第156話 鶴と烏(1)

 れんが青い光の中を駆け抜けていく。瞬間、かすかに魔の気を含んだ空間をすれ違ったように感じた。


(いまのが鬼門きもんだとすれば、本当に門番の横をすり抜けたということ。気づかれなかったのか?くっ、駄目だ。余計なことを考えるな)

 

 漣は真っすぐに視線を向け、光を目指し全力で突き抜けた。



「来ましたね」


 東門仙とうもんせんが漣の気を感じ取ると、衝突しょうとつを避けるために門の横に並んだ。目を閉じ、漣が門に到着するタイミングを計っている。


 漣が勢いよく門から飛び出してきた。東門仙の右腕が素早く漣の装束しょうぞくえりをグッとつかんだ。男神おとこがみにしては細い右腕に力が入ると、腕の筋が引締まり美しい筋肉を浮かび上がらせた。


 グゥツィー!


 鳥の首を絞めたような声とは、まさにこのことなのだと思えるうめきが漣の喉元から漏れた。


(なに、なに?なんだ!)


 いきなり首元を絞められた漣はキッと苛立ちの表情を見せたが、目の前の状況を理解するとその表情から勢いを失っていった。


 というのも、鼻先を掠めるほどの距離に木が立っていたのだ。校庭の片隅に植えられていたけやきで、太さは漣の腰回りと同じだ。いくら天狗とはいえ、あれほどの勢いでまともに衝突すれば、さぞや痛かったであろう。


 難を逃れ、ホッと息をつくと、漣は身体の力を抜いた。


「あっ、これは」


 後ろから聞こえる声に漣が振り向くと、東門仙が目を大きくして固まっていた。襟首をつかんでいた手がゆるりと離され、動揺している様子であった。


「これは申し訳ありません。烏天狗からすてんぐと聞き、てっきり男だと思っていました。お怪我けがはないですか」


 東門仙の言葉に、漣はイラっとした感覚が心に積み重なった。


(ああ、そうですか。女が来たら悪いのか。いつもこうだ。女天狗は珍しいか)


 漣の尖った目つきに、東門仙は自分の言葉が悪かったと悟った。


「私の言葉で気を悪くされたのなら、お詫びします」


 東門仙が頭を下げている。見れば、漣とそれほど歳が変わらず、若い顔立ちである。鎧をまとい、手に刀を持つ姿は門をまもる神として納得のいくオーラを放っていた。


水面みなもの神の言葉から、早く気がつくべきでした。烏天狗という言葉だけで男と想像した私の浅はかな思慮をお許しください」


 東門仙の腰が低い対応に、次第しだいに漣も恐縮していった。東門仙自身、自分を神だとは思っていないことから自然にでた態度であった。


(そうだ。この門の神は、水面の神と通じてここに導いてくれた。女神めかみである水面の神を敬愛しているのだ。詰まらぬ目で意地を張っているのは、私の方か。しかも相手は神ではないか。神が頭を下げるなど)


「あの、私こそ助けてもらって礼も言ってませんでした。ありがとうございます」


 漣がかしこまり頭を下げた。衣装こそ山伏姿やまぶしすがたであるが、ゆるりと礼をとる漣は、人の子と変わらぬ温かみと愛らしさを見せていた。東門仙もそのような漣の心にある優しさを感じ、生真面目きまじめな顔に笑みを浮かべていた。


 頭を上げ、笑みを浮かべる東門仙の姿に漣は見とれた。門を護る役目から当然なのだが、門の神は大抵たいていは厳しい顔をしているものである。それゆえ、東門仙が優しく笑っている姿が漣には珍しかった。


ゴツッ!


「いたっ!」


 呆気に取られてポカンとしていた漣は、後ろに立っているけやきに頭をぶつけた。


 それを見て東門仙は「あっ」と驚くが、すぐに笑い出した。ともかく鬼門を抜け出したことに緊張が解けたこともあり、東門仙の笑う姿に漣も一緒に笑っていた。


「あっ、えっと、東門仙様だっけ。実菜穂みなほがたしかそう呼んでた。あのう、ここはどこ?」

 

 漣がキョロキョロと辺りを見渡している。校庭の片隅にある木々に囲まれた場所。ある意味小さな世界ではあるが、その世界から視界を広げて校庭を眺めた。


「実菜穂殿も一緒でしたか。ここは、実菜穂殿と陽向ひなた殿が通う学校です」

「へー、学校かあ。私が知っているのはもっとちっこい建物だったよ。随分と大きな建物だなあ。これだとさぞや人も多いかな」


 漣がジーっと校舎の方を眺めていると、人影がチラホラと動いていた。どうやら部活動の生徒が学校に来ていたようだ。


(村の外に初めて出た。これが、外の街というところか。ここから土の神の巫女を探す。その前に雪神様に会わないと。いったいどこから手をつければ・・・・・・)


「漣殿、もしよろしければ、水面の神が言う事情とやらを話してもらえますか」


 外の世界で託された大義を果たす重さを噛みしめているところに、東門仙の声が漣の意識を現実に引き戻した。


 漣は、ナナガシラの現状と人と神々を救うため、みなもたちが龍神を討つべく動いていることを説明した。東門仙は言葉をはさむことなく、真剣な瞳を向けて聞いていた。

 

「そうでしたか。水面野菜乃女神みなものなのめかみ日御乃光乃神ひみのひかりのかみ級長戸乃女神しなとのなのめかみの三柱が動いている。あのとき感じた闇が、大きくなりつつある」


 東門仙はみなものことを案じ、表情を曇らせていた。


「漣殿、私で何かできることがあればお手伝いをいたします。何なりと申しつけ下さい。ときに、漣殿は水面の神より何を頼まれたのでしょうか」


 漣の顔がピクリと反応した。クッキリとした眉毛が引きつった。


「それが雪神様ゆきがみさまにこの短冊たんざくを渡すようにと」

 

 漣が水色に輝く短冊を取り出した。


「なんと美しい短冊。水面の神が雪神に込めた深い思いが表れているのでしょう」

「何を意味しているのか分からないけど、私もそう思う。それにもう一つ役目がある。土の神の巫女を探すことだ。正直言うと、どちらも全く見当がつかない。村の外に出るのは初めてだ。雪神様は白新地しらあらたのちの世界にいると聞くが、私はその場所すら知らないし、手がかりもない。水面の神は『この短冊が白新地に導く』と言うが、はたしてどうなるのか」

「確かに。白新地は神でなければたどり着けない世界。しかも、雪神に許された神でしか門が開かれないと聞きます。まさに水面の神の短冊がその鍵であることは間違いないでしょう」

 

 東門仙の言葉に漣がため息をつき、短冊を見つめた。その顔は女烏天狗おんなからすてんぐというよりは、学校にいる悩める女子生徒と変わりがないように東門仙は思えた。


「あーっ、もう、本当にこれ、どうどうしたらいいんだろう。東門仙様、白新地の方角だけでも知りませんかー」


 漣が泣きそうな顔をしながら短冊を掲げると、短冊は日の光と合わさり、水の波紋のように水色の光の輪を広げた。


「どうやら、水面の神の言葉が答えのようです」


 東門仙が目を大きく開けて、漣の後を指さした。


 漣は、東門仙の顔に意味が分からず振り向くと、東門仙と同じように目を大きくした。


 漣と東門仙が見る先には、白い雪の結晶である六華りっかの形をした門が姿を現していた。

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