第9話 寮

「水都、そんなことを気にしてても

何も前には進まない。

さっさと仕事を済ませるぞ」


夜六が言うと、

夏八は諦めたように息を深く吐く。

すぐにいつもの真剣な顔になり、

周囲に人がいないか確認する。

半径5メートル以内には

誰もいないようだが、

図書室にはチラホラと人がいる。

距離があるとはいえ、

図書室は静かなので声が響く。

先ほど夏八が騒いだせいで

図書室の空気は二人を包んでいる。

聞き耳をたてられては

スパイの仕事は成り立たない。

なので二人は図書室を出て

どこか違う場所に

行こうとハンドサインを交わす。


「おっ、いたいた」


二人が図書室を出ようとした

まさにその瞬間、

一人の男子生徒が顔を出し、

夜六と夏八を視界に捉える。


「…何か用か?」


顔を出した男子生徒は、

夜六の前の席に座っている近藤だ。

近藤は二人を見つけると、

安心した表情を浮かべて

二人に近づいてくる。

そんな近藤を夜六は警戒し、

低い声で近藤に聞く。

一度帰ったはずなのに

何の用で戻ってきたのか、ということを。


「そういえば、

寮の場所とか部屋とか

まだ知らなかったよなと思って。

俺は今日部活休みだから、

二人を寮まで連れていくように

難波に言われてさ」


近藤はやれやれといった様子で

話しているが、

少しだけ嬉しそうにも見える。

二人を案内できるのが嬉しいのか、

先程までよりも

夏八に近い距離で話せるからか、

全く別の理由か……。


「分かった。

今日は転校初日で疲れたし、

早く休みたいと思っていたんだ」


「あれ?水都さん、本はもういいの?」


近藤は首を傾げて、

何も持っていない夏八を見る。

あれだけ図書室に来て

盛り上がっていたのに、

手には1冊の本も持たれていない。

これは疑われても仕方がない。

だが、この程度の事、

一流のスパイが誤魔化せない訳がない。


「ええ、今日は荷物が多いから。

好きな小説家の作品があったけど、

またの機会にするわ」


手には何も持っていないとは言っても、

本当に何も持っていない訳でもない。

転校初日ということで、

色々な書類や教科書が

たくさん詰まっている

学園指定のカバンがある。

華奢な体とは裏腹に、

40kgくらいまでなら

担げてしまう夏八だが、

これ以上荷物が増えても

涼しい顔をしていては、

何者かと思われるし、

ビジュアル的にも良くない。

かわいい女の子が力持ち、なんて、

男にとっては夢破壊の何でもないだろう。


「そっか、それは仕方ないな。

じゃあ寮に行こうか」


近藤は二人に背中を向けて、

図書室を出ていく。

二人も近藤を追いかけ、

図書室を後にする。

この学園は全寮制で、

男子寮と女子寮に分かれており、

男子が女子寮に、

女子が男子寮に行くことは

原則として禁止となっている。

男子寮と女子寮は

100メートル程離れていて、

その間に遮る物は何もない。

もし行こうとすれば、

必ず誰かの目に留まるようにと

考えて作られたそうだ。

朝と夜は寮でご飯を食べて、

学年ごとに決められた時間に

大浴場が解放される。

部屋は基本的に3人部屋で、

どうしても他の人と

同じ部屋で寝るのが嫌とか、

何か特別は事情がある場合は

一人部屋になることもあるが、

学年に一人か二人くらいしか

一人部屋を許された生徒はいないらしい。

というような寮に関することを

近藤から聞いていた夜六と夏八だが、

近藤の視界に入らないように

ハンドサインを交わしていた。


「カメラや盗聴器の有無の確認と

同じ部屋の人間の探りを最優先」


「いつも通りね」


「動物が通れそうな通路があれば、

それもお互いに報告」


「それもいつも通りね」


「それから――」


「何か気づいたら明日の朝に報告。

クラスメイトや先生達に

悟られないようにする、でしょ?」


「…よろしく頼む」


同じ任務を行っていても、

お互いが別の所に

身を隠していることはよくある。

ホテルに泊まっている仲間がいれば、

廃墟となったボロボロの家や

取り壊し予定のビル、

ホームレスのフリをして

公園で睡眠を取るようなこともある。

ただ、いずれの場合でも

夏八がホテル以外で寝ることはない。

【POISON】の中でも潔癖主義な夏八は、

きちんとした場所でないと

落ち着いて寝られないのだ。

そのおかげで、夜六は

幾度となく寒空の下で寝るハメになった。


「夜六、水都さん、着いたよ」


そうこうしているうちに、

近藤が振り返って二人に言う。

3階建ての寮が両サイドに並び、

その間を妨げる物は何もない。

監視カメラと照明も完備され、

今この瞬間も夜六達は

カメラにバッチリと映っている。


「向かって右が男子寮で、左が女子寮。

水都さんを俺が案内できるのは、

残念だけどここまでだ。

入り口の所に水都さんの

ルームメイトが待ってるはずだから、

あとはその人に任せるよ」


「そう。分かったわ。

ここまでありがとう」


「いえいえ、こちらこそ。

また明日ね、水都さん」


「ええ、また明日。霧峰君も」


「ああ、またな」


別れの挨拶を交わして、

夏八は女子寮の方に歩く。

夜六と近藤も歩き出し、

夜六と夏八の距離はどんどん離れていく。

ここから、スパイとしての

本領を発揮する時である。

スパイは本来であれば、

単独で行動するものであるが、

こういった任務の時は

誰かと共にいる為、

行動に制限がかかってしまう。

だが、その足枷がなくなれば、

お互いに全力が出せるのだ。

特に【POISON】はスパイのプライドも

他のスパイに比べて高いので、

あいつに負けまいと

頑張ってしまう。

そしてそれが、彼らの一流の力を

更なる高みへと押し上げているのである。

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