悪い奴らは眠らない!~誰かが歌う子守唄~

藤井 三打

序章 昭和の遺物、異世界へ征く

第1話

 重い、とても重いものを、引きずる音がした。

朝もやのビル街に、不釣り合いな音。その音の主は、俯きつつも、らんらんと光る眼でただ前に進もうとしていた。

 半壊したプレートアーマーに折れた剣。年齢は十代の中盤、おそらく少年と読んで差し支えないだろう。

身体中が傷まみれで、乾いた血が肌にベッタリと貼り付いている。痛々しさを一身に背負いながら、彼の足は止まらなかった。

 頬についた深い十字の切り傷から血がだらだらと流れている。


「このままだと、この世界は大変なことになる……誰かが止めないと……」


 まるで、異世界から訪れた勇者のような台詞である。

 そんなことを自分が言ったと気づいた瞬間、少年は口より恨みと後悔を吐き出した。


「何が勇者だ……何が異世界の英雄だ……」


 彼は、剣と魔法が力を持つ異世界に召喚され、世界を救った男――のはずだった。

 だが、今の少年に宿る怒りと絶望は、輝かしき救世主と相反するような感情だ。

 異世界での長い旅路の末、己の生まれた世界に持って帰ってきたのは、壊れた装備品と、多少の経験。そして、ふつふつと煮えたぎるような危機感であった。

 侵略ならまだいい。それならば、力で対処できる。

 だがおそらく、これからこの世界は、異世界に陵辱される。気づかぬうちに、大事なものを踏みにじられて犯される。無垢なまま、残酷にさらされるのだ。

それを止められるのは、気づいている己のみだ。だが、どう止めればよいのか。


「ククク……ハハハ……」


 口から、知らぬ声が発せられている。

彼がこの空虚な声が自分自身の笑い声だと気づくには、しばしの時を要した。

「なんだ、簡単なことじゃないか。向こうがこちらの世界を陵辱する気なら、逆にこちらが陵辱してやればいい。この世界だって、負けてはいない」

 異世界にも悲劇があり残酷があり悪がいた。

 ならば、この世界はどうか。悲劇があり、残酷があり、悪がいる。

 奴らは、この世界の奥深さを知らず、上澄みだけをすくおうとしている。

 ああ、なんて都合の良い話だろうか。

「見てろよ、異世界! この世界の極上のゴミを、テメエらにくれてやるよ!」

 上澄みなどではない、奥底のヘドロの暗さを味あわせてやる。

 目には目を、歯には歯を。叫びと哄笑を残し、少年は霧の中へと消える。

 少年が無垢さを捨て、大人らしい感情を覚えた瞬間だった。


                 ◇


 彼はやがて、自分がいた世界の広さを知り、自らの思惑が正しかったことを確信する。だが、実現には十年の時を必要とした。

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