ダンジョンキーパー~巨塔のダンジョンは死にかけらしい~

烏丸

中層編1-1/ようこそ中層

「ゲホッゴホッ」


 隣で息苦しそうにしていた姉が派手に咳き込む。薬も昨日飲んだもので最後だったし、なにより飲水が心許ない、とあまり水分に口を付けないでいる。こんな時ぐらい、素直に飲んでくれればいいのにと一度小さく息を吐くと、姉を少し開けた場所の木の根元へ座らせた。少し手を引けば、いつもよりも軽い力であっさりと座り込む。歩くだけで精一杯な証拠だった。


「姉さん、やっぱりちょっと休もう。ここにいて。飲めるものか、果物か何か探してくるよ」

「ゴホッ……。こんな深い森、最上層にはなかったわ。迷わずに戻ってこられるの……?」


 灼熱となって久しい最上層から転がるように落ち延びてきたはいいものの、頼るあてなど当然ない。持ち出した食料でなんとか食い繋いでいたが、もうここが限界だった。この深い森に入ってからは追っ手の気配もない。休んで立て直すなら今だろう、とミヨウは羽織っていた上着を脱ぐ。深い森に似つかわしくない、するするとした上等な布の衣擦れの音が更なる場違い感をミヨウに植え付けた。


「姉さんがちゃんとここにいてくれれば、目印になる。ほら、おれの羽織り着てて。白いし目立つ」

「でもミヨウが寒いんじゃ……」


 日も落ち始め、森の中はさらに寒く感じる。あまり枯れ木や乾燥した木など見付けられそうにないが、せめてそれくらいは探して焚き火をしないと、体温も下がる。それに、火を炊けば獣避けにもなる。幸い、火種は家から持ち出す時に掴んできたので火の心配は無い。


「これから動き回るのに、無駄に立派な羽織りがあっても邪魔なだけだよ」


 こちらを気遣う姉へ半ば押し付けるように羽織りをかけると、着物の裾を襷掛けにする。手早くキュッと結んだは良いものの、結び目が不格好で、姉はくすくすと笑わっていた。少しだけミヨウはムスッとしたが、ここで動ける俺が頑張らねば、と鬱蒼とした森へ足を進めていった。

 姉はここ数日の疲れもあって、随分と息苦しそうだった。持てるだけ持ってきた薬も底をついた。自分だってかっこつけて姉を置いて更に森の奥へ入ったものの、この奇妙な気配が漂う森に圧倒され木の実すら見つけられないでいる。耳を澄ますが、川のせせらぎなど聞こえるはずもなかった。


「蔦とか、水が出るものがあるって本に書いてあった気がする……」


 昔読んだ本の知識が正しいとは限らないが、縋り付けそうなものなら縋り付きたいものである。棒のようになった足に鞭打って、ミヨウは多少歩きやすそうな獣道のようなものを辿る。ある程度幅はあるので、もしかしたら中型から大型の獣も使っているのかもしれない。今は小型のものの足跡しか見当たらないが、遭遇しないように気をつけねば。


「しかし、見事な森だなぁ」


 苔むした岩達を足場にしながら、傾いてきた陽の差す木々の隙間を見上げた。大木と苔と獣たちの森。枯れ木のように細い木にまで苔が這い、苔の色と大木の濃い茶色しか無い空間。自然物しかない空間に、ふと陽の光を反射する鋭く長いものが地面に刺さっていることにヨウミは気が付いた。

 苔に侵食されている様子もなく、刺さって間も無いようだった。細かく見事な装飾が掘られた細い棒は先端が鋭く、観賞用の槍と言われても納得してしまう。

 はぇー、とミヨウはしばらく美しい細槍に感動していたものの、どうしてこんなものがこんな森に突き刺さっているのかも分からない。分からないが、これは握りやすそうな太さだし、姉の杖として、危ない時の武器としても多少使えるかもしれない。

 そう思い、細槍に手を伸ばす。なんだか緊張して、静電気がくるのを恐れるような手つきでミヨウな細槍をつついた。抜いてはいけないものを抜こうとしているプレッシャーはなんなんだろう、と少しだけ身震いもしていた。


「な、なんともない……?」


 その後何度かつつき、意を決して装飾の少ない握りやすそうな部分を握る。姉の手には少し太いかもしれないが、無いよりマシだ。そう思い、ミヨウは力を入れた。


「ふんっ」


 気合を入れて抜こうとするも、ビクともしない。ぐりぐりと左右に揺らすと多少動くので、抜こうと思えば抜けそうであった。


「ふん!」


 一度目より力を込めると、先程よりも緩んだのを感じた。いける、もう少し粘れば抜ける。そう思い、再び引っこ抜く体勢に戻る。握れそうな部分が真ん中しかないのでいまいち力が入りにくいが、何とかなりそうだと少しだけ口角を上げた。

 杖兼武器が手に入る事にテンションが上がっていたミヨウは、突然頬に走った痛みに気付くのが一拍遅れた。


「……え、痛……?」


 とすり、と音のした方を見れば傍にもう一つ細槍が突き刺さっている。丁度上から槍が降ってきたような角度で、引っこ抜こうとしたそれよりも少しだけ斜めに突き刺さっていた。

 頬から、たらりと血が流れる。随分ばっくりと頬が裂けたようだ。ずきずきと痛みを自覚し始めた頬に呆然と手を伸ばす。引っこ抜こうとした槍と己の間に真上から再び細槍が降って来るのを見て危機感を感じたミヨウは、思わずバランスを崩しながら後退した。


「ひぇっ!? ちょ、なに!?」


 一歩後退すれば、容赦なく素早くその隙間へ細槍が降ってくる。先端の細さと鋭さを間近で確認したばかりだ。あんなものに貫かれたら大怪我じゃすまない、と若干へっぴり腰になりながらミヨウは急いで下がる。


「わっ!?」


 とすりと細槍が地面に突き刺さる。慈悲の欠片も感じない。


「ひえっ!?」


 追加でもう一本、と言わんばかりにとすとすと細槍が突き刺さる。あれよあれよと最初に抜こうとしていた細槍から引き離され、背後の木へ背中を打ち付けるようにして追い込まれた。トドメと言わんばかりに顔の数センチ前に一本細槍が降ってくる。


「ひ……ッ」


 顔どころか全身が青ざめているのがよく分かった。いつの間にか両手は肩よりもあがっていた。冷えきって震えだしそうだった。いや軽く震えていた。なんなんだ、怖すぎる。死ぬかと思った。ミヨウは真っ青な顔で息を荒くしていた。

 何本もの細槍が地面に一直線を描くように突き刺さっている。こんな状況であれば見惚れるほどの整列っぷりだっただろう。


「またルールも知らない馬鹿野郎が勝手に抜こうとしたのかと思ったら」


 剣幕を滲ませた男の声が、抜こうとした槍よりも奥の方、森の木陰から聞こえた。視線だけで声の主を探す。薄暗い木々の隙間から、それは薄い夕日によって照らされた中に現れた。


「その息苦しそうな白い服、最上層の人間か……?」


 何本もの細槍がぐるりと中空を舞い、男の周囲を警戒するように浮いている。木陰から出てきたのは、いつでも細槍を操作できるように構えたミヨウとそう歳の変わらない青年だった。中層の人間らしく、軽めの洋装に丈夫そうなブーツとグローブ。青年の白い髪は風に吹かれて軽く揺れ、森の色を煮詰めたような色合いの目は俺を見て細められている。揺れた髪で小さな白いドラゴンが遊んでいた。


「あ、あの」


 警戒しかしていない青年へ、ミヨウはあげっぱなしだった両手を更にあげてこう言った。


「たす、助けてください。い、色んな意味で……」


 きゅーっ、と小さな白いドラゴンが楽しそうに鳴いた。


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