第15話
火葬法師の手から出た火炎が、大蛇のようにうねり壱馬に襲いかかる。火炎がうねり伸びるたびに、周りの建物と空気が焼けた。
「甘い!」
壱馬の指から放たれたミサイルが、一直線に炎に突き刺さる。爆発が赤い大蛇を飲み込み、炎はそのままかき消えてしまった。
僅かな炎が壱馬の身にまとわりつくものの、火はそのままあっさり消えた。
生物を喰らうはずの、我が炎が通らぬとは。この男、生者であり死人だ。
壱馬をこう見極めた火葬法師は、攻め方を変える。
運良く焼け残っていた、二階建ての建物。火葬法師は柱に手をかけると、そのまま力づくで引き抜く。
柱を引き抜かれ、崩れる建物。建物が持つよう祈りを込めて立てられた柱は、火葬法師の手でただの粗雑な鈍器と化した。
即座に炎上する柱。火葬法師はなんの外連味もなく、壱馬めがけ柱を振るう。上下左右ではなく、前。巨大な柱を槍のように扱う突きである。
壱馬のストレートパンチが、突き出された柱と真正面からぶつかる。改造人間の拳は、自分より丈のある柱を打ち砕いてみせた。
パンチを打った後、軽く手を振る壱馬。柱は砕けた。だが、柱を通して伝わる火葬法師の力は、壱馬の機械の身体すら震わせるほどであった。
この男のパワーは、規格外だ。これほどのパワーの持ち主は、改造人間でもそうはいないだろう。
仮面の下で笑みを浮かべる壱馬。同じく、荒法師の頭巾の下で満足げな顔をする火葬法師。お互い、表情は伝わらぬものの、その思惑は重なり合っていた。
敗北の後、見失っていた人生。だがまさか、流れ着いた先で――
これほどの相手と、出会えるとは!
駆け出す両者。壱馬の足刀蹴りと、火葬法師の前蹴りが激しくぶつかる。技の一撃と、力の一撃のぶつかり合いは互角。だが、体躯で勝る火葬法師が、ほんの一瞬だけ壱馬の動きを上回った。
「浄罪!」
パン! と乾いた音が商業地区全体に響くぐらいの、激しい合掌。音と共に生まれた炎が、目の前の壱馬にまとわりつく。
火葬法師が手を開くより早く、壱馬はバク転で距離を取る。壱馬がバク転を繰り返すたびに、身体についた炎はその勢いを弱めていった。
十分な距離を取り、炎が消えたところで、ようやく壱馬のバク転は止まった。間を置かず、上空高く跳ぶ壱馬。到達点からの、流星の如き落下。一撃必殺の飛び蹴りが火葬法師を襲う。狙いは頭部、決まれば終わりの、まさしく必殺技である。
直撃寸前、火葬法師が見せたのは、力ではなく技だった。
わずかに首を曲げる火葬法師。壱馬の飛び蹴りは、あと数ミリのところで外れてしまった。そして首と同時に、火葬法師の腕も動いていた。
外れた蹴り、空中で無防備となった壱馬の足を、火葬法師が掴む。
まるで濡れた布を強引に乾かすように、火葬法師の腕力で何度も気安く振り回される壱馬。勢いのまま、火葬法師は燃える建物めがけ壱馬をぶん投げる。投擲物と化した壱馬がぶつかり、ガラガラと崩れ落ちる建物。瓦礫と炎の中に消えた壱馬を追うため、火葬法師は一歩踏み出す。
火葬法師の首筋から、赤い血が突如吹き出した。
「むう!?」
間欠泉の如き勢いで吹き出す血を前に、火葬法師の歩みも止まる。
先程の飛び蹴りは上手く避けた。避けたはずなのに、いったいこの首の怪我はなんだ。しかもこれは、まるで切り傷だ。いくら壱馬の蹴りが鋭かったとしても、刃物の域まで達するものなのか。
理由はわからぬが、放置はできない。火葬法師の手のひらに集まる炎。炎が集まったところで、火葬法師は手のひらを傷口に押し付けた。じゅくじゅくと焼ける、血と肉。ひとしきり焼けたところで、火葬法師は手を放す。無理矢理焼くことでの止血。無茶なやり方ではあるが、確かに血は止まった。
火葬法師はしばし立ち尽くした後、壱馬をぶつけられ崩れた建物に祈りを捧げた。
「我が救済は、生身たる半身にも届いていよう。我が救済に身を任すが良い、求めし者よ」
そう言うと、火葬法師は踵を返す。もはや炎は、壱馬を完全に捕らえた。
血に塗れ、焼けた僧衣。火葬法師のダメージも、決して軽くはない。これ以上の行動は、今後の救済に支障を来す。まだ、火葬法師の救済は、始まったばかりである。
壱馬の救済は終わった。だがもし、この救済でも救われぬとなれば、その時はさらなる炎を用意せねばなるまい。ここまで高ぶってしまったのだ。もはや、放逐者としての絆など、どうでもいい。
休息を求める火葬法師が向かったのは、生命多き境目の森であった。
◇
瓦礫が、炎が、倒れた壱馬を逃さなかった。
「くっ……」
身をよじろうとしても、動かない。せいぜい爪先に仕込んであるナイフを戻すのがせいぜいだった。旧型の改造人間なら蹴りだけでいい、その改良型には、さらなる殺傷力を追求する義務があるのだ。
変身が解除され、人間の姿に戻る壱馬。炎が茨の枝のように尖ってしなり、壱馬を蝕んでいる。壱馬の中にわずかに残る生身を、炎はいいように喰らおうとしていた。
改造人間にして怪人たる壱馬は、いわば科学の結晶である。約一名を除けば、これまで改造人間にも怪人にも遅れを取ったことはない。しかし、火葬法師は、まったく違う思想から生まれた人外だ。そのことを忘れ、普通に戦いに没頭してしまった。ようするに壱馬は、異種との戦いを侮っていたのだ。
倒れたまま、空を見上げようとする壱馬。だが壱馬と空の間は、燃えて崩れ落ちそうな天井に遮られていた。
どうせなら、空を仰ぎたかった。
「これで死ねるかどうかはわからないが、もしそうだとしても……」
強敵と真正面から殴り合い、そのまま倒れ、独り死を選ぶ。
「それなりに、絵になる死に様だ」
最初はあてにしていなかったが、あの火葬法師という男はなかなかに良い死に場所だった。死を救済とうたうだけのことはある。いい加減生きるのにも飽きてきた以上、妥協も覚えねばなるまい。
壱馬がフッと自嘲気味の笑みを浮かべたのと、天井が焼け崩れたのは同時だった。天井には、さらなる炎が蠢いていた。
押しつぶされる衝撃と、新たな炎による侵食。そういえば、自分の身体には、並の怪人のような自爆装置がついていたっけか。最後だけ爆死派手に終わるのも、面白いかもしれない。そんなことを考えつつ、壱馬は思考と意識を意図的にシャットアウトした。
◇
誰かが、手を握っていた。
ここに居たいという意志を無視し、無言の抵抗には構わず、こちらの言い分を聞く気もない。いわば、傲慢な手だ。手はその傲慢さに相応しい力強さで、ぐいぐいと引っ張ってくる。
正直、こういう相手は苦手だ。自分の正しさを信奉し、相手が間違っていると思ったら、決して退かない。これだけでは、ただの頑固者でしかない。本物は、自分の中の正しさを磨き続け、やがて強大な相手の間違いすら正してしまう。奇跡と呼ばれる勝利を、手にして見せる。
止めろ。俺はお前に負けたんだ。それで終わりなんだ。呼び覚ますな。
いくら壱馬が叫んでも、相手の力は揺るがない。ずるずると、寝たまま引きずられていく。
四十年前、壱馬と組織に勝った男が、何も変わらぬままそこにいた。
◇
壱馬の目に映ったのは青空であった。先程の光景は幻覚だったのだろう。この世界に、あの男がいるわけがない。だが、誰かがここまで壱馬の手を引いたのは、おそらく現実だ。
生きている。そのことを深く実感できる光景だった。身体を蝕んでいた炎は消え、負った傷も不自然なまでに癒やされている。
すっと覆いかぶさる、人の影。彼女は、壱馬よりも痛々しい有様で、壱馬の生還を祝った。
「よかった。わたし、あなたの言う通り、最後までやり遂げられました」
片目が潰れ、足の肉も手の肉も削がれ、服のあちこちから血が滲み、一言言うたびに血でえづく。そんな有様でありながら、フェイは本当に良かったと、暖かな笑みを浮かべていた。
何が起こったのかと、虚ろであった壱馬の意識が僅かに冴える。
壱馬から燃える建物まで続く、引きずられた痕跡。ただひたすらにフェイは回復魔法を壱馬にかけつづけている。歯を食いしばり、そんなフェイを見守るガラハとヴィルマ。噛みしめる唇と握り続けている拳からは、無念の血がにじみ出ていた。
「ありがとうございます、イチマさん。あなたのおかげで、自分のやりたいことができました」
元からそこに無かったかのように、あまりに儚くフェイの身体が崩れ落ちる。
とにかく起き上がろうとする壱馬の胸ぐらを、ヴィルマが血のにじむ手でそのまま掴んだ。
「お前が! お前が余計なことを言うから! 自分のことだけを考えていれば、この娘は助かったかもしれないのに! お前なんかに、最後の力を!」
伸し掛かるようなヴィルマの慟哭を、そのまま浴びる壱馬。
だいたいの事情は理解した。それでも、わからない。
壱馬と分かれたフェイは、なんらかの事情で死にかけた。そして死にかけたまま、死もやむなしと悟っていた壱馬を救った。ただ一つ、壱馬のかけた言葉を胸に。
きっと、ヴィルマもガラハも止めたのだろう。それでもフェイは、壱馬を救った。こんなことが、なぜできるのか。
先程の幻覚と、フェイの献身。壱馬の中で、何かが噛み合おうとしていた。
「なにを、悟ったような顔を!」
「やめろ!」
壱馬を殴ろうとしたヴィルマを、ガラハが一喝する。
ガラハは倒れたフェイに寄り添う。
「フェイは、残った僅かな生命を使い、やり遂げたのだ。私はこの娘を、誇りに思うよ」
ガラハはそのまま両腕で、フェイを優しく抱える。軽いとはいえ、少女一人を抱え、しっかりと大地に立つ姿は、杖代わりの剣など必要とせぬほどに雄々しかった。
「それにまだ、専門家の意見を聞いてないしな」
ガラハは振り返り、そのままフェイを運んでいく。ガラハの行く先には、こちらへとやって来るエルフの女王の一団が居た。
ヴィルマは緩慢な動きで、壱馬から手を放す。
「いくら女王様でも、おそらくは……あの方が駄目だと言ったら、おそらくもう手はあるまい」
少し離れているせいで、何を言っているかはわからない。だが、フェイを診る女王の顔色は、恐ろしく暗く蒼かった。
「回復魔法は傷を治す。でも、失った部位や臓器を一からは作れない。あくまで、傷を治す魔法だ。目に内臓に手に足に、わたしは回復魔法にくわしくないが、これぐらいはわかる! フェイを傷つけたヤツは、回復魔法では治せないように、わざとしている!」
肉を削ぎ、臓器を壊し、肌を焼く。フェイの負った傷は、回復魔法の限度を嘲笑うかのような、救いのない傷ばかりであった。
「二つなければいけない部位の片方だけ壊して、片方には手をつけない。片方を壊されれば人は生きていけない、だが片方残ってるから、結局死ぬのに苦しい時間だけが伸びる。フェイを傷つけたヤツはなんなんだ。どんな奴ならこんな人を苦しめる傷つけ方を思いついて、できてしまうんだ! おそらく始めてじゃない! 手慣れているから、できる所業だ!」
ヴィルマの慟哭が、目の前の壱馬に、世界にぶつけられる。
だが壱馬は、そんなヴィルマの慟哭を受け流していた。そんなことよりも、もっと大事な、わかったことがある。
ゆっくりと立ち上がる壱馬。さきほど、散々に打ち合った後に死を覚悟したとは思えないほどに、その立ち姿は確かであった。
「――」
壱馬の口から漏れる言葉。その言葉を耳にしたのは、近くにいるヴィルマだけだった。
ヴィルマはその真意を聞こうとするものの、口がそれ以上動かなかった。ただ目だけが、壱馬の姿を捉えている。
壱馬の顔には、活力が溢れていた。今までずっと無感情だった男に、なにやら滾るものが宿っている。
ヴィルマに、壱馬に宿ったものの正体はわからない。言えるのは、この感情が途方も無いものであることぐらいだ。ヴィルマの中で膨れ上がった、フェイを傷つけた何者かのイメージ。そのイメージと互角なくらいに。
「行くぞ」
「ど、どこにだ」
力強く歩く壱馬にヴィルマがたずねるが、壱馬は何も答えなかった。ヴィルマは不安げな様子で、壱馬についていく。今まで、どんな難題にも真正面から立ち向かってきた無境の村の自警団長が、あらわになった壱馬の意志に呑まれようとしていた。
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