まどろみの時間、君と
雪待ハル
まどろみの時間、君と
さらさらと。
葉擦れの音がする。
公園のベンチに腰かけて、一人風を受けてほうっと息を吐く。
ああ、ここは落ち着くなあ。
目の前には大きな池がある。でもどうやら鯉はいないらしい。
風に吹かれて揺れ動く水面をただ眺めながら、コンビニで買ってきたコーヒーを飲む。
――――昼休憩、残り30分弱。
(うう、あそこに戻りたくない・・・)
考えただけで心が軋む。身体が強張る。
ネチネチネチネチ。ぼそっ。はあ~。ネチネチネチネチ。以下同文。
(仕事内容はきらいじゃないんだけどなあ・・・)
どうしたらいいんだろうか。
ちっぽけなわたしがそんな事を悶々と考え込んでいる間にも、風は爽やかに葉を揺らし、水面を撫ぜる。
わたしが持っているカップの中のコーヒーにもさざ波を立てた。
(・・このコーヒー、意外と美味しいな。コンビニのコーヒーもどんどん進化してるんだな。すごいなあ・・・)
ずずっと音を立てて飲み込む。
上品なカップで飲むのも好きだけど、こんなのも悪くない。
そんな事をぼんやりと考えていると、
「ねえ、あなた」
真横から声がした。
それまで気配が全くしなかったものだから、わたしは驚いてしまって、「わあっ!?」と声を上げてしまった。
振り向けば、なんということだろう、まるでこの世のものではないかのような麗しい美女が同じベンチに座っているではないか。
わたしは突然の事に目を白黒させて、何も言えずにいた。
そんなわたしの様子を彼女は気にすることなく、
「あなた、よくここから池を見ているわよね」
と話しかけてきた。
その眼は心なしか、青く見えた。外国のひとだろうか。
わたしはそう考えながら、
「え、ええ。そうですね」
と何とか喉から声を振り絞った。
答えながら、ここのご近所にお住まいの方だろうか・・・と思った。
逆光で、その双眸が青い事と、口元にやわらかな微笑みをたたえている事、かろうじてその二つしか分からない。
彼女はわたしの戸惑いなどいざ知らず、「ねえ、」と唄うように口ずさむ。
「私達のファミリーにならない?」
「え・・?」
「ふふ、驚いた?だってあなた、いつもここで辛そうな表情(かお)をしているから」
「・・・・」
「私達の仲間になれば、痛い思いも、苦しい思いも、もうしなくて済むわ。だから」
私達の世界へおいでよ。
透明な鈴を転がすような、綺麗な声が耳朶を打つ。
頭がぼうっとした。
彼女の言っている事があまり理解できなかったが、
(痛い思いも、苦しい思いも、しなくて済む・・・?)
それはどんなに、素敵な世界だろう。
うたた寝をするかのように、穏やかな心地で彼女を見つめる。
目が離せない。
嗚呼、なんて美しいターコイズブルー。
白く綺麗な手がこちらへ向けて差し出される。
わたしは無意識にその手を取ろうとした。
だが、
「あ、コーヒー」
手にはカップに入った、もうすっかり冷めきったコーヒーがあった。
わたしはそれをちょっと見てから、彼女を見た。
「あの、このコーヒー美味しいんです。あそこのコンビニで売ってて。もしコーヒーがおきらいでないなら、おすすめですよ」
そう言ってちょっと笑うわたしを、彼女はじっと見て、それから盛大にため息を吐いた。
すっと、差し出していた手を引っ込める。
その様子を見て、わたしは――――今のわたしは――――特に何も感じなかった。
彼女はしばらくムスッとした顔でわたしを見ていたが、やがてふっと微笑んだ。
一目でそうと分かるほど、邪悪な微笑みだった。
ターコイズブルーがルビーになる。
薔薇色の唇から白い牙がのぞく。
「・・そう。それがあなたの答えなのね」
その、死ぬ間際にまで思い出せるような美しい声を残して。
瞬きの間に、彼女の姿はかき消えていた。
「・・・・・・。んん・・・・?」
わたしは首を傾げた。今わたしは何をしていたんだっけ。
いつもの習慣で腕時計を見やると、――――休憩時間、残り5分。
「やばっ!!早く行かないと・・・!!」
カップに残っていたコーヒーを一気に飲み干して、ベンチから立ち上がる。
バッグを素早く肩にかけて、パンプスを鳴らして走り出した。
コンビニのごみ箱に空のカップを捨てて、腕時計を見ながらまた走る。
「ああ~っ、戻ったらあそこにコールバックしないと・・・!!」
普段から鍛えていても、突然動き出せば鼓動は早まる。
心臓は今日も動く。血液が巡る。目はよく晴れた街中を映す。
息せき切って、走る、走る。
――――この先どうなるかなんて、分かりはしないけれど。
わたしは今日も、生きている。
おわり
まどろみの時間、君と 雪待ハル @yukito_tatibana
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