走れるはずだ。もっと、もっと、あの日、自販機の横で助けを待っていたアッキちゃんに、会いに駆けたときみたいに。

 手の中に握り込んだピンが、ぬるくなっている。


 もっとだよ!

 走ってあたし!


 先に攻撃目標に到達したアッキちゃんが、ポチの左後方から飛びかかる。

 握られた拳から、金色のピンの先が飛び出している。


「なに? 自棄やけにでもなったの? そんなものでポチが、」


 アッキちゃんの次の動きで、戴天の顔色が変わった。

 ピンは深々とポチの耳の穴に突き刺さっている。

 ポチが痛みに身をのけ反らせて、アッキちゃんを振り落とす。

 ぽぉん、と自ら後ろに飛んで衝撃を逃したらしいアッキちゃんが、華麗に着地する。


 ポチの右後方から迫るあたしに気が付いた戴天が、体ごとぶつかってくる。

 腕を思い切りしならせて、戴天の首にラリアットをかます。

 ピンを強く握って、ポチの右耳を狙って、飛びかかる。

 

「ポチ、撤退! 私を連れて飛びなさい!」

 

 あたしがポチの右耳の鼓膜を破るのと、戴天の指示はほぼ同時に思えた。


 ポチが――マキ論から離れて立ち上がる。失敗か?

 自分の膝が震えていることに気が付いた。

 すぐに逃げるって約束なのに……足が動かない。ポチの陰に、すっぽり収まったまま立ち尽くしてしまう。あらためて、体格差って残酷だ。


 陰がぐらりと揺らめいた。


「なにしてんの! すぐ逃げろって言ったの、もえでしょ!」


 アッキちゃんがあたしの腕を取って、思い切り横に引く。

 ポチが地面を震わせて倒れ込んだ。

 さっきまであたしが立っていた場所に、うつ伏せになって、動かない。

 倒れたときの自重じじゅうで、ポチの口内に差し込まれていたナイフが、柄のところまで突き刺さっているのが見えた。


「終わっ……た?」

「止まったね」


 思わずへたり込んだあたしの隣に、アッキちゃんがしゃがんでくれる。

 あたし達のつま先にまで、ポチの血が流れてくる。


「終わってない! ポチ! 立って! スタンダップ! ポチ! 聞きなさいよ!」


 ポチに駆け寄った戴天が、髪を乱して泣き叫ぶ。

 悲痛な叫びの合間に、しゃくりあげるみたいな声が入る。

 

「あの……戴天……?」


 何を言っていいのか分からないけど、思わず声をかけたときだった。

 

 パァン。


 また、銃声。目の前で戴天の後頭部から血が噴き出した。


「終わったんだよ? バカなの?」


 マキ論に肩を貸して舞火が、そこに立っていた。


 続く銃声が四発。

 カチッカチッと弾切れの音がするまで、戴天の肉を吹き飛ばしながら弾が撃ち込まれた。


「さ、行こ? そいつが再生する前にさっさと車出しちゃお?」


 そう言って舞火は、あたし達に背を向けて歩きだした。

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