第166話 黒と白(2)

 雪神の札がユウナミの手から消えた。ユウナミが札に記されていたことに承知したというあかしである。これと同じ札をアサナミも受けとっていた。


 札は、雪神が、白新地しらあらたのちから地上の世界に出ることを伝えるもであった。雪神を見守る立場であるアサナミとユウナミに筋を通したということだ。それを承知したということは、天上界に雪神の行いが知れ渡り、問題となれば、アサナミとユウナミの二柱が責任を取るということである。それほど重い内容を承知したというのにユウナミの瞳は、スッキリとした明るい光を放っていた。


夕帰魅ゆきみ、あなたもここに来るまでに色々と思うことがあったでしょう」

「と、申しますと?」

 

 夕帰魅が母を見るような顔をしてユウナミを見上げていた。ユウナミもまた、いとしき子を見るような眼差しを向けていた。


「見ていれば分かります。いま、地上の片隅かたすみの小さな地で、天上の神々でさえ知らない戦いが始まろうとしています。小さな地であるが、この戦いの結果によっては人の存在は消えるかもしれません。そのことを知り、あなたの身体と心は全く違う方向にあるようです。その原因は何なのでしょう」


 夕帰魅は、言葉を返すことなくユウナミを見つめている。


「夕帰魅にとって、雪神は命に代えても護りたいと思う存在でしょう。雪神もあなたを大切に思っています。その雪神が、いまあなたに自分の道を選んで進むよう望んでいるようです」

「私の道ですか?」

「そうです。人の姿を持ちながら、人を遠ざける者。あなたはそのことに気付き、迷っている。その迷いが、何を意味するのか。迷っている意味を知ることが自分の道を見つけることになるでしょう。道を見つけるきっかけは、あちらの方向に待っているようです」


 ユウナミは北東の方向を指さすと、夕帰魅に飛び立つよう導いた。夕帰魅は頭を下げると、白い光の中で鶴の姿になった。


(雪神様は、『自分の想いを遂げるためであれば、結果として人を助けたとしてもそれに大した意味はない』と言った。私には正直、それが分からない。雪神様は人から遠ざかるために、白新地しらあらたのちを作った。ユウナミの神様も人から傷つけられた柱。それなのに、なぜ人を助けるのか。私には分からない・・・・・・ユウナミの神様は、私に何を示したいのか)


 美しい一声を響かせると、白い翼を広げユウナミが示した方向に鶴は飛び立っていった。





 赤瑚売命せきこのみことが拝殿の方向から戻ってきた。両の眉が少し中に寄っていた。桃瑚売命とこのみことは、その表情を見逃さなかった。


 赤瑚売命の両眉が寄っているとき、それは思案の末に結論にたどりつたときの表情であることを、妹である桃瑚売命はよく知っていた。


(姉は、何を企んでいるのか。こういうときの姉は、とんでもないことを言うから用心ようじんだ)


 桃瑚売命が随身門ずいじんもんに戻ってきた赤瑚売命を横目で見ていた。


「赤瑚売命、ユウナミ様は、何用でしたか」


 桃瑚売命の問いに、赤瑚売命がチラリと見ると一息ついた。


水面みなもの神がアサナミの神よりナナガシラの真相を探るよう神命を受けたことは、知っているでしょう」

「知っている。それでどうして赤瑚売命がユウナミ様に参上のお呼びがかかったのだ」

「うん。それがな」


 赤瑚売命の顔に僅かであるが、笑みが含まれた。当然、桃瑚売命はその笑みを見逃さなかった。


(なんだ?さっぱり分からん。姉は何を企んでいる)


 警戒の色を示す桃瑚売命をよそに、赤瑚売命はユウナミの言葉を説明していく。


「ナナガシラの神は強力だ。しかも、逃げるにも外部から閉ざされているようだ。明らかに水面の神の不利な状況だ。ユウナミ様は、我らのどちらかが影ながら助けるよう命をだされた」

「なるほど。それでは、赤瑚売命もさぞ弟と言える日御乃光乃神ひみのひかりのかみが心配でしょう」


 桃瑚売命が赤瑚売命の表情に探りを入れた。


「そうだな。肝心な時に優しすぎるのが、心配なところだ。桃瑚売命、あなたこそ妹のように思う水面の神が心配なのでは」

「水面の神は、強い柱だ。心配などしていない」


 揺さぶりをかけたはずが、逆に赤瑚売命の言葉に心のうちは動揺していた。それを見通して赤瑚売命は言葉をつなげた。


「その水面の神の危機を憂い、雪神が動くと聞いたのだが」


 桃瑚売命の表情が固まった。分かりやすい反応に赤瑚売命は心の中で笑い転げていた。


(雪神が動くだと。手合わせできる絶好な機会じゃないか。まさか、姉もそれを狙っているのか)


 桃瑚売命がウズウズとした目で赤瑚売命を見ると、赤瑚売命はニコリと笑った。


「このやしろを出られるのは私か桃瑚売命のどちらかだ。私も外の世界というものを見てみたいとは思ってな。桃瑚売命、お前も同じであろう」

 

 桃瑚売命はウンウンと頷いている。


「妹よ、こういうとき、人はある方法で勝負をするという。勝ったものが行くということでよいな」


 赤瑚売命が真剣な眼差しを桃瑚売命に向けると、それに応えて表情を引き締めた。


(姉は真剣勝負をする気だな。ここは負けられない。久しぶりに姉との手合わせだ。全力でいかせてもらう)


 赤瑚売命が右手を握りしめ、頭上に掲げた。それに反応して桃瑚売命は構えを取った。


(格闘戦でくるか。それなら勝機はある)


 桃瑚売命は右腕を腰に下ろし、後ろに引いた。突きを出す構えだ。


 赤瑚売命の目が赤色に光った。


「じゃーんけーん」


(じゃーんけ-ん?)


「ぽん」

「ぽん?」


 随身門に二柱のたわむれた声が木霊こだました。


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