第216話 土と蜘蛛(4)

 体育館になだれ込んだ神と人が見たのは、みなもの前で青い光を放つ人であった。


実菜穂みなほ、その人は、もしかした写真の先生?」


 陽向が実菜穂の横に来ると、光を放つ人を見つめていた。実菜穂は、コクリと頷いた。


「呪はすでに解けた。この者は、身体に残っていた思念しねんで姿を保っておる。じゃが、じきに姿は保てなくなるでな。御霊になれば、言葉が無くなるからのう。話せることがあるなら、すまぬが、この書のことを話してくれぬか。お主が託してくれたもの、決して無駄にするつもりはないのでな」


 みなもが書物を大切に預かる姿に、男は話を始めた。男の名は、小坂明良こうさかあきらといい、村にいた前任の教師が、突然失踪したことで急遽、異動してきたとのことだった。

 不安があったが、村の人々は歓迎してくれたこともあり、馴染なじむには時間はかからなかった。だが、次第に村の習慣や、人の関係に違和感を覚えていった。きっかけは、沼の地の生徒である優に対する村人の反応だった。沼の地だけは、疎外されていることを知ったのだ。そのため、事情を探ろうとあれこれ手を尽くし調べていった。

 ある夜、明良は村の歴史を調べるため、土の地に足を踏み入れた。そこで、月の明かりのなかにたたずむ女性と出会った。一目でその女性に恋をしてしまった。村に来た寂しさからではない。美しい黒髪が月に照らされ、何者も優しく受け止める瞳に明良は惹かれていった。その女性の名はハスナ。決して触れてはならない者に恋をしたのだった。


「私は、ハスナからこの村の成り立ちについて学びました。ハスナとは、月明かりの夜にしか会えなかった。ハスナは自分を呪われた者であること。囚われた者であることを伝えた。でも、私はそれでもよかった。ハスナがそばにいてくれることで、この村がどんなに恐ろしくとも、耐えられた。だけど、ハスナは私に、村から逃げるように勧めた。私はどうしてもハスナを救いたかった。私を助けようとするハスナが、愛おしかった」


 明良が、消えかえる声で言葉を並べた。


「その手段がこの書を、沼の地から持ち出すこと。誰に教わった」

「巨大な蜘蛛です。アワ蜘蛛と名乗っていました」


 みなもが問うと、明良は声を絞り出し答えた。そろそろ、姿を保つのが限界を迎えていた。


「それで十分じゃ。お主の想いを述べよ。力になろうぞ」

「ありがとうございます。願うことは、この書をアサナミの神様に届けてください。そして、をお救い下さい」


 明良はそう言い終えると、光を失いながら姿を消した。その場には、混じりけのない白い御霊が浮かんでいた。


 死神が、浮かぶ御霊を丁寧に懐に仕舞い込んだ。


「みなも、いま明良さんが、ハスナの神と言ったけど。明良さんが恋したのは」

「そうじゃ。明良が見たのは神じゃ。土の神じゃ」

 

 予想はしていたが、みなもの答えに実菜穂だけでなく、陽向も驚いていた。人と神が愛し合うこと。それは神の世界では禁忌であった。そのことは、雪の神である紗雪から聞かされていた。


「明良さんが呪に掛かったのは、そのためなの?」

「違うのう。呪はこの書を持ち出すときに掛けられたのじゃ」


 実菜穂とみなもの会話を聞いて、霞がメモのことを思い出した。


「そうだよ。このメモだ。れんちゃんから預かったメモに、沼地に行って、書物を持ち出したから、呪われたのだって書いてあった。女神に惹かれとも書かれてたよ。これで、メモの内容が分かった」


 霞がメモを取り出すと、実菜穂たちも覗き込んだ。


「それならば、これで解決ではないか。あとは、この書をアサナミの神に届ければ、すべて裁いてくれるであろう」


 火の神が、退散の意味を込め、みなもの袖を引いていた。


「お主は、あほうか。山の神の封印を解いて、呪を祓ったのじゃ。この地を支配する天上神が、書を持った儂たちを、おいそれと帰すものか。いまや、手薬煉引てぐすねいて始末するため待っておろう。それにじゃ、母さに、この書を渡しても、すべては解決せぬ。神謀かむはかりの裁きなど、童子どうじの遊びのようなものじゃ。母さもそれを承知して、儂らに神命しんめいを与えたのじゃ」


 大らかだった、みなものオーラが引締まり、周りの空気が揺らぎなく、一瞬固まっていた。


「それは、どういことだ」


 みなもの真意を含めた表情に、火の神もこの場を去ることができないと悟り、みなもの瞳を見つめた。みなもの瞳は、水色からさらに青みが増し輝いた。これと同じ瞳を火の神は、かつて見たことがあった。紗雪を救うために、行動したときに見せた瞳の色と同じであった。


「この村の天上神は、神の御霊を奪い、力をつけた。それは、放浪神が溢れていたことでも明白じゃ。風よ、もう話してくれてもよかろう。土の神を救うために、儂をここに連れてきたのじゃろ」

 

 みなもが、濃く青く光る瞳をシーナに向けていた。

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