第25話 解体中のビル内部にて

 呼び出された先は、解体中のビルの二階だった。

 

 パネルを張り巡らせた囲いの一部、衝立ついたてになったところの隙間から体を滑らせて内部に侵入する。

 下から崩していっているらしく、一階は土台が丸見えの状態だ。水をふくんだ土のにおいが、むうっと立ち上がってくる。

 このご時世でマスクを持ち歩く習慣が、思わぬところで役に立った。不織布いちまいへだてるだけで、だいぶ違う。

 

 二階に上がるには……と周囲を見わたすと、むき出しのコンクリートの階段がある。なかば崩れている。

 階段からは、細い鉄の骨組みがうねうねとつきだしていた。階段の段上には垂直に太い鉄の棒が突き出している。

 解体中のビルの、そのありさまの階段に手すりなんかもあるはずがない。


「登るの? ここ」

 

 嫌だなあという気持ちをにじませながら、言ってみる。

 アッキちゃんが無言のまま先を行こうとするので、仕方なくあたしは隣についた。二人一緒に、階段に足をかけた。

 二人で並んでギリギリ立てる幅の階段の、外側はあたしだ。だってあたしはアッキちゃんを守りに来たんだから。

 アッキちゃんは軽く抵抗を見せたけど、もめる、まではいかないまま、なあなあにこのフォーメーションで固まった。


「なんでこんなところに呼び出したんだろうね」

「聞いてみたら分かるんじゃない」

「それはそうなんだけどさ」


 そんなことを言いながらあたし達の目線は階段の終着点に注がれている。

 階段の終わりには跳び箱の踏み板くらいの広さの空間があって、鉄の骨組みだけが格子状に組み合い、かろうじて足場として機能しそうな様子になっている。


 そのさきに二階フロアの床があるのだけれど、体育館の上の細い通路――キャットウォーク――みたいに壁に沿った細い通路になっている。

 もちろん、キャットウォークみたいな柵はない。

 二階部分は半分が解体済のようだ。

 通路を行った先には、まだ解体されていない床があった。そこにたどり着ければ落下の心配はなさそうだ。


 なんて考えている間に、階段を登りきってしまった。

 第一関門、鉄の骨組みだけで出来た空間だ。

 ふだんなら何てことなく飛べる距離だけど、踏み切りに向かない足場と高さへの恐怖が合わさって、足が動かない。それに間近に見る鉄棒の格子はあまりにも不細工で、頼りなかった。

 骨組み、と言ってみたけど、芯棒といった方が近いかもしれない。

 だって、細めのヘビか太めのミミズかってくらいの黒い鉄の棒が、くねくねと絡み合っているだけなんだから。

 

 アッキちゃんと顔を見合わせて、うなずき合う。

 そうだね、一緒に、飛ぼう。


「せーの……っ! て、なにアッキちゃん、手つないで一緒に飛ぶ流れだったじゃん。なんで離すの?」

「繋いだまま飛ぶなんて不安定で危ないでしょ! もえは骨折でもしたら何ヶ月も動けなくなるんだよ、危険予知ガバガバなの?」

「じゃあさっきの、いい感じのうなずき合いはなんだったの!?」

「そんなの決まってるでしょ」


 そこまで言うと、アッキちゃんはひらり、とダンスみたいな軽やかさで、絡み合う芯棒がつくった格子の床を飛び越えた。


「一人ずつの方が渡りやすい。それに、もえが落ちそうになったらあたしが引き上げられる」

「……そっか。それは、ありがとう」


 アッキちゃんのジコギセイ的な守り癖は、早急に直して欲しいポイントだなあ……という不満をおしこめて、あたしは、飛んだ。アッキちゃんみたいに華麗にはいかないで、ぅよいしょ!、って擬音が似合うようなジャンプだったけど、なんとか床には着地できそう、と思ったときだ。

 かかとが乗り切らなくて、バランスをくずしたあたしは、スッカスカの格子の床の側にひっくり返りそうになった。


 素早くアッキちゃんの腕がのばされて、力まかせに手をひかれる。

 もつれ合いながらだけれど、無事コンクリートの床に二人へたりこんだ。


「ね、言ったでしょ」

 

 とあたしを抱きしめながら言うアッキちゃんの胸が、確かな鼓動を打っているのが分かった。

 ばくばくと早鐘のように動いているあたしの心臓と比べて、平坦ではあるけれど、確かにここに居るっていうのが感じられる音だ。

 産まれたときに鳴りはじめて、死んだら止まるはずの音が、アッキちゃんからも鳴っている。

 それだけのことがすごく嬉しいし、奇跡みたいだ。

 

 黄泉返り人は、いま生きているって点でいったら、普通の人間と変わらないじゃないか。

 

「ちょっとビビったね」


 と笑うアッキちゃんの手が、あたしの背中で小さく震えていた。

 

 その時だった。頭上から、声が降ってきた。

 

「おふたりさ〜ん、イチャついてないで早く来なよ〜。私けっこう待たされてるんだけど」

 

 二階部分と三階部分の間、鉄骨で作られた足場に座る影と、隣に立つ大きな影がある。

 声を発したのは座っている方の影だ。

 ぶらぶらと遊ばされている足は、アッキちゃんよりも肉感的で、また違った魅力の脚だ。

 グラビアでウケそうな柔らかな脚。

 

戴天たいてんだ……」


 あたしから体を離しながら、アッキちゃんが呟いた。

 語尾に、不安げなゆらぎがある。

 戴天のふるまいは、どう考えても彼氏彼女を紹介しあおうっていう友だちへの態度じゃない。

 それがあらためてアッキちゃんにはショックなことみたいだった。


「あんたこそ変な場所に呼び出さないでよ。これフホウシンニュウでしょ? それに、呼び出されたのは二階のはずだったけど?」


 勢いよく立ち上がって大声で言い返す。あたしの声と一緒に、足元の小さな瓦礫が落ちる音が、スカスカのビルのなかに響いた。


「毒虫ちゃん、細かいよねえ。待ち合わせ相手が来なくて、辺りをぶらつくことくらいあるじゃない」

「で、ぶらついた結果おいしいパン屋さんとか、かわいい雑貨屋さんなんかは見つかったの?」


 売り言葉に買い言葉で、嫌味を返す。

 戴天は「あっはは!」と甲高い声で笑ってから、すぅっと真顔になった。


「じゃ、そっちもさっさと二階フロアに渡ってきてね。待ってるよ」


 そう言うと、戴天は隣の大きな影に、命令するような声色でなにかを言った。

 大きな影は、大柄な男性で、キャップを深く被っているために顔は見えない。こいつが戴天の彼氏か。

 彼氏がこんな場所についてくるってことは、彼氏もセーマンの一派なのかもしれない。

 男のハーフパンツは許せない派のあたしは、そいつがハーフパンツを履いていることも合わせて、嫌悪しかない。ウゲエー。

 

 そんなこと考えているあたしの視線の先で、驚くべき光景が展開された。

 戴天をお姫様抱っこした男が、両脚の血管や筋肉をめきめきと膨らませた。ふくらはぎに浮かぶ太い血管がありありと見える。気のせいかもしれないけれど、皮膚の下で血管がうごめいている。


 そして男は跳んだ。

 ちょっと膝をかがめたかと思うと、人間離れした跳躍力で跳んだ。

 あたし達の頭上の足場から二階フロアのむき出しの床まで、バッタみたいに跳んだ。

 距離にして、ええと、25メートルプールの半分くらいは跳んでいたと思う。


「アッキちゃん、あれ……」

「式神だろうね、多分、脚のなかに飼ってるんだ」

「そんなのあり? キモ!」


 あっけに取られながら、戴天がうやうやしく床に下ろされるところを見ていることしか出来なかった。

 戴天はすぐさまこちらを振り向くと、片手を頭の上で振り、もう一方の手は口の横にそえる形で声をよこしてくる。

 

「こっちこっちー! モタモタしてないでね〜? 私も暇じゃないんだから!」


 運動会の応援でもしているみたいな明るさで、戴天があたし達を呼んだ。

 反対にあたし達は、じとっとした目で戴天と細いキャットウォーク(柵なし)を見比べて固まっていた。

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