第6話
この無境の村に、侵入者があらわれた。おそらくそれは、人に害を与える存在である。そんなことを知る由も無い壱馬とフェイは、境目の森の中を呑気に移動中だった。
「なるほど。エルフとドワーフの村か……」
「はい。もともと、この辺りにはエルフの皆さんが住んでいて、そこにドワーフを始めとする他の種族の皆さんが集まってきて出来たのが無境の村です」
背中に乗るフェイから、無境の村についてのレクチャーを受けている壱馬。おかげで、だいぶこのヴォートの在り方がつかめるようになってきた。
話をしている最中、壱馬は昔、組織であった会議のことを思い出していた。
昔、組織の怪人のモチーフに、ファンタジー世界にいるエルフやドワーフやゴブリンを使いたい。そんなことを会議で熱弁していた研究者がいた。
結局、幹部であった主任研究員の気が乗らずボツになったものの、彼の熱意に付き合ったおかげで、今こうしてエルフやドワーフなどのキーワードが出てきても、なんとか理解できた。
「……まさか、あのボツ企画に付き合ったことを、今更感謝することになるとは」
「ボツ企画?」
「なんでもない」
壱馬のつぶやきをフェイが拾うが、壱馬は説明がめんどうだと誤魔化した。
フェイは壱馬に対し、無境の村に関しての説明を続ける。
「無境の村は、まず中央にエルフの皆さんの書庫やドワーフのおじさんたちの工房のような重要な場所があります。そんな中央を囲むように、この境目の森があって、森の外側に外との公益地点であり、この村の正式な入り口である商業地区があるんです。主に中央で造っている商品は、ここで売ります。無境の村の品物はいいものばかりだって評判なんですよ」
「つまりこの森は、商業地区と中央の境目であり、大事な中枢部を守る城壁代わりということか」
「そのとおりです!」
我が意を得たりとばかりに、声のボリュームを上げるフェイ。そのまま、勢いよく話を続ける。
「もともと、この森はエルフの皆さんが護り続けてきた門外不出の秘宝や秘術を守るためのものだったんです。元々、迷いやすい地形に加えて、森に強いエルフの皆さんの仕掛けがあちこちにあります。イチマさんが迷ったのも、当然です」
「迷っていない。ただ、気ままに彷徨っていただけだ。なるほど、最初に俺がこの森に来た目的をそちらが気にしていたのは、そういうことか」
妙な意地を張る壱馬は、途中でふと気がついた。
フェイはこの森の入り口を商業地区と言っていた。大事な宝物や生産拠点を守る森に、入り口以外から入ろうとする者。それはおそらく、物取りや野盗のたぐいだろう。
「ごめんなさい。今まで、入り口以外から許可もなくこの森に入ってきた人は、だいたい村の秘宝や秘術をこっそり盗もうとする人ばかりだったので」
そう言って、頭を下げるフェイ。
「大丈夫だ。俺はそもそも密かな窃盗よりも、真正面からの強奪派だ」
「あはは。イチマさんも冗談を言うんですね」
笑顔を浮かべるフェイ。一方、壱馬は真顔であった。壱馬は、金庫の鍵を探すより、金庫をぶっ壊す派である。
そうこうしているうちに、道の先に木造二階建ての一軒家があらわれた。壱馬視点ではいわゆるログハウスだが、なかなかにしっかりできている。
「あ。ここです。ここが、わたしの住んでいる家です。わたしと父さんは、この森の案内人でもあるんですよ」
家に近づいたところで、フェイは壱馬の背から飛び降り、玄関のドアへと駆け寄った。
「いま、お茶を用意しますね。でもその前に、いったん着替えたほうがよさそうですね。イチマさんが着れそうな服、あったかな……」
そう言って、玄関の扉を開けようとするフェイ。
「待て!」
「え?」
異変に気がついたイチマが叫ぶものの、フェイは間に合わず扉を開けてしまう。家の中には複数の生体反応があった。サイズに姿勢に体温。おそらく待ち構えていたのは、人ではない。
家の中からナイフを手に飛び出してきたのは、三匹のコボルトであった。
犬の顔と人の体を持つ小型の魔物はフェイめがけ襲いかかる。
「ちぃ!」
だが、壱馬はすでに動いていた。飛び出した壱馬は、フェイの身体を押しのけると、そのままコボルトを迎撃する。飛び出したまま突き出したヒジが一匹の顔面を破壊し、続けざまの前蹴りがもう一匹の身体をいいように吹き飛ばした。
壱馬は二匹のコボルトを瞬殺したものの、一匹間に合わなかった。コボルトはナイフを手に、フェイに飛びかかる。そしてその勢いのままフェイとすれ違い、地面に墜落して動かなくなった。
「ふう……」
助かったと、一安心するフェイ。それで力が抜けたのか、再び崩れ落ちそうになる。
倒れそうなフェイの身体を、力強く腕で支えたのは壱馬であった。
「あ、ありがとうございます……」
頬を赤らめるフェイ。壱馬は、真剣な眼差しでフェイを見つめていた。こうも見つめられては、さすがに面映い。
壱馬は、片腕でフェイを抱いたまま問いかける。
「お前、ひょっとして強いのか?」
壱馬は、今のコボルトが墜落した光景を、しっかり目で捉えていた。
コボルトのナイフが自分の身体に届く直前、フェイは瞬時にコボルトの手からナイフを奪うと、流れるような動きでコボルトの額に突き刺した。現に墜落したコボルトの額には、自分自身の持ち物であるはずのナイフが突き刺さっている。
俺でなければ、見逃していただろう。壱馬がそう自惚れるほどに、フェイの動きは流麗であった。ひ弱な少女とは、まったく思えない。
そんな見事な技を見せたフェイは、息絶え絶えで壱馬の質問に答える。
「わたしなんて、全然ですよ……もっともっと、強くならないと……それに、今のだけで、もう体力切れです……」
そう言って、意識を失うフェイ。流麗な技も瞬時の判断力も見事なのに、体力の無さが台無しにしている。壱馬は哀れみと敬意を持って、フェイをそっと地面に寝かす。
壱馬たちの周りを、十数匹のコボルトが囲んでいる。最初から彼らは、この家の住人を組織的に待ち伏せしていたのだ。
「おい、お前ら。言葉は通じるか?」
壱馬が問いかけるが、コボルトからの返答は、言語とは思えない唸り声であった。
(言語能力がない、もしくは言語体系が違いすぎる生物か)
心中にて、コボルトの戦闘力を分析する壱馬。コボルトは、壱馬の知らない種であった。ボツ企画の選考から、漏れていたらしい。
(凶暴そうな面持ちに、粗雑だが使い込まれた武器。体格からして、個々の戦闘力は高くないだろうが……)
壱馬のセンサー付きの目は、家の周囲や樹上にまだコボルトが潜んでいることを察知していた。今、こちらをわかりやすく取り囲むコボルトたちすら囮である。本命は、未だ潜む十数匹だ。合計すれば、数十匹になるだろう。
(戦闘力の低さを、数と連携で補う気でいる。奇襲、挟み撃ち、包囲、こちらの動きによって、作戦を切り替えられるいい位置に潜んでいる。知性がなくとも、本能で正しい作戦を立てている)
壱馬の脳裏に、揃いの全身タイツを着た戦闘員たちの姿がよぎる。壱馬の記憶にある彼らの姿は、いつも一列に整列して、一斉に敬礼している姿だ。
壱馬は、ふっと軽く笑うと、思っていることを正直に口に出した。
「使い物にするため随分と手をかけた戦闘員と、ほぼ同水準の原生生物がいる世界か……なんとも、恐ろしい世界だ。だが……」
両手を構えた壱馬を見て、こちらを囲む囮のコボルトたちが一斉に襲いかかってきた。
棍棒を手に、真っ先に壱馬に襲いかかってきたコボルト。壱馬は棍棒を蹴り飛ばすと、がら空きの顔面、いや開けっ放しの口に直接にコブシを叩き込んだ。
牙を撒き散らし、吹き飛ぶコボルト。壱馬は手についた牙と血を振り払うと、己の感情を正直に叫んだ。
「俺の死に場所には、まだ足りない!」
壱馬は次々と飛びかかってくるコボルトを、変身もせず叩きのめしていく。
冷徹な顔に、わずかにかかる高揚。まだ血に汚れたままの学生服を着ていいように暴力をふるうその姿は、種族や世界の壁を越えて恐れをなす姿であった。
一匹のコボルトをそのまま捕まえ、膝を腹にぶちこんだところで、ついにコボルトたちは逃げ出した。壱馬はすぐ追うことはせず、目だけで追う。
まだ、辺りの物陰にはコボルトが潜んでいる。今逃げた連中は、しょせん囮である。壱馬が追えば、残されたフェイが襲われる。かといって、このまま逃せば、体制を整え直して再びやって来るだろう。その時は、回りに潜んでいるコボルトも連携してくるに違いない。
アゴに手を置き、考える壱馬。なかなかに、面倒な二択を突きつけてくれた。
「よし。これでいこう」
そう呟いた壱馬は、コボルトが逃げた方角へと駆け出した。フェイは、その場に放置したままである。
壱馬の気配が消えた後、家や木の影に隠れていたコボルトがぞろぞろと出てくる。コボルトたちは、気絶したままのフェイへと寄っていく。
それは、してやったりの咆哮だったのだろう。大柄な一匹のコボルトが、粗雑な斧を動けぬフェイに振り下ろそうとする。
その瞬間、上から突如落ちてきた物体が、斧を弾き飛ばした。そのままそのコボルトは、何者かに捕獲された。
思わず後ずさる、残りのコボルトたち。あらわれた壱馬は、一匹のコボルトの首を掴み持ち上げたまま、残りのコボルトたちを一瞥する。
「作戦の変更や決断には、状況を俯瞰で見極める目と判断できる知恵、つまり指揮官が必要だ。お前たちの指揮官は、コイツだ」
壱馬は、他のコボルトより一回り大きく、巨大な斧を持っていた個体を指揮官と判断した。いくら本能で作戦を立てていると言っても、群れである以上、長はいるはずだ。壱馬は囮のコボルトを追跡するふりをして、フェイを餌に長らしき個体をおびき寄せた。斥候兼指揮官、これが集団を統率する、このコボルトの役割だろう。
壱馬は捕まえたコボルトの首を掴むと、自分と目線が合う位置まで持ち上げる。
「悪いな」
言葉がわからぬコボルトに話しかける壱馬。わずかに反応があった気がするが、それはきっと震えだ。
「今から俺は、必要以上にお前を殺す」
壱馬は、そのまま捕まえたコボルトを何度も殴りつける。
ただ執拗に、機械的に、無感情に殴り続ける。相手が動かなくなっても、ただ殴る。
壱馬を囲むコボルトも、様子を見に戻ってきた囮役のコボルトも、全員ただゴツゴツと響く殴打の音に聞き入っていた。聞きたくないのに聞かざるを得ない、呪いの音である。
やがて壱馬は、もはや原型もなくなり、なんの生物かすらわからなくなったコボルトを、口からの毒ガスで溶かす。壱馬の姿は、異形たる変身態へと変貌していた。
無残を突きつけられたコボルトたちは、吠えることもなく即座に逃げ出す。もはやその動きに、群れとしての全はない。あるのは必死という個だけだ。
霧散したコボルトたちを見て変身を解く壱馬。ひとまず気絶したままのフェイを介抱しようと、その手を伸ばそうとする。
刹那、壱馬の背後から無数の矢が放たれ、回りの地面に突き刺さった。
「動くな!」
矢をつがえたヴィルマが、壱馬を牽制する。彼女の背後には、黒装束の自警団員たちが同じように弓矢を構え付き従っていた。隊長であるヴィルマは露出度の高い鎧を着ているが、部下の黒装束は自警団の制服である。露出は隊長特権だ。
動かぬ壱馬に、ヴィルマは改めて問いかける。
「貴様が異世界人か」
「そちらから見れば、そうだろうな」
自らの素性を知っている相手に対し、壱馬は無理に隠すことなく己をさらけ出す。
「我々は、無境の村の自警団だ。この森は無境の村の一部であり、許可なく踏み入ることは許されぬ地である」
「ならば、今ここで許可をもらおうか」
振り返る壱馬、その身体からは威嚇の圧が発せられている。自分の素性を知っていようがいまいが、不都合なら力でどうにかしてしまえば、何も問題ないのだ。
壱馬の殺気にあてられ、思わず後ずさる自警団員たち。だが、その長たるヴィルマは、一歩も引かず弓をいっそう強く振り絞る。
そんな、一触即発の事態に割って入ったのは、遅れてやって来たガラハであった。
「待った待った。全員、落ち着け」
ガラハは、飛び交う殺気に構わず、ヴィルマと壱馬の間に割って入る。
あまりに平然と横入りしてきたガラハに毒気を抜かれたのか、ヴィルマは矢を外し、壱馬もその圧を緩めた。
「ガラハ殿……」
ガラハの名を呼ぶ、ヴィルマ。
「そう喧嘩腰になるな。相手は異なる世界より来た者。常識や決まりも異なる。まずは慎重に接触し、受け入れるにしても拒絶するにしても、それから。これが、我が村の掟だ。よりによってお前らが掟を無視するのはいかんだろ?」
「承知しました」
ガラハに説得され、ヴィルマたち自警団は全員武器と敵意を収める。それを確認した後、ガラハは壱馬に向き直った。
「さて、まずは、娘を救ってくれた礼を言うべきだろな。私の名は、ガラハ。この娘、フェイと共に、この家に住んでいる」
「礼を言われるほどのことはしていない」
頭を下げるガラハに対し、無愛想な壱馬。ガラハは構わず話を続ける。
「だが、あなたがいなければ、我々は間に合わなかった。最近、周辺のコボルトの動きが怪しいのは掴んでいたものの、まさかいきなり、この境目の森に踏み込んでくるとは。おかげで、家もめちゃくちゃだ」
「コボルト?」
壱馬はようやくここで、自分が痛めつけた存在の種族名を知った。
「ああ。傷つけることと、奪うことしか知らない、魔に連なる悲しい生き物だ。最近の暴れっぷりは、さらにひどくなっている。そんな連中が、この森に侵入したと聞き、急いで戻ってきてみれば、まさか異世界人がいて、しかもコボルトを追い払ってくれたとは! いや、助かった! ありがとう!」
再び礼を言い、壱馬の手を握るガラハ。感謝されることに慣れていない壱馬は、ただそのままガラハの感謝を受け取ることしかできなかった。
「う、うう……」
聞こえてくるうめき声。ようやく、気絶していたフェイが意識を取り戻そうとしていた。
「おお! フェイ!」
「フェイ……!」
ガラハだけでなく、ヴィルマもフェイの名を呼び、壱馬を突き飛ばす勢いで駆け寄る。他の自警団員たちも、我先にの勢いでフェイの元へと駆け寄った。
あっと言う間に、自らを心配する人々にフェイは囲まれた。
「あ……」
「起きたか! フェイ! 安心しろ、みんないるぞ! ガラハ殿もだ!」
意識を取り戻したフェイに、食い気味で話しかけるヴィルマ。ガラハの目と、フェイの目が合い、二人は共に微笑んだ
フェイは周りを見回した後、ヴィルマに頼む。
「ヴィルマさん、すみませんが手を貸してください」
「ああ、いくらでも!」
ヴィルマの手を借り、起き上がるフェイ。人垣を分けフェイが向かった先は、人垣から離れたところでぽつんと突っ立っていた壱馬のところであった。
「またまた助けていただき、ありがとうございました」
あの後どうなったのかはわからないが、壱馬がコボルトを追っ払ってくれたに違いない。過程はともかく、その結果は起き抜けのフェイも認識していた。
「慕われているな、お前は」
率直な感想をフェイに言う壱馬。今、意識を取り戻したフェイに駆け寄った人間は、純粋に好意から駆け寄っていた。こういう時に、普段の関係性は出るものだ。
「今日これで、二回も大変なところを助けてもらいました。どうやって、恩を返せばいいのか……」
フェイも、ガラハと同じように壱馬の手を取ろうとする。だが、そんなフェイを、一旦、ヴィルマが手で止めた。
「ヴィルマさん?」
「待て。フェイ。その男は、凶悪な異世界人なんだぞ」
「異世界人……?」
壱馬は異世界人である。そう聞き、目を見開き驚くフェイ。
そんなフェイの驚きを見た壱馬は、所在なさげに目をつむる。悪い関係ではなかったが、どうやらそれも、自分の素性がバレたことで終わりそうだ。この世界の異世界人への反応は、あの闘技場で十分に味わった。
「異世界……違う世界から、ここに来たんですか?」
壱馬に問いかけるフェイの声は、震えていた。
「ああ」
そっけなく答える壱馬。
「それは、この世界とは人も風景も、何もかも違って」
「ああ」
「沢山の灰色の塔があって、夜でも光り輝いていて」
「……詳しいな」
フェイは、壱馬のいた世界のことを知っているのか。壱馬が逆に質問しようとするより先に、フェイは壱馬の手をとった。その瞳は、夜のネオン以上に期待で光り輝いていた。
「イチマさんは、異世界の方だったんですね! まさか、この森で出会えるだなんて! 握手してもらってもいいですか! あ! もう握手しちゃってますね!」
「あ、ああ……」
ぴょんぴょんと跳ね、心底嬉しそうなフェイ。手を握られている壱馬だけでなく、ヴィルマも自警団の皆さんも、みんなポカンとしている。
そんな中、ガラハだけが、やれやれと首を横に振っていた。
「おい、フェイ。そんなに動くと、また倒れるぞ?」
「あ。はい、すみません。ちょっと、びっくりしちゃって」
ガラハに言われ、フェイは両手で握っていた壱馬の手を放す。
「異世界人については、父さんにいろいろ聞いてます! ぜひとも、ゆっくりお話させていただければ!」
フェイの発言を聞き、フェイ以外のその場にいる人間が全員、ガラハの方を見た。
「そういうことなら、今日からしばらくウチに泊まってもらったらどうだ。恩人を、森に放り出すのもしのびない」
ガラハの発言を聞き、フェイの顔がさらに明るくなる。
「ガラハ殿!?」
ヴィルマはガラハに何か言おうとするが、ガラハはジェスチャーで止めた。
当事者である壱馬は、困惑しつつ口を開く。
「俺は別に……」
「何をするにしろ、まず必要なのは知識と理解よ。野垂れ死に以外の選択肢が欲しいのならば、まずここに止まり、この世界を知るといい。何を望むにしろ、な」
にらみ合いに近い形となる、壱馬とガラハ。しばしの間、じっと黙した後、
「世話になる」
折れたのは壱馬であった。
「じゃあ、お部屋を準備しますね! でも、その前にお食事の支度を……ああ! 洗濯ですよね、まず! 何より、家の中をチェックしておかないと!」
「頼むから落ち着け。三度も生命を助けるのは、重すぎる」
張り切るフェイに引っ張られるような形で、壱馬は家の中に連れて行かれる。
そんな二人の背を、自警団員は困惑で、ヴィルマは不信で、ガラハは苦笑しつつ見ていた。
◇
コボルトたちの死骸を回収し、近くに埋める。ガラハは、そんな後始末を終えたヴィルマたち自警団員に告げる。
「あの異世界人の面倒は、私が見よう。あの男に関する件は、無境の村の相談役として、責任を持って対応する。お前たちは、各々の職務と散って逃げたコボルトたちの追跡を頼む」
「「「はっ!」」」
一斉に返事をして散っていく自警団員の面々。村の相談役と言えども、ガラハに実権はほぼない。彼らがガラハに忠誠を誓うのは、ガラハが尊敬を勝ち得ているからだ。
種族の境目がない無境の村といえども、ヒューマンでこれほど信頼されているのは、ガラハ、そしてフェイぐらいのものである。
自警団員は全員姿を消したものの、長であるヴィルマだけはその場に残っていた。
「すまんな」
ヴィルマへの詫びを口にするガラハ。
「いえ。気にしてませんよ。フェイが、ああも異世界人に食いつくとは思ってませんでしたが」
「あの娘には、私の知る異世界人の話をしていたのでな。あの娘にとってのあこがれは、勇者ではなく異世界人だ」
「父娘ともども、異世界人について黙っていたのですか。それは、長い付き合いの身としては、ショックですね」
ショックと言いつつ、微笑んでいるヴィルマ。ガラハも同じように笑っている。ヴィルマとガラハ、そしてフェイの間には長く深い絆があった。
そんなヴィルマの笑みが、急に冷める。
「私は、異世界人について詳しく知りません。貴方がどんな異世界人と付き合いがあり、フェイにどんな話をしていたのかも。私が知るのは、あの異世界人がいたぶるようにコボルトを殴り殺し、口から毒の息を吐くような男であることだけです」
ヴィルマは、壱馬がコボルトを蹴散らし、指揮官役の一匹を殴り殺す様を、樹上から目撃していた。おかげで、すぐにでも気絶したフェイを助けるために動くべきだったのに動けなかった。これは、屈辱である。
「いくらコボルト相手とはいえ……あんなおぞましい光景は始めて見ました。闘技場の惨劇も、すべてはあの男の仕業でしょう。人らしき姿は、仮初でしかない怪物。あのような危険人物を自由にしておくのは下策かと」
ヴィルマの意見を聞いたガラハは、頭をポリポリとかいたあとヴィルマに自身の意見を述べる。
「アレは空っぽだ」
「空っぽ?」
思わず聞き返すヴィルマ。
「なぜあの異世界人が、コボルトを残酷に殺したのか。それは、効率がよかったからだろう。そこに、残虐さも怒りもない。むしろ、なにもない、空虚だ」
「効率だけでああも残酷に?」
「必要以上に残酷に殺すことで、コボルトの群れは恐怖で瓦解した。群れでないコボルトなんて、驚異でもなんでもない。大半が、この森で迷って死ぬだろう。あの異世界人は、コボルトの特性を即座に理解して、一番効率的な方法でその特性を殺した。非道にも悪名にも構うことなく、最善の手段を取ったのだけだ」
ガラハはさきほどのやり取りにおける壱馬の態度と物言いと目を見て、壱馬という人間の中身を覗き込もうとしていた。結果、そこには、何もなかった。
「おそらく、こちらが害しようとしない限り、あの異世界人は敵に回らないだろう。だが、敵対したが最後、恐ろしいことになる」
善意も悪意も希薄な以上、もし壱馬の敵に回れば、壱馬は常識も理屈もお構い無しで敵対者を排除しにかかるだろう。壱馬が恐ろしいまでの力を持つ以上、それは賢い選択肢ではない。
壱馬とヴィルマの殺気の間に容易く潜り込み、短い会話で壱馬の本質の一端に気づく。ガラハもまた、底しれぬ男であった。
そんなガラハの分析を聞いたヴィルマは、ため息をついてから話し始める。
「善意で接すればひとまず問題なく、敵意で接すれば敵意で返ってくる。まるでこちらを映す鏡ですね。試されているようで、疲れますが」
「善意で接した方がいい以上、うちに置いておくのが一番だ。なにせ、鏡に映すのに……ウチの娘は最高だ」
二人のいる位置から、家の中の光景がちらりと見える。
倒れた戸棚を片手でヒョイと持ち上げる壱馬に、フェイが拍手をしていた。
「親馬鹿と笑うか?」
「いいえ。笑いませんよ、私は」
ヴィルマはそう言って、ガラハに背を向ける。壱馬なんぞ信じられないが、フェイは信じられる。それに、ガラハのことも。
信じた以上、今すぐに、口を出す気はなかった。
ヴィルマが去ったのを見て、ガラハも家の中に戻ろうとする。
そんなガラハの中には、ヴィルマに言わなかった、大きな懸念があった。
壱馬は、かつてガラハが会ったことのある、異世界人と違いすぎた。
あの男は、もっと脆弱で、まっすぐで、それでいてしっかりとした中身を持っていた。むしろ、中身しかなかった。だからこそ、やがて弱さを拭い、そして――
世間の評価はともかく、今でもガラハは、昔出会った異世界人のことを尊敬している。その敬意は、娘にも伝わっていた。
「もし、あれだけの力がある男に、しっかりとした中身があったとすれば」
それが善であればいい、だがもし、悪しき中身だった場合、この世界はどうなってしまうのか。
ガラハは、腰に刺したミドルソードの柄に軽く指を乗せる。
いざとなれば、自分のすべてをなげうってでも、確かめねばなるまい。
その覚悟には、高潔な騎士と呼ぶべき輝きがあった。
◇
その頃、悪しき中身を持ったとある異世界人が、今を謳歌していた。
燃える白亜の城。人々が逃げ惑う阿鼻叫喚の地獄絵図。
城を守るはずの兵士や騎士は、死体となってあたりに散らばっている。
壊れかけの玉座にて、少年の外見を持った悪鬼が、ひたすら楽しそうに笑っていた。
壱馬と同じタイミングで異世界ヴォートへと飛ばされた少年。壱馬がただ戸惑い暴れる中、彼は数日で一つの国を滅ぼしてみせた。
彼がどうやってここに至ったのか。それを知るには、時計の針を巻き戻す必要がある。
「というわけで、次章の主役はボクです! ああ、なんかもうこのキャラにも飽きてきたなあ……」
少年は、誰も聞いていないことを知りつつ、ここにいる誰かに聞かせるような台詞を吐いた。
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