第112話 覚悟と想い(8)

 日が昇り、すっかり明るくなった駅前に陽向はいた。昨日の出来事は時が経つにつれ、風邪をひいたときの悪寒おかんのように陽向の身体を震わせた。

 もちろん、実菜穂の治療のおかげで傷は完全に癒えている。気持ちも回復はしている。だが、心の中に突き刺さった怖さが抜けきれないでいた。その怖さとは、人と戦ったこと。物の怪や霊ではない。自分と同じ年頃の女の子だ。正確には戦ったとは言えないが、命のやりとりをしたことは事実である。一方的に攻撃されたのではあるが、それでもチャンスがあれば斬っていたかもしれない。ビルで霞と戦ったときは、芝居であるため、稽古のような感じだった。だが、昨日は命を消す可能性があったのだ。人と人とが戦うということ。そして、ナナガシラに行けば、再び帰ってこられるという保障がないということ。そのことが陽向の心に深い爪を立てていたのだ。いや、陽向だけではない。実菜穂、霞、琴美もそれは同じである。


「おっ、陽向」


 声をかけたのは良樹よしきだった。大きめのメッシュシャツにイージーパンツ、肩にはスポーツバッグを掛けている。バッグは大きめであるが、良樹が持つと普通サイズに見えてしまう。


「あっ、良樹。バスケの練習は」

「あーっ、早朝練だけだからもう終わった。暇だから秋人を誘って遊びに行こうと思ったけど、先約が入ってて。それより・・・・・・陽向こそ駅にいるなんてどこか行くのか?」


 陽向を前に噛み噛みになりそうなところを必死で耐え、平静を装い話す。普段でさえ言葉を交わすだけで緊張するのに、陽向の姿に釘付けになっている状態では、噛まない方が不思議だった。その陽向はボルドー色の膝上フロアスカートに白のブラウス姿。薄めのスカート生地が日の明かりを受け、紅色に見えた。陰で見れば上品で落ち着きがあり、明るい場所では元気で軽快な姿に見える不思議さに良樹は魅了されていた。


「じゃあ、いまから時間ある?よかったらつき合ってくれない。お昼ご馳走するから」

「もちろん。暇持て余してお釣りがくるくらいや。いや、暇じゃなくても行きます」


 大柄の身体からは想像できない動揺した声に陽向は笑うと、切符売り場に足を進めていった。


 陽向が背を向けた瞬間、良樹は素早く自分のシャツに鼻を近づけ頷いた。


(おれ、臭くないよな)



 電車で揺られること1時間、陽向と良樹は向かい合い、ちょっとした遠足を楽しんでいた。もっとも、良樹にとっては陽向との初デートとも言えるシチュエーションに天にも昇る気持ちであった。


 気を使っているのか、陽向の方から話を振ってくる。話題はもっぱら良樹のバスケ話である。良樹にしてみれば、陽向の話を聞きたいのに、自分のペースに持ち込めないでいた。バスケではこんなことはあり得ない良樹にとって、陽向はかなりの強敵といえた。


 駅に着くと陽向と一緒にブラブラと歩く。良樹には初めて来る場所であるが、陽向にはお馴染みの場所らしい。目に付く観光看板があると、地元ガイド以上に解りやすく説明をしながら歩いていく。良樹にとっては、この上なく幸せな時間であった。


 二人がたどり着いたのは一軒の店。真一のラーメン屋である。扉を開けて入ると、客が二、三人いるだけだった。どうやらピークは過ぎたようだ。


「あーっ、陽向ちゃん、いらっしゃ・・・・・・い」


 満面の笑みで迎えた真一の顔が固まった。視線の行き先は良樹だった。


「また来ちゃいました。ここ良いですか?」


 陽向がカウンターの席を指さすと真一は笑顔で招くが、良樹を見る目は鋭くなっていた。良樹は真一の視線に気が引け、怖ず怖ずと陽向の後についていった。


 カウンターの席に座った良樹は目を広げ、「ホーっ」と店内の壁を見渡していく。飾られた数々の写真。陽向が中心であるが、実菜穂や真奈美の写真もある。三人が巫女となっている写真は、つい最近間近で見ることができたシーンである。目に焼き付いてはいるが、こうして写真で見るとそのシーンが鮮明に思い出された。数ある写真のなかでも良樹が特に目を止めたのは、幼い陽向の写真である。巫女衣装が泥で汚れて笑顔でいる写真だ。


「陽向ちゃん、あれ誰?まさか彼氏とか?」


 お冷やを出しながら陽向に耳打ちする。


「ははは。幼馴染みです。海道良樹かいどうよしき。小学生の頃から神社に遊びに来ていたの。一緒に遊ぶこともあったよ。高校も同じです」

「ふーん。幼馴染みねー」


(そうか。小学生の頃ね。それなら、俺の方が早くから知り合いだったことになるな。なんといっても、あの写真の巫女になったときから知ってるのだから)


 ほんの少しの優越感から真一は軽く笑みをこぼし、注文を聞いた。


「うん。特製塩ラーメン二つ。一つは特盛りで。今日はわたしがご馳走するから」


 陽向が指を二本立てて笑顔で注文した。


「陽向ちゃん、特盛りって・・・・・・まさかこいつの?」


 真一がムッとしながら、良樹の方を見ている。


「そう」

「あっ、俺、普通でいいよ。それに俺の方がご馳走するよ」

「駄目だって。私ね、今日はここに来たかったんだ。ここの味が好きなの。だから、良樹にも味わって欲しい。真一さんと、お父さんの傑作をね」

「真一さん、とびきりの味、良樹にも味あわせてあげて」


 陽向が笑顔で手を合わせている。その姿に陽向ファンの真一はただただ参るばかりだった。良樹も思わず見とれて固まっていた。

 

 厨房にいる店主がジッと陽向を見ていた。この場で陽向の心情を察したのは店主だけであった。


「おう、早く注文受けろ!客とだべってんじゃねえ」


 店主が声をかけると、真一が慌てて注文を伝えた。


 陽向は静かに頷くと、優しく微笑みながら奥に引っ込んだ真一を見ていた。

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