ロザリオに口付け

石田空

「俺様を呼べ、困っているんだったらな!」


 コウモリを思わせる黒い羽根。それをバサリバサリと羽ばたかせているのは、血の色をした瞳に、黒い髪の男だった。

 こんな街中でこんな不審人物が飛んでいたら、誰かが見つけて最悪SNSで拡散されてしまうんだけれど、誰ひとりとして見えやしない。だから誰も彼の言葉を聞いていない。

 私はそんな彼にあっかんべえをした。


「だあれが呼ぶかぁ! ばぁか!」


 本当にどうしてこうなったんだろうと、私はそっと溜息をついた。


****


 登校中。私はそわそわしながら学校を目指していた。

 今日はなんにも起こらないよね? そうドキドキしていると、友達の若菜ちゃんが声をかけてきた。


「真夜ちゃん! 読んだ? 今週の『炎の退魔師』!」

「ごめん、今日のは読んでないや」

「ほんとーっに、すごかったんだよ、退魔師の利矢が、ヒロインの古都音を守ってね!」


 最近流行の『炎の退魔師』。

 常に命を狙われる古都音をなにがなんでも守っちゃう退魔師の利矢の退魔とラブコメの話なんだけれど。流行だから一応目を通すけれど、いまいち乗り切れなかった。


「うーん……古都音つらくないのかなあって思ってた」

「ええ? だって利矢は常に古都音守ってるんだよ? 怖くってもつらくはないんじゃないかな?」

「いやあ……守られるだけでなにもできないのって、つらくないのかなと」


 まさか一般人の若菜ちゃんに言える訳もないもんなあ。私の体質……。

 そう思っていたら。いきなり校門にトラックが突っ込んできた。やっぱり。私は溜息をついた。


「なに!? ものすっごく危ないよね! って、真夜ちゃんどこに行くの!?」

「ごめん! 巻き込みたくないから!」

「え、なにが!? 真夜ちゃん!? 真夜ちゃん!?」


 校門は当然ながら騒然としている。

 幸いなことに、風紀の先生はまだ校門前に立つ時間じゃないからいなかったし、校門付近にいた生徒は避けたけれど。それでも校門に突進したトラックが、ブルンブルンと大きな音を立てて走り出す……まるで血に飢えた獣のように、無機物のトラックが有機物に思えた。

 私が走り出すと、トラックは私目掛けて走ってきた。

 周りは悲鳴を上げている。誰も助けてくれないのは、そりゃトラックに追いかけられたら、普通の人間では手出しできない。

 私だってトラックに轢かれたくないから、必死で走るけれど、それでもトラックは校門を抜け出て、校庭から中庭にスピンをかまし、中庭を破壊しながら細い道に突っ込んでくる。


「本当に……勘弁してよ……」


 細い道では走りにくいと判断したのか、とうとう運転手はトラックを捨てて、中から出てきた。ぎょろりと白目を剥いた運転手。その運転手の上には、べっとりと液状のなにかが取り憑いていた。

 悪魔。そう退魔師の人たちには教えられた。

 本来は人に取り憑いてなにかしらの悪さを行うことでエネルギーを得て、エネルギーの充電が完了したらいなくなるらしいんだけれど……どういう訳か、悪魔は私を見つけ出したら見境がなくなってしまう。

 退魔師曰く、私の魂は人ひとりに取り憑いたときの何十倍ものエネルギーを充電できる、極上の馳走らしい。

 走り過ぎて、だんだん息が続かなくなってきた。体中に熱が籠もり、苦しくなる……足ももう、千切れそうなくらいに痛い。


「も……う、無理ぃ…………」


 そう思ったとき。

 運転手さん目掛けてなにかが振ってきた。ネットだ。そのネットに絡まった運転手さんはそのまま身動きが取れなくなったと思いきや、なにかがその運転手さんの上に飛び降りてきて、彼に馬乗りになった。

 うちの学校の黒い学ランに、黒い髪。黒い目には分厚いシルバーフレームのメガネをかけている。


「いい加減にしろ、悪魔」

「尚也……」


 私の幼馴染で退魔師の尚也だ。彼は手早く運転手さんに猿ぐつわを噛ませると、そのまま彼の頭に取り憑いた悪魔に聖水をかけた。途端にジョワァァァァァ…………と音を立てて、悪魔が蒸発していく。

 尚也は持っていたスマホで連絡を取る。


「柊高校内中庭にて、悪魔討伐成功。至急目撃者の記憶消去をお願いします」

『はっ』


 悪魔は普通の人には見えない。でも、ときどき人に取り憑いてこんな悪さをする。それを人知れず退治するのが退魔師の仕事で、こんな中庭がトラックでぐしゃぐしゃになっても、すぐに退魔師の人たちがやってきて、修繕作業をはじめてしまうし、目撃者たちに催眠スプレーで記憶を消去改竄し、ネット情報も検閲の末削除してしまう。

 こんなに悪魔に狙われる私が日常生活を送れるのは、退魔師たちのおかげなんだ。


「ありがとう……尚也。怖かったぁ……」

「まあ、真夜。お前が逃げるの上手かったおかげで、なんとか退治できたよ。ありがとな」


 冷たく見える顔も、笑顔を浮かべたら幼い。その笑顔に何度助けられたかわからない。私も自然と笑顔になった。

 でも……。それと同時に申し訳なくも思う。私、悪魔に狙われやすいだけで、悪魔を退治する力なんて持ってない。いつも退魔師の人たちに守られているだけで、なんにもできない。悪魔も見えるだけ。

 どうにかできないのかな。そう思っていたときに、唐突に「ヤツ」が現れたんだ。

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