五章 異世界はじめてものがたり
第17話
この組織には脳筋しかいない。博士は、ため息をつく。今日視察に来るはずの見学者の席は、全部空いていた。
自分の部下となる怪人に興味が無いのか、それとも他のことが大事なのか、自分が女だからか。幹部候補や大幹部がこれでは、組織に未来は無いのかもしれない。そう結論づけようとしたところで、部屋の隅に一人の男が立っているのに気づいた。
名前は忘れた。たしか、組織の裏切り者を倒すために、裏切り者を模して、いや裏切り者の改良型として作られた個体だ。怪人製造の責任者たる博士が、製造にも改造にも関わっていない新たな大幹部だ。
「始めないのか?」
腕を組み、こちらを促してくる個体。傲岸不遜というより、若々しい見た目も含め、カッコつけに見える。できれば椅子に座ってほしい。
まあ、外見だけは若いのは自分も同じかと、苦笑しつつ博士はたずねた。
「怪人製造に興味が?」
「いや。無い」
即答だった。
「だが、学びは嫌いじゃない。自分の知らないことには興味がある」
「ふうん。少し回りくどいね」
「どんなことでも、覚えておけば役に立つかもしれない。役に立たないと勝手に判断するのは怠惰だ。いる、いらない。その判断は、覚え学んでからすべきだ」
「なるほど。ストイックだ」
組織の未来を預けるには生真面目すぎるが、少なくともこの個体は未来を預けるに値する。
「キミ、意外と周りからの評判いいぜ? 他の幹部と違って、どんな企画も案件も、まず聞いてくれるって。わたしも、悪い気分じゃないよ」
「いいから、早く見せてくれ」
「つれないねえ。いいさ、キミが満足するくらいのモノを、見せてやるよ」
組織を率いる幹部としては、少しつれなさすぎるか。
博士は助手役の戦闘員に軽く指示をすると、猿轡を噛まされうめきもがく実験材料めがけ、大胆にメスを入れた。
◇
壱馬が組織に属し、改造人間の製造法を学んだのも遠い過去の話である。だが幸い、壱馬は博士のことも、学んだ技術もしっかりと覚えていた。それほどまでに、彼女の技術と知識は鮮やかだったのだ。
壱馬は目の前の机に、直接思いつく限りの情報を刻み込む。紙や羊皮紙の大きさでは、とうてい足りなかった。
壱馬が酒場の長机に刻み込んだのは、改造人間の設計図であった。等身大の人間の輪郭に、様々な情報が書き込まれている。
「むう、これは……」
ドワーフの長がうなり、机の周りに集まった人々も似たような顔をしている。
彼らは無境の村のエキスパートたちだった。鍛冶職人のドワーフの長を筆頭に、武器商人、魔術師、本屋、錬金術師、薬剤師、果ては料理人や物知り婆さんと、片っ端から知識や技能を持った人々が集められていた。彼らが、前代未聞の改造手術のスタッフということだ。
「お主、こっちの世界の字が書けたのか」
「そこか」
「いやいや、馬鹿にしておるわけではない。確かに字はわかるが、書いてある単語がわからん」
本を読み、情報を得るために、壱馬は異世界ヴォートの文字を学んだ。机の設計図も、しっかりとこの世界の文字で書いている。だが、この世界にない物や単語の翻訳は、一筋縄ではいかなかった。
「このモーターというのは、なんのことじゃ? どんな役割がある?」
「動きを与えるための装置にして機関の総称だ。このモーターは、筋肉の動きを補助している。動力となるのは、電気だ」
「電気?」
「雷の魔法の力だ」
「雷の魔法は金属に効きが良いが、あの刺激で装置を作動させる? むむ、そんなもんがすぐ完成できるかどうか」
「一応、俺の体内に見本はあるが……」
まずこうして概念から擦り合わせなければならない上に、該当するアイテムがあるかどうか、作れるかどうかの相談から始めねばならない。
一人のヒューマンが、おずおずと手を上げた。
「あの、よろしいでしょうか?」
「なんじゃい!」
「ひぃ! あ、あの、その雷の刺激で動く装置ってほどじゃないんですが、雷の魔法を浴びると動く石が、うちの在庫にあります。もしかして、使えるでしょうか?」
発言したのは、魔術アイテムを扱う店の主であった。店は商業地区にあったが、幸いなことに店舗に被害は及んでおらず、大半の在庫も無事だ。
壱馬は早急に判断し、指示を飛ばす。
「使えるかどうかはわからないが、気にはなる。持ってきてくれ!」
「はい!」
「待て! ウチの職人も連れて行け! 違う目で見れば、使えるもんもあるかもしれん!」
「じゃあ目録も一緒に頼んだ! 俺も全商品が知りたい!」
壱馬とドワーフの長の指示を聞き、店主は一人のドワーフを連れて酒場から飛び出す。
この合図がきっかけとなり、様々なところで議論が始まる。
◇
「骨を金属で補強する? もし雷を体内に流すなら、雷が効かない金属を使わなければ」
「そんな金属あるんですか? いっそ、金剛樹を使ってみるのはどうでしょうか?」
「なるほど! あの木なら、金属にも負けんし、弾力もある! だがあの木には、毒性もなかったか。使うなら、毒をどう薄めるかだ」
◇
「この、骨のあちこちにあるゴムって、なんなんですかね?」
「関節の繋ぎにあるってことは、動きを阻害しない、むしろ補強する素材ということか?」
「あー、もしかして、高い鎧の繋ぎに使ってるアレですかね。アレ、確かゴムって名前だったような。でも希少ですし、この量を用意できるかなあ」
◇
「さっきのモーターって装置の話、昔なんかあそこんちのオッサン、似たようなもんを遺跡から掘ってきたとか言ってなかったか?」
「あー! アレか! 確かに! ところであのオッサン、どうした? 最初は居たよな?」
「いやなんでも、人の命を無為に伸ばすことは神が許さないだのなんだの言って帰っちまった」
「神様はそんなことでぐだぐだ言わないから! いいから引きずってこい! もしバチが当たるなら、しょうがない、私が全部引き受けよう!」
「ひゃっはー! 神官様、話がわかるう!」
◇
あちこちで無秩序に始まっている、自由な議論。壱馬とドワーフの長は、この光景を好ましく見ていた。
「状況は悪くない。なにせ全員に、やる気がある」
「フェイを救いたいというのが第一ってのは間違いない。だがな、全員、これから未知に挑むってので燃えてんのよ。この無境の村にいるのは、そんな奴ばかりだからの」
「とにかく、自発的にいろいろやってれるのは助かる。なにせ、いちいち手取り足取りなんて時間があるわけない」
「時間か。なんとか、準備に三日ぐらい確保できんもんかの」
それぐらいあれば、技術のすり合わせも、様々な部品の制作も上手くいく。そんな職人の見立てをドワーフの長が口にした瞬間、隣の部屋に続く大きなドアが、壊れそうな勢いで開いた。
「一日、いえ、半日が限界です。あまり、甘ったれたことを言わないように」
そこに居たのは、肩で息をするエルフの女王であった、普段のような穏やかさはなんとか取り繕っているが、髪の乱れにところどころの汗と、疲労困憊の四文字が隠しきれていない。既に完徹三日目といった装いだ。
「うん。三日は無理じゃな。ワシ、ちょっとわがままだった」
「三日必要なら、半日で三日ぶん働いてください。少なくとも、こっちの班はそんな状況です」
部屋に入ってきたエルフの女王は、魔力の補給用に用意してあった霊薬を良い勢いで飲む。女王のいた部屋から出てくる複数の担架。担架に乗せられていたのは、魔力切れのエルフたちだった。
フェイの改造手術をするに辺り、まず壱馬は集まってきた人間を二つに分けた。職人を中心とした、ドワーフの長率いる設計班。そして、回復魔法が使える人材を中心とした、フェイを生かすための治療班である。いくら素晴らしいアイディアが思いついても、フェイ当人が生きていなければなんにもならない。エルフの女王が率いる治療班は、現在隣の部屋で悪戦苦闘の真っ只中だった。
「そこのあなたと、そっちのあなた。あと、そこの神官様。たしか、回復魔法が使えましたよね? あなたたちは、隣の部屋へ。さあ、目をそらさないで。すぐに!」
「おいおい、いくら回復魔法が使えるとはいえ、こっちの班からの引き抜きは……いや、なんでもない。なんでもないから、こっち睨まんでくれ」
「すまない。無理をさせて」
エルフの女王のらしからぬ剣幕を前に、流石の壱馬も頭を下げた。ドワーフの長は、もはや完全降伏状態である。
「話に乗った以上、泣き言は言いません。ですが、本来あと少し生きるのが限界だったフェイを、なんとか数日生かして欲しいだなんて。私には、回復魔法をかけ続ける人海戦術しか思いつきませんでした」
「思いついてくれただけでありがたい。その上、やってくれたんだから、さらにありがたい」
「これも、フェイの人徳あってこそです。そうでなければ、たとえ私が命じても、魔力切れで気絶するほどまではやってくれないでしょう」
治療班の献身も設計班の熱意も、根本にあるのはフェイを助けたいという気持ちである。誰も彼もが、フェイに何らかの恩を受けているから、ここで返してみせると気張っているのだ。
そのうちの一人であるエルフの女王は、ふっと息と共に疲れを吐き出す。
「わたしも負けてはいられません。ですが、いいですか。なるべく早く、早急に、迅速に、とにかく次の段階に進めるよう、手筈を整えておいてください」
そう言って、エルフの女王はフェイがいる部屋へと戻っていく。エルフの女王は時折休みを挟むものの、ずっとつきっきりで回復魔法をかけ続けている。人海戦術で挑んでいると言っても、実質、多くの人間がエースであるエルフの女王を補佐している形だ。
一休みした女王が部屋に戻った後、ドワーフの長が壱馬にぽつりとたずねた。
「のう、お主。言いにくいことは、先に言っておいた方がええぞ」
「てっきりそっちが言ってくれるものかと」
「言えるか! 治療班が落ち着いたら、設計版の仕事もやってくれなんて! もうアイツ、いっぱいいっぱいじゃぞ!?」
エルフの女王は卓越した回復魔法の使い手であり、魔法魔術のエキスパートでもあり、様々な魔術アイテムのコレクターでもある。正直、設計版の魔術担当としても使いたい人材であった。
「それに、よくよく考えたら、フェイの身体に手を加える際、誰かに回復魔法をかけ続けてもらわないと……」
医療や医術でフォローできればいいのだが、いかんせんこのヴォートは、回復魔法の存在のせいもあり、その分野はあくまで回復魔法のフォロー程度にとどまっている。そもそも医者が、設計班にも治療班にもいないことからお察しである。
となれば、手術の時もさまざまな医療行為を回復魔法で突破するしかあるまい。そしてそれができる術者は、おそらくエルフの女王一人である。
「……まあ、お主が総監督だから、頼むぞ」
「……やはり、付き合いの長い相手が話をするべきじゃないか?」
女性の見えている地雷原に突っ込みたくないのは、どこの世界の男性も一緒である。
「じゃあワシは骨格の方を」
「俺は質問に答えてくるよ」
そそくさと離れていく、ドワーフの長と壱馬。二人はとりあえず、そのうち挑まなければならない困難から目をそらし、別の困難へと挑む。幸いなのかそれとも、挑むべき困難は沢山あった。
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