何者にもなれないフタリ

にまめ

奇跡のような恋だった



 その日、その場所へ入ったのはたまたまだった。


 満月が主張する真夜中。外壁がいへきにツタが絡んだ少し古臭い洋館へもはや慣れたようにボクはスルリと入り込んだ。

 ここはヒトがいなさそうだしちょうどいいと、外観がいかんほど古びていない中を進んでいく。しばらく様々な部屋を覗いてみてちょっとした違和感に首を傾げる。


 思ったよりキレイなのだ。もっと外観みたくボロボロかと思っていたのに、予想したクモの巣や転がるゴミなんか見当たらない。少し残念だな、そう落ち込みながら目の前の角を曲がって──ボクは、美しいヒトをみた。



 キラキラ、星の光と暖炉だんろの火で輝くコガネ色。


 背中まで届くコガネ色がかすかにゆれる。


 斜め後ろから見える、伏せた長いマツゲとゆるかなカーブを描く唇がとても美しい……ヒトだった。

 

「なんて……キレイなんだ」


 気づいた時にはもう遅い。惹かれるがままに声を出してしまった。仕方ないじゃないか!  ヒトがいないと思って来たらいたし、それもこんな美しいヒトが座っていれば心の声くらいもれるに決まってるだろう。


 慌てて口をふさいだまでは良かった。

 けれど、声に気づいたらしい彼女がわずかな動きをみせるものだから、更に慌てたボクは……近くの壁に立てかけてあった、何かしらの木材を倒してしまったのだ。置いた手の位置が悪い。


「(ああ!  失敗した! )」


 落ち着いていたらこうはならなかったのに。

 木材を直すか否か、悩んでいたその時。


「誰かいるの? 」

「(いません! )」


 キョロキョロ左右を見回す彼女の声も美しい。


 いや、そんな場合じゃない。下手に騒がれてしまうのは苦手なので、ボクを見つける前に退散たいさんしよう。

 

「どちら様かしら?  素敵な声のお方」


 そう思っていたのに。

 彼女がボクを探すためか後ろを振り返った瞬間、その考えはキレイさっぱり消し飛んだ。髪と同じくコガネ色をしたマツゲが震えるだけで上がらない、つまり盲目もうもくでボクのことが認識出来ないのも理由の一つではあるのだけど。


 そんなことより、ボクはただ。


「は、じめまして」

「ふふ、はじめまして不思議な方」


 少女とも女性ともとれる目の前の彼女に。この人形めいた美しいヒトに恋をしてしまったから。


「……お名前聞いていいかしら? 」


 だからこそボクは隠し通さなければならない。今の問いに躊躇ちゅうちょしたのだって悟られる訳にいかない。彼女に嫌われないためなら、ボクはボクをいつわってみせる。


 あえて意識して拳を握ったのはなんとなく。


「ボクは、ユウっていいます。アナタの名前は? 」

「私は……ナナ。ナナって言うの」

「ナナさん!  また会いにきてもいいですか!? 」


 少女っぽい愛らしさあふれる笑顔で「ええ、喜んで」とナナさんは返してくれた。とりあえず今日のところは出ることにして、また明日会いにこよう。洋館を出てもしばらくボクはナナさんの名前を転がしていた。


 


 ──── ──── ────

 

 会う度ボクはナナさんを好きになっていく。


「今日は何の話をしようか」

「ユウの話なら何でも楽しいわ」

「へっ!? 」

「っふふふ!  変な声ね」


 最近では目の見えないナナさんのために、外の世界について色々な話をするのが定番ていばんだった。

 とはいっても最初に話し始めたのは頼まれた訳じゃなく、会いに行く口実こうじつが欲しかったからだ。ボクの自分勝手さが恥ずかしい。

 

 それでもナナさんは楽しい、と笑ってくれる。

知識がそう多くないボクのつまらない喋りを、時には大口を開けて。時にはクスリと小さく微笑んで。ただの一度もつまらないと言わずに、むしろ楽しそうに聞くのだ。その優しさに触れれば触れるほど、ボクはまた恋をする。


 坂を転がり落ちるように。両足が沼に沈んでいくように。

 ありえないことだけど思わず錯覚さっかくした。


 そしてとめどなく突き進む恋は、もしも可視かし化出来たら世界をおおい尽くすかもしれない。そんなバカみたいなことを考えてしまうくらい、ナナさんが好き。

 いつまでもナナさんに笑っていて欲しい。ボクの名前を呼ぶ優しい声が嬉しい。意外と好奇心旺盛おうせいなところも、ボクなんかを気にかけてくれることも、全てが心を惹きつけて魅力的で……いつも泣きたくなる。


 だってボクは彼女に酷い隠し事をしている。


「ナナさんってあまりご飯を食べないよね」

「大丈夫よ、ユウがいない時に食べてるもの」

「それならいいけど……心配になっちゃって」


 白くてほっそりしたナナさんを見てるとつい心配してしまうが大丈夫というなら大丈夫なんだろう。

 もしかすると実は大食いでそれを隠したいとか、これだけキレイなヒトだし食事風景は見せちゃダメとか。何かしらあってもボクの隠し事に比べたらずっとマシだ。


「手伝えなくてごめん」

「いいのよ!  気にしないで」


 今日もナナさんは自力で室内を移動する。目が見えない上にどうやら足も悪いらしい。本当なら手伝うべきなのに、臆病おくびょうなボクはまた何も出来なかった。毎日のように会いに来てるクセして臆病で情けないヤツ。


 夕暮れ時に会いに来て、少し話したら帰るの繰り返し。まだ冬真っ最中だった時より帰る頃でも随分と空が明るい。外に咲く木々も、桃色のつぼみをぽつぽつ宿し始めていて、窓の向こうから漂う春の陽気が全体的に暗いこの洋館へ、ほんの少し色をつけてくれる。香りや風が心地よかった。

 

 移動するナナさんを見届けていたら「目は見えないけど春って気持ちいいわよね」と、見えていないハズのボクを振り返る。多分たまたまだと思うが驚いたし、同じ気持ちってだけで胸がはずむようだ。ボクって単純。

 

「また来てもいいかな? 」

「勿論、いつでもユウを待ってる」

「ありがとうナナさん」


 基本暖炉の前、年季ねんきの入った木製の椅子に座るナナさんが必ずボクの帰るタイミングで扉近くに移動するのは見送っているんだと嬉しい。


 見えていなくても全力で手を振って出た洋館。さっきまで眺めていた、春を切り取る小さな窓辺にはナナさんが立ってボクの方へ手を振っていた。


「ナナさんは目もキレイなんだろうなぁ」


 髪も声も、笑う顔もキズ一つない指先も。


 構成する全部が美しいヒトだ。きっと伏せた目蓋まぶたの奥もどんな宝石にも負けないとびきりの美しさがあるだろう。

 見てみたいし、その瞳で外の世界を見てほしい。あれだけ好奇心豊かな彼女のことだから喜ぶに違いない。


 それなのに……見えなくて良かったとも思う。

 見えていたらボクをこんな風に受け入れてはくれない。盲目だったからこそ、ボクに笑顔を向けてくれる。


 ナナさんと同じならどんなに良かったか。同じなら……堂々と隠し事せずに好きだと素直に言えたのかな。


 臆病なボクは彼女を裏切り続ける。




 ──── ──── ────


 突然おとずれたその人はユウと名乗った。


「こ、こんばんはナナさん! 」


 ただ終わりを待つだけの私へ神様が同情したのかもしれない。彼、ユウが来てから共に話す時間は、まるで普通のヒトとヒトが語り合う何気ない幸福のようだった。


 私に姿は見えず、声しかわからないユウは触れたことがないのもあってどこかおぼろげな存在で。

 でも、その透き通った声が不思議と耳に残る面白いヒト。


 無意味に過ぎゆく日々が色づいて、いつの間にか夕暮れ時を待ちわびる私がいた。誰もこない古ぼけた洋館を今まで掃除し続けてて良かったな、なんて。


 ……私はユウに隠し事をしているのに。


 おかしなことだ。

 名前を聞かれた時や、まだ来て間もない頃、いつだって話す機会はあった。けれどずっと言えないままでいる。

 

「ナナさん! 」


 おかしなことだ。

 ユウが明るく嬉しそうな声色で私を呼ぶ度、声帯せいたいがうまく機能しない。さっさと言ってしまえばいいのに、ユウの笑顔を想像するだけでまだいいかと後回しにしてしまう。

 もし告げて二度と来なくなったら。あの声色が嫌悪けんおにかわったら。そう思うとどうしても打ち明けられなかった。こんなもの裏切りでしかないのに、どうして。


 わからない。この感覚が理解出来ない。


 でも、ユウとの会話を楽しいというのだろう。


「もう冬が終わったし大分暖かくなってきたね」

「ええ」

「この頃は海に入る人間が増えたなぁ」

「ユウは海が嫌い? 」

「えっあ、うん!  ボクは苦手で入ったことないんだ」


 海が苦手らしいユウの慌てた声色に小さく笑う。同じヒトであっても好き嫌いはそれぞれだ。あまり深く考えずに次の話で盛り上がった。

 広大な海や空、羽ばたく鳥に四季折々おりおりの話。たとえ知識として頭にあってもユウから聞く方がずっと鮮明で、かけがえのない思い出だ。


 気づけばユウは中にいる。


 気配が薄いのか、物音を立てずにこっそりと。

私も彼が来るのを待っているのだから普通に入ってくればいいのに。いつだかそう言ったけど「ナナさんを驚かせたいんだ」ってユウってば変なヒト。自分で言っておきながらすぐ、気持ち悪いよねごめん!  と謝るのもまたユウらしい。


「ふふ、大丈夫よ。今までみたいに会いに来て」

「!  うんっ、会いに来るよ」

「……ねぇユウ」


 声色しかわからなくても、声色だけでよくわかる。


 彼は私を好いてくれている。隠し事を明かさないままみっともなく会い続ける私を、だ。彼ならもっと良いヒトを見つけられる筈、いい加減に隠し事も含めて告げなくてはならない。私にそんな価値はないって。


 告げるべきなのにこの日もまた出来なかった。


「ううん、何でもないわ」

「そう?  あっ!  そういえば昨日さ」

「あら面白そうな話ね、聞かせて」


 楽しい、という感情すら本当かうたがわしい。それでもユウと話している時にいだく感覚は楽しい以外の何物でもないのだ。そして楽しいだけじゃないのも確かで。


 あの日私にやってきた奇跡にも等しい出会い。

 あれから冬は通り過ぎ、雪解けを迎え、春が訪れた。ユウがする話を聞く毎日が楽しいと思う。感情豊かな声色でユウのことを知っていくほど不思議な感覚になったし、これが何かわからないのに手放しがたいのだ。


 立ち去ったあとの洋館はとても静かだ。


 出て行っただろう窓の向こうへしばらく振っていた手をおろす。窓辺にいるとかすかに感じる春の香りと風を浴びながら、私は自分のおろかしさを呪った。

 ガタついた足でいつもの椅子にゆっくり座る。


「きっとユウは優しい顔をしてる」


 暗い目蓋の裏で、想像上の彼が笑っている。


 声と同じくらい優しい顔をした彼が私を見ている。


 顔を知りたいし、触れてみたい。触れてほしいとも思ってしまう。一体どんな風に触るんだろう? 手は大きいんだろうか? 彼の見る美しい世界を私も、一緒に。


 ……でも、触られるのがおそろしい。

 私に触れてしまえば、愚かな隠し事なんか一発でバレるに決まっているから。もしも早い内に私へ触れていたら、あの優しい声を聞くことはなかった。知らないからこそ私を好いてくれて、会いにきてくれている。


 ユウと同じになりたかった。

 同じなら、手を握れたかもしれない。

 違う私じゃ応えられない。


「(ああ……そうなのね)」


 これが、好きというものか。


 私にも誰かを好きになれたのか。


 

 









 ****

 


 少し来れない日々が続いて久しぶりに訪れた洋館。周囲に桃色の蕾は増え、激しめの風が吹きすさぶ。

 いつもと変わらない夕暮れ時のハズが何だか落ち着かない。まぁボクの気のせいだろう、と意識的に目をそらした上空は赤みの強い嫌な色をしていた。



 入って早早そうそう、ガシャン!  と陶器とうきを叩きつけたような激しい音が暖炉のある部屋の方向から響き渡った。


 続いてバキリ、だかバキン、だか大きめの破壊音が耳に痛い。ナナさんが何か落としてしまったんだろう。ケガをしてなければいいと大急ぎで部屋へ向かう。


「ナナさん! 」

「っこないで!! 」 

「だいじょ、う……え? 」

「おねがい……みないで……っ」


 ナナさんが倒れていた。


 叫びを聞いていたのにやはり心配で。近くまで寄っていったボクはあまりの衝撃に言葉を失う。

 床に横たわるナナさんの腕が、あらぬ向きに曲がっていて。倒れた瞬間重さを受けたらしいその腕が一部裂け、内側にはいくつもの配線はいせんと部品が見え隠れしていた。


 赤い血が滴るハズのそこに色はなく。

 ただ冷たい、無機質なサビ色があった。

 

 ギィギィと油の切れた機械のような音を鳴らしながら、その身を起こしたナナさん。しかし立ち上がる力は残ってないのか、座り込むのがやっとの状態だった。 

 ボクが何かを言う前にナナさんは喋る。


「……ごめん、なさい。私ユウにずっと隠していたの。早く言うべきだったのに、言えないまま結局先に限界が来てしまうなんてきっとこれは罰ね……っ」


 千切れかけた左腕を右手で隠しても、倒れた際についた細かいキズは隠しきれない。足にも隠す右手側にも欠けた所があって、ナナさんがヒトじゃない証明をする。


「私──人形なの。どこかの科学者が生み出したヒトを真似た不良品、失敗作。血の一つも通わない、食事だって必要ない人形。……っずっと隠していてごめんなさい」


 どうやら人形として不良品、らしい。泣きそうな声で必死にボクへ伝えてくれる彼女が、失敗作だって?

 何も言わないボクにどう思ったのだろう。ナナさんはボロボロな身体がより縮こまって言葉を連ねていった。


「ユウと過ごす時間があまりに楽しくて……どんどん話せなくなっていったわ。私とは違う、優しいヒトであるユウに打ち明けることがどうしても出来なかったっ! 」

「ナナさん、」

「手を繋いでみたいと思っても!  触れてしまえば温度のない人形だとバレてしまう……!  ヒトじゃないって知れればユウは来てくれなくなる!!  っ嫌われ、たくなかった……。私、おかしいの、人形、なのに……声が聞きたいとか、終わりたくない、とか。やっぱり不良品……なのね」

「ナナさん、」

「ヒトじゃない私が好きになってごめんなさい」


 もうガマンならなかった。


 話を聞いてくれないナナさんに近づいていく。足音なんてしないボクの動きは多分わからない。座り込んでいるナナさんと視界の高さを合わせて──冷たい手を握る。


「っ!!?  あ、れ…冷たい? 」

「ボクも隠してたことがあるんだ」

「ユウ? 」


 冷凍庫を開けた時みたく冷たいボクの手に驚きから少し落ち着いたようだ。ようやくナナさんの顔が見えた。ヒビの入った頬にそっと触れる、触れることが出来る。


 ぼやけて存在しない下半身。半透明はんとうめいの身体。


「ボクは幽霊ゆうれいなんだよ、ヒトじゃない」

「ゆう、れい」


 こうして手を握っていてもボクの手はけている。ナナさんからすれば不思議な感覚だと思う。触れているけど冷たく、洋館にある品々しなじなとも違う幽霊の手だ。

 

「ボクもずっと言えなかった。目が見えないおかげで幽霊だって気づかなくてボクを受け入れてくれるナナさんに、嫌われたくなかった。恋をした美しいヒトに笑っていてもらいたくてボクは裏切り続けてたんだ」

「私ヒトじゃないわ……」

「うん、ボクもヒトじゃない」


 ボクらはどっちも隠し事をしていた。

 お互いを想って、ヒトだと思って、ずっと隠してきた。


 ナナさんと同じヒトになりたかった。ボクも人間だったら好きだと言えたのにって思ってきたけど。

 もっと早く言えば良かったな。こうしてナナさんがまともに動けなくなってしまう前に言えていれば、苦しむ必要はなかっただろう。人間じゃない自分を呪うことも、不良品だと嘆くことも、あんな悲しい声で謝ることもなかった。


 でも……どこか嬉しいと感じてしまうボクは酷いヤツかもしれない。だってナナさんも好きでいてくれた。それにナナさんが人間じゃないことに安心している。


 もう一つ、ボクの隠し事を聞いてほしい。


「幽霊だから基本的にボクの身体はすり抜ける」

「え……?  私に触れてるのに? 」

「意識すれば触れるんだ、無機物だけ」

「! 」


 そう。いつもここへ訪れる時、ボクは通り抜けていた。

 ちなみに最初の時木材を落としたのはただの凡ミス。ナナさんに見惚れて盛大にやらかしたのである。


「っふふふ! 」

「ナナさん? 」


 ボクの臆病が原因で今まで手伝えなかったし、幽霊であっても結局のところ不法侵入ふほうしんにゅうには違いない。ナナさんの気持ちを知れて嬉しいけど、今更になって自分のやらかしというか、色々と申し訳なく感じる。

 怒られる覚悟もしたのに、むしろ笑い出すではないか。心底おかしそうに笑うナナさんは素敵だがきしむ音を耳にして心配になる。しばらくして落ち着いたナナさんに、握りっぱなしの右手が初めて握り返された。


 ボロボロの身体にヒビ割れた顔、かつてボクが恋をした美しいヒトはそこにおらず。今いるのはナナさんだ。


「ユウと、好きなヒトとこうやって手を繋げるんだもの。私……人形で良かった、人間じゃなくて良かった」


 ──世界の何よりも美しい、ボクの好きなヒト。


「ボクも幽霊で良かった!  だって幽霊じゃなかったらナナさんに会えなかったよ。人間じゃなくて良かった」


 ナナさんがにぶい音と共に笑う。


 ……おそらく終わりが近い。

 かろうじて薄皮うすかわ一枚で繋がっていた左腕がゴトリと床に重く落ちる。ボクと繋ぐ右手も、指先が固まってしまった。座り続けるのもキツイだろうと、正面から横に回って支えるが、カウントダウンのようにミシミシ聞こえる音が物寂ものさびしい。それでもナナさんは笑顔だけは崩さない。

 ぎ、とサビついた終わりの声も無視して、笑う。


 ところどころがれたコガネ色の長いマツゲが。

 ヒビが入った場所から鉄色の見える唇が。

 壊れる音をえず響かせる白かった頬が。


 横にたたずむボクのためだけに笑ってくれている。だからこそボクも出来得できうる限りの笑顔を浮かべた。見えていなくたって構わない、最後は笑って終わりたいから。


「ッナナさんと会えてボクは世界一幸せだよ。普通の人間みたいに恋をして、手を繋いで……っ」

「ありがとうユウ、名無しの人形でしかない私がとっさにつけたナナという名前をよんでくれてうれしかったわ。ねぇユウ……さいごにおねがいがあるの」


 ボクも同じだ。人間なら名前があるって、安易あんいにつけたユウという名前は幽霊からとっている。どこまでもボクらは同じで違う、何者でもない存在だった。

 

 せめて伝わるといい。冷たくてもボクが傍にいること、手を繋いでいること。動かない右手を強く握る。


「わたしの、なまえを、よんで? 」

「何度でも呼ぶよナナさん」

「てを……にぎっていて? 」

「ッうん、離すもんか」

「ねぇ、ユウ……? 」


 ナナさんが盲目なことにまた感謝した。

 ブサイクで情けない顔を見られずにすむ。涙は流れないけど、とうに笑顔が笑顔じゃない。クシャクシャに歪んでみっともない泣き顔を見られたくなかった。震える声でバレていたってボクなりの最後の見栄みえだ。


「わたし……も、しあ、わせ……よ」


 ──だいすき。


 そう告げたナナさんの身体が重たくなる。

 一番キレイな笑顔のままナナさんは動かなくなった。


「ナナさん」


 答えない、鈴の音のような声がしない。


「……ナナさん」


 右手を意識しても返ってこない。


「…………ナナ、さん」


 最後まで色褪いろあせない、コガネ色の髪に触れようとして出来なかった。ボクの左手が消えてしまっていた。薄く世界を透過とうかしていく身体に、ようやく理解する。


 ボクの終わりもやってきたのだと。ああ、嬉しいな。

 ナナさんの終わりをちゃんと見届けられた。


 下半身以外もぼやけて消えていく。意識も薄れて世界から存在がなくなっていく中で、なんとか繋いだ右手のみ必死に保つ。さっきまで支えていた身体がないのだ、床へ寝かせてしまったのは申し訳なく思う。


 もう一度、唯一残った手に力を入れて。



「だいすきだよ、ナナさん」


 


 ──ゴトリ。


 古ぼけた洋館、握る手の主を失った人形が一つ。

 人知れず恋をして手を繋いで、彼らは幸せだった。


 

 



 



 

 


 


 

 



 


  


 


 

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