第12話 黄泉返り人

「まずは電車の中の話の答え合わせ。あの時まかれた水は、まず間違いなく海水だと思う。あたしの体を溶かしたし、毒虫ちゃんの言う通り磯の香りがした。だから、毒虫ちゃんはネトスト力を誇っていいし、予想も当たってる」

「それは、どうも」


 いちご大福=毒虫を突き止めたアッキちゃんにネトスト呼ばわりされるのは心外だけど、それ以上に気になるところがあるので続きをうながす。


「変な体でしょ。アルビノだし、海水で溶けるし、それも全部これのせいなの」


 そう言ってアッキちゃんは、ゆるいタンクトップの襟元を引っ張って、デコルテのタトゥーを見せてくれた。

 間近に見るタトゥーは、格子柄の方とAKKIの名前の方ですこしインクの色が違う。格子柄のほうが薄い紫だ。


「名前はね、自分で入れた。この柄……ドーマンの印だけだと変に目立つからね。ドーマン印は子どもの頃に入れられた。記憶にもないくらい小さなころに」

「ドーマン……印?」

「この格子柄のことだよ。ドーマン・セーマンって聞いたことあるかな」

「無いことは無いけど、それがなにかは知らない」


 アッキちゃんがあたしの手をとって、デコルテに誘導する。

 格子柄のタトゥーにそっと指先で触れると、冷たい彼女の肌のなかでそこだけが熱をもっていた。


「志摩の海女さんが身につける魔除けだよ。海にはこわいものがたくさんいるから、無事に帰ってこれるようにっていう。悪鬼貝っていう貝の染料を使うこともある。この格子柄がドーマン。普通は隣にセーマン印がえがかれる。ドーマン・セーマンはセットなの。セーマンは、こういう印」


 そう言ってアッキちゃんが、あたしの指をとって、デコルテのうえに滑らせていく。

 ひとふで書きでえがかれた模様は――


「五芒星じゃん!」

「そう、これがセーマン印。ドーマン印は悪いものから逃げられるように。セーマン印は元の場所に戻ってこられるように。って言われている。あたしは、三歳のときに地元の海で溺れたんだって。それで、本当はそこで死んでる」


 突然、ブンッという断末魔をあげてエアコンが止まった。

 静かになった部屋で、ひた、ひた、と水の落ちる音がする。

 見ると、エアコンの本体から水が落ちていた。


「……エアコン、全然使ってないんだ」

「暑さにも寒さにもにぶくてね」

「病院に行けないのも、その、死んだ人だから?」

「理解が早いね」


 AKKIのタトゥーのうえに置いたあたしの手に、自分の手を重ねながらアッキちゃんは言った。


「正確には死人じゃない。黄泉返り。ゾンビみたいなものだね。ドーマンの……この格子の術によって黄泉の国の醜女たちからは逃げてこれたけど、その代償として普通には死ねなくなった。ただの怪我ならすぐ治るけど、海水を浴びると、泡みたいにとけて消える。普通に死ねないっていうのは、普通に生きられないってことだよ。それであたしは、ふるさとの、志摩の海から離れた」


「その術で黄泉返ったこと、後悔してるの?」


「どんな姿でも生きてほしい、生き返ってほしい、っていう気持ちは分かる。生活の場の海で、子どもが死ぬのは、とても悲しいものだから……。禁忌の術を使っても。その後に子どもと会えなくなっても」


 そんなものなのかな、とアッキちゃんに術をほどこした親だか親族だかのエゴにいらつく。でもそれと同時に、アッキちゃんがをあたしが認められるかというと、出会ってしまった以上絶対に無理で、考えたくもないし、そうなったら何としてでもアッキちゃんを取り戻す、とも思った。


 守りたいっていうだけでもエゴなのに。

 

「なに、考えてた? やっぱり変だよねこんな話」


 アッキちゃんの緋色の瞳が不安げにゆらぐ。


「変じゃないよ! アッキちゃんが話してくれたこと、全部信じるし、真剣に考えてる!」

 

 ふわふわの綿毛みたいな白髪をくしゃくしゃにしながら、あたしは明るい声をつくった。


「あたし、本当に死なないのかなって試してきたの。頸動脈切っても、洗剤を飲み干してみても、首を絞めてみても、ぜーんぶ駄目。で、海水と同じ濃度にした塩水をつくって、体にかけたことはある。そうしたらね、体が溶けて、痛くて、それで泡がどんどん生まれて、ああわたしは死んでもいいけど消えて無くなっちゃうのはいやだ、怖い、って思ったの」


「洗剤……」


「不味かったよ」


「それはそうだよ! やだ、なんでそんな、やだよ」


 今度はあたしが泣きそうになって、でも、こらえた。

 アッキちゃんを守るって決めたんだから、こんなことで泣いていたらだめだ。


 アッキちゃんの話を総合すると、海水まき散らし事件はアッキちゃんを明確に狙った殺人未遂みたいなものだ。これからも悪意、というか殺意、にさらされるかもしれないアッキちゃんを守らないといけない。

 

「そう、やだよね。その『やだ』の結晶があの術だし、あたしの体。そして黄泉返りって現象」


「ちがう、あたしの『やだ』はアッキちゃんが死のうとしたこと! 実際に死ぬことの前に、死んでみようってアッキちゃんが思ったこと! そうアッキちゃんに思わせたもの全てがイヤだってこと!」


「実際に死ぬことについては?」


「え、…………そりゃ『やだ』だよ…………。ごめん、なに言ってるか分からないよね。結局あたしも勝手な人間だ。アッキちゃんを絶対失いたくないんだもん。放り出さないし、絶対離さない」


 エゴのかたまりの言葉に我ながらへこんだけど、アッキちゃんは嬉しそうに抱きついてきた。


「うん、離さないでね。あたしはさ、黄泉返りになった以上、黄泉返りとして生きていくしかないから。離されたら、困っちゃう」


「くるしいって! もう、話を先に続けようよ。海水をまき散らした奴がなにを考えてるのかって、アッキちゃんは分かるの? 五芒星……セーマン印をそいつがソリコミで入れてたのはなにか意味がある? 舞火のピアスは?」


「次々聞かないでよ。あたしもまだ分からないことが多いんだから」


 急に冷静になったアッキちゃんが体を離した。

 めくれあがったタンクトップの裾から、白いお腹がのぞく。お腹には火傷跡みたいな傷跡があった。みえたのはおへそのあたりだけだけれど、きっともっと上まで続いている。


 上……。

 想像したことを打ち消すように、アッキちゃんのタンクトップの裾を引っ張って直す。

 ふふ、と笑って身をよじるアッキちゃんの子どもっぽさがかわいい。


「舞火のピアスは分からない。それをあげたマキ論がどうなのかも。でも、水を撒いた男は確実にセーマン派だと思う」

「セーマン派?」


 またわからない言葉が出てきた。


「セーマン派も黄泉返り人を作れる。海水を浴びても消えない『完璧な黄泉返り人』をね。でもセーマン派だけじゃ作れない。ドーマンの術をうけた黄泉返り人をさらって、その黄泉返り人を素材にしないといけない。セーマン派は完璧な黄泉返り人を信仰対象にしているし、広告塔にもしている」


「広告塔?」


「分かるでしょ、世の中には不死っていうものに憧れる奴がたくさんいるんだよ」


 吐き捨てるみたいに、アッキちゃんが言った。

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