第181話 巫女と鬼(7)

 鬼神きじんとなった鬼を前に琴美ことみは首にあるちょうあざに手をかざした。紫色の光に包まれた琴美は、セーラー服からゴシックアリス風の編み上げドレス姿になっていく。手には細く鋭い刃を持つ大鎌が握られていた。


 死神しがみは琴美の後で光に紛れて姿を消した。


 鬼神が琴美の姿を見ると、一気に表情を変えた。


「巫女か。しかも死神の巫女とは。ここをどうやって嗅ぎつけた」


 鬼が睨んでいる。琴美は怯むことなく、笑みのない表情で鬼に近づいていった。


「その言葉。私が来た理由は分かっているということですね」


 ゆっくりと大鎌を持った琴美が歩みを進めていく。ゆっくりであるが、一歩進むたびに鬼の表情は硬くなっていった。いまの琴美は死神の巫女である。死神が現れたということ。それは己の御霊に関わることがあるということ。鬼であれ、人であれ、そして神でさえもその定めからは逃れることはできない。死神の力を持つ者が大鎌を持ち目の前に現れるということは、死と隣り合わせになったということである。それが神の世界の禁忌きんきを犯した者となれば、問答無用で御霊は刈られる。


「そうか。巫女が来たということは、アワ蜘蛛が手を回したか。巫女も所詮は人。ここで死ぬがいい」


 鬼の眼が金色こんじきに光ると、大きなてのひらを地面へと押し当てた。


砂霧すなぎり


 鬼の声とともに地面から砂が舞い上がり、辺り一面を覆っていく。黄色の空間は、たちまち視界がゼロの状態になった。それだけではない。砂には痺れの術がかけられており、吸い込むと身体の自由が利かなくなる。


 死神は姿を隠し、沈黙して琴美の行動を見ていた。


(私は琴美が巫女になってすぐに、務めをいくつか任せた。その中には、人、魔物の御霊を刈ることもあった。琴美は、その都度つど、教えを力に変え、自分なりに務めを果たしてきた。そういう意味で実戦経験は、実菜穂みなほ陽向ひなたよりはるかに多い。いま、琴美は一人で鬼神戦う。琴美はどう戦う)


 琴美はその場に止まり、しゃがみ込み姿勢を低く保つと、後ろ髪を束ねている大きなリボンに手をかけた。紫色のちょうが三とう現れた。そのうちの一頭は、琴美の前に飛んでいくとベールマスクに変身して、ピタリと鼻と口を覆った。


 鬼が地鳴りを響かせた。地面の一部がやりのように鋭く突きあがっていった。もし、その場にいたら串刺しになっていたことだろう。前触まえぶれもなく予測不可能な状態で、鬼は次々と地面を突き上げていく。琴美は一歩、一歩飛び跳ねながらうしろへと退き、距離を取った。相変わらず低く姿勢を保ったままである。


 二頭の蝶は高く上がると辺りを飛び回り、やがて両側を囲むように飛んでいくと、一定の距離の所で静止した。


 死神はその蝶の行き先を見ていた。


(これで琴美はこの空間の全ての情報を手にした。鬼神はもう丸裸だ)


 琴美が放った二頭の蝶は、左右から飛ぶことでこの空間の地形から距離、鬼の行動全ての情報を手に入れ、琴美に伝えた。蝶はいま、神のドローンと化していた。


死境界しきょうかい


 琴美が念じると五歩ほど先の位置にフラフープのような円が描かれ、一瞬にして消えた。


 琴美は目を閉じたまま、ジッと待っている。


 鬼は相変わらず次々と地面を突き上げて攻撃している。鬼もあらかた攻撃したことで、琴美の位置を絞っていた。


「ふーん。だいたい分かったぞ。いつまでも隠れていられると思うな。地面からの攻撃は、お前を炙り出すためのものだ」


 鬼はそう言うと今度は地面を大きく二つに裂いていった。どちらかに逃げねば、割れ目深くに落ちてしまう。


「これが土の神の力だ。さあ、どっちに逃げた」


 鬼はそう言うと割れ目の右側の地を走っていった。


「臭う。分かるぞ。血の臭いだ。巫女は怪我をして動けずにうずくまっている」


 引き締まった体の鬼は、琴美の位置を突き止め、凄まじいスピードで走っていった。琴美は、眼を閉じたままジッと息をひそめて身を低くしている。


 死神の眼が琴美の背を見つめている。小さな背中の少女の姿だ。向かってくる鬼神に、琴美はただ小さくなり身を潜めていた。


(琴美には全てが見えている。鬼の考え、鬼の動き、鬼門の地形。全てを把握している。その琴美が、待っているのだ。鬼自ら破滅はめつするのを、待っている。しかもその鬼を誘っている。獰猛どうもうな野獣を誘う少女の色香いろか。まるで絶望の獄へといざな可憐かれんな華。どこで覚えたのか不思議)


「ここにいたかあ!」


 鬼は琴美がいる場所を狙って、渾身の一撃を放った。地響きとともに地面は深くめり込んだ。


「なっ!」


 鬼は一言を発したのち、動き封じられ、息すら止められた。琴美は立ち上がると、大鎌をたずさえゆっくりと鬼に近づいて行った。


「あなたが足を踏み入れた場所は、死境界しきょうかいといいます。生と死の境界です。いわば黄泉よみと地上の世界の狭間はざま。存在しない世界です。その世界に入れば、人は即座そくざに御霊を失います。神様でも全ての動きは封じられてしまいます」


 鬼は表情すら変えられずに、琴美を見ていた。その眼には、恐怖という色が濃く映されていた。


(この巫女は、始めから俺をここに導いていたのか。始めから、御霊を刈るつもりでこうなることを……これが人か)


 琴美の眼が濃く紫色に光る。


「神の御霊をわが身に封じるは、許されざる行い。神をはずかしめ、人をおとしめた罪は重い。その御霊刈ります」


 ゴシックのアリス風ドレスの琴美が、大鎌を振り上げながら身体を一回転させると、そのまま目にもとまらぬ速さで振り下ろし、鬼の胸の部分を切りさいた。

 鬼は抗うこともできず、御霊を抜き取られた。


 鬼の御霊と土の神の御霊の欠片かけらが、琴美の小さなてのひらにのっていた。


 死神は琴美から御霊を受け取ると、鬼門を封じた。


「ナナガシラに行こう。霞も待っている」

「はい」


 琴美は返事をすると、笑みのない表情から瞳を緩め、優しい少女の顔になった。


 死神の横について一緒に歩くと、鬼門をあとにした。

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