二章 放逐者 アッセンブル!

第7話

 アメリカ。

 広大な領土と豊かな資源と多種多様な人種、大自然と都会、貧困に富裕、協調と対立、いわばなんでも在る国だ。

 そんな国で本日、一つの存在が消え去ってしまった。


「なんで、こうなっちまったんだろうな。正直、オレ様にもわからない。リョコウバトやドードー鳥を絶滅させた人間も、こんな気分だったんかねえ」


 主犯となった男は、ニューヨークにある高層ビルの屋上にて嘆いていた。まさか、こんなことになるだなんてと、座ったまま途方に暮れている。


「普通に考えりゃ、こんなことになるわけがない。だってオレ様は、銃で撃たれたら死ぬし、光速で走れないし、神話にも出てないし、世界一のディクティブでもない。なーんもできないのに……どうしてこうなった!」


 男はおもむろに、尻に敷いていたケープ姿の怪人物の頬をたたく。だが、頬を叩かれても彼が動くことはなかった。


「頼むよ。人の顔を叩くな! と、ブチ切れて殴り返してくれよ。殴り放題じゃあ、殴りがいがないじゃないか。お前が殴り返してくれるから、オレ様はハッピーだったんだよ」


 そう言いつつ、男は何度も怪人物の顔を叩く。手が疲れたところで、ようやく止めた。

 生身で銃弾を弾き返す男。光速で走れる少年。神話に名を刻む女傑。ケープをまとった探偵。正義を胸に秘め、人々が憧れる、いわゆるヒーローと呼ぶべき存在。そんな彼らは皆、物言わぬ死体の山となり、単なる腰掛けに成り果てていた。

 今日この日、アメリカよりヒーローと呼ばれる存在は消滅した。その存在を消滅させたのは、ヴィランという立場に属する、たった一人の常人であった。


「それで、次はアンタが遊び相手になって、オレ様をハッピーにしてくれるのかい?」


 男は、死体の山の頂上に座る自分を下より見上げている存在に気がついていた。


「いいえ。私はヒーローではないので」


 タイツではなく、スーツ姿の男でしかないと、山下は男の誘いを断わる。


「しかし、新しい遊び場なら提供することができます。あなたの知らない新しい場所へ、新しい立場で向かう。この心躍る誘いを、騙されたと思って聞いてみませんか? ハッピーになるために」


 山下はそう言うと、男に負けぬ笑みを浮かべた。


                ◇


 異世界ヴォート。騙されたと思って山下の話にノッた男……いや、現在少年は、先の見えない暗い洞窟を前にして、そんな過去を思い出していた。


「騙された」


 騙されたと思ってと言っておいて、本当に騙すヤツがいるものか。

 新しい立場。やさ顔の無垢な高校生の立場と外見とキャラクター。

 新しい場所。趣味でないファンタジーな世界。自分はスペースオペラ派だ。

 昔は銃も好き放題撃てて、使い捨ての部下もたくさんいた。

 だが、今は鋼の剣を手に、どうしたものかと一人悩んでいる。赤一色の学生服の上につけた金属製のアーマープレートも、風に揺れて心もとない。サイズが合ってないのだろう。


「……人間、調子の良かったころの自分を思い出しちゃオシマイだね」


 上手くいかずため息を吐くだなんて、久々だった。


「勇者様。洞窟に入らないんですか?」


 ああ、違う。一人ではなかった。一応、お付き兼案内役なんてものがいたのだ。

 異世界ヴォートにたどり着いた直後、いい装備をした兵士たちにわけもわからぬまま城に連れて行かれ、いきなり泣きついてきたのは玉座に座る王の隣にいた可憐な姫君。


“お願いです! 異世界の勇者様! 私たちドーゼン王国の民を苦しめるコボルトを退治してください!”


 こちらがどうしたものかと考えているうちに、安い武器と安い防具を渡され、お付きとしてつけられた女魔術師に引きずられるようにして、コボルトの住処である洞窟の前まで連れてこられた。ここはその、ドーゼン王国とかいう国の辺境に位置しているらしい。


「ふうん……でも、コレはね」


 少年はそう呟くと、鋼の剣を鞘にしまい、洞窟に背を向け大きく背伸びした。


「今日は帰ろうか」


「ええっ!?」


 やけに慌てる女魔術師、彼女は少年に食って掛かる勢いで語りかける。


「い、いや、コボルトを早く倒さないと、この国は……」


「コボルトって、個々はそんなに強くないんでしょ? だったら、あれだけしっかりした城と軍隊がいれば、いきなり滅ぼされることはないよね」


「で、でも、周りの村は……」


「さっき途中で立ち寄った村? 城には負けるけど、しっかり丈夫そうな丸太の壁で村を囲んで、見張り役が壁の上に何人もいたじゃないか。すぐに倒さないと危ないところまで追い詰められているとは思えないんだけど」


「それは……」


 言葉に詰まる女魔術師。少年は、洞窟に背を向け歩き、道沿いにあるしげみの葉を嗅いだりしている。帰る気満々だ。


「いきなり知らない世界に飛ばされて、ボクもう疲れちゃったよ。近くの村で一晩休んで、洞窟を調べるのは明日にしよう。うん。決定だ」


 少年はそう言って、洞窟を後にする。女魔術師は舌打ちでもしそうな顔で、少年についていく。少年に見えないようにはしているが、その様子にお付きらしき従順さはなかった。


「ごめんね。どうにも、ハッピーじゃないんだ。やっぱりハッピーを確信してからでないと、物事なんて上手くいかないんだよ」


 そう呟いた少年は、先程こっそり摘み取ったしげみの葉を指ですりつぶし、再度嗅ぐ。

 そうしてにっこりと笑みを浮かべる様は、それなりにハッピーに見えた。



 時刻は夜。コボルトの住処である洞窟に一番近い場所にある村。

 村を囲む木製の高い壁の上では篝火が焚かれており、村人ではなく傭兵で構成された自警団が常に巡回している。コボルトへの備えは、見た目以上に万全であった。

 壁の上で警戒している、二人一組の傭兵。その一人が、隣の相棒に話しかける。


「いったい、何時までこの仕事が続くんだろうな」


「さあ。おそらくまあ、長くても再来年くらいまでかな」


「飯付き宿付きの、いい仕事なんだけどなー」


 凶暴なコボルトから、村を守る。こうしているうちに、闇夜に紛れコボルトが村に侵入してくるかもしれない。注意力が必要なはずの仕事なのに、彼らはどうにもだらけていた。

 だらだらとした会話は、途切れることなく続いていく。


「ところで、異世界の勇者様はどうしたよ?」


「ああ。宿に入ったっきりだ」


 夕刻に帰ってきた少年と女魔術師は、宿に入ってからずっと音沙汰がなかった。


「中で何してるのかねえ。ビビっちゃって、使い物にならないとか?」


「ハハハ、それであの女が必死になだめてるってか。お願いします! あなたがコボルトを倒してくれないと大変なんです! なんてな」


「ギャハハ! 似てねえなあ、オイ!」


「俺らと違って、アイツはなんとしてでも、勇者様を洞窟に行かせないとマズいからな」


「言葉でダメなら……身体で言うコト聞かせるしかねえよな。アレぐらいのガキなんざ、一回しっぽりとすれば、後は女のためになんでもするぜ?」


「そいつは羨ましい! いっそ、俺が異世界の勇者になるか!」


「オメエ、異世界人でもなんでもねえだろ!」


「そりゃそうだ。それに、俺は……人生を丸ごと笑いものにされたくはないなあ」


 同情とからかいと納得、傭兵たちは様々な感情をまぜこぜにして、宿の方を見る。

 その頃、宿の一室で繰り広げられていた光景は、傭兵たちが望むような光景でありつつ、あまりのことに腰を抜かすようなものだった。


                  ◇


 トロンとした、とろけるような表情でベッドにしなだれかかっている女魔術師。その有様に、真面目さや規律など一欠片もない。ここにいるのは、常識と着衣を剥がされた一人の女である。

 机の上には、乳鉢ですり潰されたなにやら緑色をしたペースト状の物体が放置されている。乳鉢の周りには、採りたての葉っぱが散らばっていた。


「つまり、ボクが巻き込まれたのは……こっちの世界で最近流行りの、勇者ごっこって遊びなんだね」


 自ら煎れたお茶を楽しみつつ、少年は女魔術師に問いかける。


「はい。召喚された異世界人を勇者と讃え、危険なことに挑戦させ、その四苦八苦を楽しむ。中央で流行り始めた、王侯貴族の遊びです……この水晶玉に、あなたの行動は記録されてます……」


 もはや女魔術師の口に戸は無かった。すべてを話し、大事な水晶玉すら少年に捧げてしまう。

 少年は受け取った水晶玉を机に置くと、コボルトの洞窟前で採ってきた葉を乳鉢に入れ、ゴリゴリと慣れた様子ですり潰し始める。


「うん。人の四苦八苦ほど、楽しい見世物はないよね。その遊びを思いついた人間は、なかなかわかってるよ」


 おだてあげられ、はしゃぐ姿でまず五十点。

 なんの実力もないまま、特別感だけで艱難辛苦に挑んでいく姿でさらに五十点。

 最後に、全部ドッキリでしたーとバラした瞬間の面白さでボーナス七十点。

 合計百七十点で、満点花丸な面白さだ。少年の趣味にもあってるし、似たようなドッキリは向こうの世界でさんざん楽しんできた。

 少年は、乳鉢に自分の飲んでいたお茶を注ぐと、さらに混ぜる。

 ペーストと混ざり、ドロドロになったお茶。少年は哀願するような瞳でずっと自分を見続けていた女魔術師のあごを上げ、毒々しい液体をその口に流し込んだ。

 とろとろと流れる液体を逃すまいと、女魔術師は口を大きく開け、舌を伸ばす。溢れた液体が口端から漏れ、落ちた液体が白いシーツや木の床に、緑色の跡を残した。


「コボルトも仕込み?」


「いえ……彼らは自然発生したコボルトです。でも、あの洞窟のコボルトは、ドーゼン王国による大規模な討伐作戦の際、雌をすべて殺されていて、後は滅ぶのみです。やけになり、とにかく周りを攻撃していますが、だんだんその数を減らしています」


「生存競争って、どこの世界でも厳しいよね」


 種の存続とは、雄と雌が共にいて成り立つ。雌が全滅した以上、この辺りに住むコボルトは、遅かれ早かれ絶滅する運命であった。その自暴自棄に、この辺りの村が巻き込まれている以上、ドーゼン王国の失策だ。

 そんな失策を遊びの材料にする。なんとも剛毅な、国家でしかできない遊びだ。

 バカだねえと笑う少年に、女魔術師は恥ずかしげに懇願する。


「あの……もっと……そのクスリを飲ませていただけないでしょうか……全部、知っていることは話しましたよ……?」


 女魔術師は、顔を紅潮させたまま、少年の足に柔らかに抱きつく。足元から、徐々に這いずるようにして、その手は下半身へとかかっていった。

 少年はそんな女魔術師の存在など一切期にせず、指で摘んだ葉っぱをしげしげと観察していた。


「この世界のハッパは、良いハッパだね。作ったおクスリも、試作品とは思えないほどの効果だ。うーん、注射器が欲しいな。血管への直打ちを確かめてみたい。文明が懐かしいよ」


 この異世界ヴォートにある医療器具に、精度の高い注射器は存在しなかった。回復魔法なんてものがある以上、医療に関する技術が未発達なのは仕方のないことだ。

 少年は、乳鉢に残っていた手製のクスリを床にこぼす。女魔術師は少年の下半身から手を放すと、床にこぼれた液体を必死に舐め始めた。

 少年は鞘から抜いた鋼の剣を掲げると、きらきらとした目で宣言する。


「せっかくだから、ハリウッド仕込みのアレンジで、この世界の勇者ごっこをもっと面白くしよう。ハリウッドに出たことはないけどね。二つの世界の知識と技術を一つに! 生まれた世界は違っても、人はわかりあってハッピーになれるんだ!」

 おクスリの力で人格も尊厳もきれいサッパリ消去してしまえば、どこの世界で生まれようと何も変わらない。今、四つん這いで獣のように必死に床をなめている女魔術師こそ、その証明である。

 これから一昼夜。少年は宿にこもりきりとなる。やることを見つけた以上、体力も精神力も減ることはなかった。ついに彼は、この世界で己の出来ることを見つけてしまったのだ。

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