第113話 覚悟と想い(9)

 特製塩ラーメンが運ばれてきた。普通盛りと特盛り。真一がドンと良樹の前に特盛りを置いた。


 盛りつけは海をイメージしたもの。特盛りでも、その見た目の美しさは変わらなかった。良樹は器の中に描かれた世界に引き込まれていた。その様子を真一は目を細くしながら見ている。


「朝練のあとつき合わせちゃって、お腹空いてるでしょ。食べて。ここの味は最高なんだから」


 陽向はそう言いながら、スープを口に運んだ。なんてことのない動作であるが、陽向の動きは丁寧で、動作の型があるように美しかった。良樹も陽向につられてスープを口に含んだ。


「うまい!」


 目を丸くして器を眺めている。繊細な表現はできないが、魚介系の出汁を確実に舌で味わっているという感覚がある。一口飲めば、もう一口味わいたくなる。そうとしか表現しようがなかった。


「当たり前だ」


 真一が腕組みして睨みつけているのをよそに、良樹は夢中で麺をすすっていく。右に箸、左にレンゲを持った手は止まることなくラーメンをさらっていく。目を細めて睨んでいた真一であるが、体格のいい良樹の食べっぷりに徐々に表情を緩めていった。陽向が笑顔で真一と良樹を交互に見ると、自分も箸を進めた。一口一口、箸を進め、スープを飲んでいく。神事のように流れる動作は、味わうことを楽しんでいながらもどこかおごそかな儀式のような振る舞いである。厨房の店主はそんな陽向の姿を見つめていた。


(陽向ちゃん、末期まつごのつもりかい)


 良樹は器を空にして一息ついた。


「俺、ラーメンのスープってやつは腹壊すから子供の時から絶対飲まないんだ。でも、これは。このスープは身体が求めて手が止まらなかった」

「おお、そうか」


 驚いて見る良樹に、真一は満更でもない表情で答えた。


「でしょう。私もここの味は大好きなんだ。良樹が気に入ってくれたなら、ご馳走しがいもあったかな。ここに遠征に来たなら是非寄ってね」

「ああ、もちろん。また食べたくなる味だ。それにここのパネルも綺麗だし。秋人も来たらビックリするぜ」


 店内をグルグルと見渡す良樹を見ながら、陽向はゆっくりと立ち上がり勘定を真一にお願いした。


「あっ、会計ならいいぜ。俺の方が出すよ。いい店教えてくれたし」


 慌てて駆け寄り、財布を取り出そうとする良樹の手を陽向の柔らかい手が押さえた。触れた手の感触に良樹は顔を真っ赤にした。


「おじさん、真一さん。今日はありがとうございました。今度、良樹が来たときはまた美味しいラーメンを食べさせて上げてください」

「おう、分かったよ。陽向ちゃんもまた来てくれるよな」


 真一は、陽向の言葉遣いが気になりながらもいつもの調子で答えた。陽向はただ笑うだけであった。


 お辞儀をして店を出ようとしたとき、厨房の店主が声をかけた。


「陽向ちゃん、いつでも、何時でもいい。たとえ真夜中でも店を叩けば、陽向ちゃんの一杯は用意している。だから、必ずまた来てくれ」


 汗か湯気のせいなのか、店主は目を潤ませ、約束をするよう陽向を見つめる。


「はい」


 陽向は深くお辞儀をして店を後にした。真一は二人のやりとりにただ事ではない雰囲気を感じ、陽向が食べた器を目にした。滴一つこぼさずに綺麗に食べられた器。始めから終わりまで美しく食べていた陽向の姿を思い浮かべていた。


「親父、陽向ちゃん何か様子・・・・・・」

「うるせえ。それ以上、話すな。それより真一、いいいか、今日から次に陽向ちゃんが来るまで、絶対に一杯分のスープは切らすんじゃねえぞ。こいつは願掛けだ」

「ああ・・・・・・なんか分かんねえけど、分かったよ」


 店主の気迫に押され、真一は何度も頷いた。店主は、陽向の幼いときの写真を見ていた。


(陽向ちゃん、絶対死ぬんじゃねえぞ。帰ってこい。またここに帰ってくるんだぞ)




 陽向と良樹はユウナミの社に来ていた。傾きかけた日が美しく社を照らしていた。不思議なことに、この地の名所でありながら、いまは人影は見えず陽向と良樹の二人だけであった。


 二人は拝殿の前で手を合わせた。良樹にとっては、見るもの感じるもの全てが新鮮であった。何よりも陽向と二人だけで時を過ごしていることが幸せであり、本当に神様にお礼を言いたいくらい感動していた。ふと、隣で手を合わせている陽向を見た。服装のせいもあるが、目を閉じ静かに祈っている陽向は、日の本の神様のように暖かく眩しく見えた。


(ユウナミの神様。私は、これより日御乃光乃神ひみのひかりのかみとともにナナガシラに向かいます。そこに潜む闇の根元を必ずや日の本に晒して参ります)


 陽向がキリッとした姿勢で一礼をするその姿に、良樹は疑うことなく光り輝く女神を見たように思えた。


 陽向がガイドを勤めながら、神社を散策している。社務所しゃむしょを通りかかったとき、勤めている人と知り合いなのか、仲良さそうに言葉を交わしていた。笑って話す陽向を見つめながら、良樹はこの上なく幸せな時間を過ごしている自分に対して、陽向はどんな気持ちなのか気になっていた。そもそも、いままで二人だけで行動したことなどないのに、今日は陽向から誘ってきた。有頂天になって気が回らなかったが、いつもの陽向ではないという考えが頭を巡っていた。


 社務所から良樹のもとに陽向が駆け寄ってくる。


「良いものあげる」


 陽向がそう言って差し出したのは必勝祈願の御守だった。


「おっ、俺に。でも、御守なら陽向の神社の持ってるぜ。他の神様のを持つと喧嘩するんじゃないか?」


 良樹は自分のバッグに付けている御守を見せた。陽向はそれを見てウンウンと笑っている。


「大丈夫、大丈夫。他の神様の御守持っても喧嘩なんかしないから。それに、ここの必勝祈願は御利益ごりやくの本家だよ。日御乃光乃神の母であるユウナミの神。親子で必勝祈願すれば、良樹も無敵だあ」


 陽向は笑いながら、御守をバッグに括り付けた。良樹は嬉しさと照れを顔に出さないようにするので精一杯だった。


「私、いままで良樹の試合を見たことなかったな。やはりかな」

「何言ってんだよ。秋にはレギュラーになってみせるぜ。御守効果で勝つよ。これからなんだぜ」


 陽向は笑って良樹に頷くと、クルリと背を向け狛犬こまいぬの方へ駆けていった。良樹は思わず手を差し出した。陽向がこのまま遠くに行くような気がしてならなかった。



 狛犬に手を振る陽向を見ていると、不思議なことに真一の店に写っていた幼い陽向の姿と重なって見えた。


(何だよ。陽向が変なこと言ってなかったか?まるで、二度と会えなくなるみたいな。そんなことないよな)


 良樹の顔を夕日が薄く照らしていく。陽向の姿が眩しさのなかで見えなくなりそうになっていた。

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