第205話 巫女と見習(10)

「やってくれたな」


 静南しずな隼斗はやとれんを追い部屋を抜けだし走っていく。  


 途中、隼斗とは別方向に走り出し、部屋を通り抜けていった。


 隼斗は一度通った場所は記憶しており、迷うことなく外へと抜けた。参道に出たところで、静南と鉢合わせになった。


「やっぱ、そっちの方に地の利があるか」

「大人しくそれを返せ。いまなら、見逃してやる」

「嫌だね。お前が封印を解けば、返してやる。正々堂々と地道に進めて真那子まなこを助け出せば、お互いウィンウィンだろ」


 隼斗はジリジリと追い詰められ、鳥居とりいの方に後ずさっていった。


「どうした。もうそれ以上は逃げられない。お前がいかに敏捷びんしょうでも所詮しょせんは人。暗がりのなか、その石段を駆けて降りることはできまい。もう、仕舞しまいだ」


 静南が右手を伸ばすと、たちまち鎖が隼斗の身体にグルグルと巻き付き、動きを封じた。


(しまった。これが巫女かよ。いや、巫女じゃなくて見習みならいか。ほんと人間業じゃないな。さてと、これからどうするか見てろよ巫女見習さん。ただの人の意地を見せてやるよ)


 身動きが取れなくなった隼斗に静南はゆっくりと近づいていった。


「この状態では、さっきの爆薬も使えないでしょ。逃げ場もない。


 静南が鎖に繋がれた隼斗を追い詰めていく。隼斗の眼を見たほんの一瞬、静南の頭に幼い時の記憶のフラッシュバックが起きた。


 ◇◇◇


「ごめんなさい。ごめんなさい。許してください」


 静南はひたいを床に擦り付け謝り続けている。叩かれ、蹴られ、投げ飛ばされた。ときにはタバコの火を押し付けられた。相手は母親の交際相手である。「動作が遅い。やる気を感じない。歩き方が気に入らない」難癖なんくせともいえる理由で静南は、痛めつけられた。

 食事のときは特に仕打ちが酷かった。教えられてもいないのに箸の持ち方が悪いと張り倒された。おかずを箸から落としたときは、痛みとともに食事を取り上げられた。そのため、静南は幼児でありながら栄養失調の状態であり、恐怖から味を感じなくなってしまった。なす術もなく、機嫌を損ねないよう息を殺し従うだけだった。


 ◇◇◇

                                                  

 

 静南は隼斗の瞳を見ていた。もし、隼斗が巫女か魔物であれば、静南は何の遠慮もなく攻撃をしたであろう。だが、戦場で鍛え上げられた隼斗とはいえ、やはり人である。巫女の見習の静南と隼斗では、圧倒的な力の差があった。超えることができない絶対的な壁、一方的な力での制圧。それは、人と神の差ともいえた。その一方的に制裁を加えることに静南の心は動揺どうようした。

 

(忘れたはずの記憶が。こいつの眼がそうさせたか。嫌な奴)


 静南が隼斗を睨んだ。


 隼斗が静南を見ている。


(不思議だな。あいつはかすみを全然駄目だと言った。だが、俺が霞と初めて会ったとき、霞の瞳が放つ気迫に死ぬことに恐怖した。戦場でもそんなことほとんど感じなかった。だが、いまはどうだ。俺は恐れているか? いや、霞のような恐怖はない。じゃあ、やってやるよ)


「お前だって、巫女見習の前は人だろう。たかが人がどうするか思い知れ」


 隼斗はそのまま鳥居とりいを駆けだすと、石段を背中からダイブした。ろくに身動きが取れないまま急な石段を滑り落ちていく。鎖が鎧代わりになっているとはいえ、滑り落ちる衝撃は激しく、隼斗でも頭を打ちつければただでは済まない。石段を身体が跳ねるたびに鎖から火花を散らした。


「こいつ、何を」


 静南が石段近くまで勢いよく引っ張られると、グッと鎖を引き寄せた。隼斗の身体が石段の途中で引き留められた。


 静南を見た隼斗が叫んだ。


「漣、鳥居を抜けたぞ!」


 隼斗が見たのは静南が鎖に引かれ、鳥居から出てきている姿であった。

  

 ヒュッと風を切る音とともに、山伏姿やまぶしすがたの漣が上空から刀を振りかざし、隼斗の前に降り立った。


 キーン


 鎖を断ち切ろうとした漣の刀が弾かれた。


(切れないか。それなら)


神衣かむい!」


 弾かれちゅうに飛ばされた漣の身体が銀色の光に包まれると、黒のベストとミニスカ姿になった。神衣の第一形態だいいちけいたいである。


「これならどう」


 漣が再び刀を振り下ろすと、見事に鎖が切断された。


「なに! 鎖を断ち切る力がしもべにあるのか。それなら」


 静南が鎖を漣に向かい放った。


羽風はかぜの舞」


 漣が素早く迎撃げいげきする。風に舞い上がった無数の羽が鎖の繋ぎ目の間を突き刺し、鎖を石段に固定していった。静南がはねね退けようとするすきに、漣は胸元に飛び込み、刀を首に押し付けた。


優里ゆりをここにかくまってくれたのは、あなたでしょ。礼を言う。その優しさがあれば、きっと解決策もあるよ。私はあなたを殺したくない。お願い。封印を解いて」


 漣の背後には、無数の羽がどの方向にも攻撃できるように宙を舞っていた。


 静南は、返事をすることなく漣の瞳を見ていた。その視線がほんの少し逸れる。


 石段を駆け上ってくる隼斗を見つけた瞬間、静南の眼の色が変わった。


「あまいな、天狗」


 石段に打ちつけられていた鎖が静南の腕から切り飛ばされると、新しい鎖で漣の刀を弾き飛ばした。さらに石段にある鎖は蛇のように這い、隼斗の足に絡みついた。


「隼斗!」


 気が逸れた漣を静南が蹴り飛ばした。


「その輪は預けておく。お前の大切にしている者を引き裂くから、覚悟して待っていろ」


 静南はそのまま鎖を遠くの木に巻き付けると、飛び退いて闇の中に姿を消した。


「隼斗、大丈夫?」

「ああ、アチコチ打って擦りむいたけどなんとかな。これがあれば、閉鎖はとりあえず免れるか」

「そうだね」


 隼斗が鎖の輪を取り出して眺めると、白い液体が薄く輝いていた。


「隼斗、足から血が出てるよ」


 漣がネクタイを解くと、隼斗の傷口を縛った。


「もう一度風呂に入らないと、まともに動けないな」


 二人は秋人のいる部屋へと帰っていった。

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