25 サバロ防衛戦:隠密逃走

 三人と一匹が逃げ込んだ先は、何かのオフィスビルの廊下という雰囲気だった。


「これを持っていろ」


 ルウィスは、さっきから壁に穴を開けたり塞いだりしている杖をアルテミシアに渡してきた。


「わたし、魔法なんて使えませんけど……」

「これは『ノームの左手の杖』というマジックアイテムだ、誰でも使える」


 本当だろうか、と疑問に思いながら手近な床に向かって振ってみると、床の石がグネグネと粘土を捏ねるように盛り上げられ、アルテミシアが思い浮かべた通りの遮光器土偶を象った。


「本当に使えた……」

「なにこれ、可愛い」

「……そうかな?」


 アリアンナが目を輝かせていた。

 自分が考えた事にして、縄文人の叡智を特許登録したら、大ヒットキャラクターになって大儲けできたりしないかと、アルテミシアは一瞬思う。


 既に人が逃げ去った後らしい、机だらけの事務室(アルテミシアには違和感だったが、もちろんパソコンは見当たらない)を抜けて、建物の反対側へ。

 ルウィスは格子付きの窓から道の様子を伺った。左右、そして上空も。

 窓の陰に隠れているアルテミシアには、せわしなく通りを駆け抜けて行く人の足音が、散発的に聞こえるだけだった。


「よし、大丈夫だ。合図をしたら壁に穴を開けろ。

 一気に通りの反対側へ渡る。通った後は塞げよ」


 アルテミシアが杖を振り、壁に穴を開けると、三人と一匹は通りに飛び出す。

 そして、それと同時だった。


「ボアアアアア!!」


 薬物でラリったゴリラの威嚇みたいな、恐ろしい咆哮がすぐ向こうの十字路を曲がった場所から聞こえてきた。


「まずい、急げ!」


 やや声を抑えて、ルウィスが叫ぶ。

 転がるように、しかし転ばないように、三人は通りを走り抜ける。

 壁に穴を開け、飛び込み、その穴を塞いだ直後、壁の向こうで重量級の足音がした。

 建物の中まで振動が伝わった。


 特に覗こうとするまでもなく、その巨体は窓からよく見えた。

 身長三メートルを超えるそれは、特別に誂えられたのであろう20XLくらいのサイズの鎧を身につけ、桃太郎を三人くらい殺せそうな巨大金棒を抱えていた。


「オーガの重装歩兵……!

 わざわざ市民を挽き潰すために、あんなものを使うのか!?」


 ルウィスはただ、愕然とする。

 実際あれは、非武装の市民を虐殺するには過剰もいいところだ。


「まずいな……あんなものがうろついてたら、まともに動けん」


 護衛の騎士は、もう居ない。

 『あんなもの』に見つかり次第、三人と一匹は逃走すらできず速やかに死ぬだろう。


「さっきまで塔の上から魔法みたいなのが飛んでませんでした?

 あれ、使えないんですか?」

「定置魔弓の話か?

 この状況で防衛兵器を打ち込んでみろ、魔物一匹倒すまでに市民が五人は死ぬぞ!」


 あんな大きな標的なら、兵士たちが使っているマジカル☆機銃で撃ち抜けないかとアルテミシアは考えたのだが、ルウィスはそれを否定した。思ったより大雑把な攻撃らしい。


 ……常識的に考えるならば。


「一気に戦いを終わらせる方法、思いついたんですけど」

「なんだ?」

「定置魔弓をアリアさんに使わせるんです!」

「私!?」


 ジグソーパズルのピースが嵌まるような閃きだった。


「いきなり何の話だ!?」

「そうだよ、どうして私なの!?」

「ニャー!」

「アリアさんなら、味方や市民を避けて、敵だけを狙い撃てます!」

「無理無理、そんなの無理!

 だってあんなのやったことないし!」


 アリアンナは極めて常識的な反応をした。

 だが彼女は、生来のチート能力を持っている。

 『当たるように狙える』能力を。


 それを一から説明している暇は無いし、説明したところで理解してもらえるか分からない。

 過程をすっ飛ばして信じてもらうしかないのだ。


「アリアさんは射撃の天才です。狙いを付けて撃つもの全て、世界一上手く使えます!」

「どうしてそうなるの!」

「そういう人だからです!

 大丈夫です。アリアさんなら、できます」


 適当を言っているわけでも頭がおかしくなったわけでもないのだと訴えるつもりで、ひたすら真剣に、真摯に、アルテミシアはアリアンナの目を見て語りかけた。


 すると狼狽えていたアリアンナの目が、徐々に据わってきて、昂揚した表情に変わった。


「なんか……やれる気がしてきた。

 うん! 大丈夫、私は天才! あんな魔物、全部撃ち抜いちゃうんだから!」


 そして彼女は決意の握り拳で、豊満な胸をドンと叩く。


 ――この顔の力、もはや洗脳とか催眠術のレベルなのでは……?


 自分でやっておいてだが、アルテミシアはあまりの効き目に若干引いた。


「ただの思いつきではないんだな?」

「絶対です!」

「分かった、お前の策を信じよう。

 ……なるべく近いやぐらを目指す。護衛も無しで街壁を目指すよりは望みがありそうだ」


 苦肉の策だ、とでも言うようにルウィスが頷き、三人と一匹の行き先は変わった。


 * * *


 縦に長い家屋の壁に穴を開け、一階のキッチンに飛び込むなり、血のニオイがアルテミシアの鼻を殴打した。

 ジビエの解体ショーをしていたわけではない。解体されたのは家の主だ。

 飛び散った血はまだ赤く、横たわる死体も新鮮だった。


「魔物兵だ!」

「ギーッ!!」


 一仕事終えたばかりのゴブリン兵が、真っ赤に染まった剣を手にして振り返る。

 もちろん、そいつは新たに解体すべき獲物を見て、即座に襲いかかった。


「はああっ!」

「ギッ!」


 しかし、技・力・速度、その全てにおいてルウィスが勝っていた。

 既に剣を抜いていたルウィスは、己より小さなゴブリンを、逆袈裟に掬い上げるような一撃で切り捨てる!

 胸甲を避けて腹部を深く斬られたゴブリン兵は、己が殺した死体の上に、更なる血液をトッピングしながら転倒する。


「僕だってお父様の子だ、後れを取ってなるものか」


 ルウィスは鋭く剣を振り、血糊を払い飛ばした。


 だがそれで終わりではなかった。


「ギイイイ……」

「まだ向かって来るか!」


 ゴブリン兵が血を流しながらも起き上がり、剣を振り上げたのだ。

 これで倒したと思ってルウィスが油断していたなら一撃お見舞いできたかも知れないが、ルウィスはこれに即応し、振り上げられたゴブリン兵の腕に一閃! 切り落とす!


「グギャ!」


 さらに淀みない動作で、ゴブリン兵の胸甲に前蹴りを入れて、鍋やお玉を収めた棚に叩き込んだ。


「アアア! ギアアアアア! アアーッ!!」

「なんだと!?」


 だが、尚もゴブリンは咆えた!

 腹の傷からは血だけでなく臓物までこぼれはじめていたが、この小さな兵士は委細頓着せぬ!

 腕ごと取り落とした剣の代わりに、その場にあった包丁を残った手に握り、這いずるようにルウィスに向かってきた!


「これは一体……」

「おかしい! おかしいよ! なんであれで向かって来るの!?

 魔物は、苦しいとか怖いとか考えないの!?」

「違う……操られてるんだ……

 たぶん、戦えって命じられたから、死ぬか勝つまで戦うことしかできないんだ……」


 流石にこれは異常だとアルテミシアにも分かった。

 『悪魔』と呼ばれるあの男は、【魔物調伏】なるチートスキルを持つ。

 魔物を従わせるチート……命令に絶対服従させるという事なら、つまり、こうなる。


「……終わらせてやる」


 気迫は凄まじくとも、負傷によってゴブリン兵の動きは大きく鈍っていた。

 フラフラと振り回される包丁を、ルウィスは体捌きだけで容易に回避。そして、足払いで仰向けに転倒させると、喉目がけて剣を突き下ろした。

 ゴブリン兵はやっと、息絶えた。


「劣勢となれば真っ先に逃げ出すはずの、卑劣で臆病なゴブリンを、ここまでさせるか……」


 戦いの結果だけを見ればルウィスの圧勝だ。

 相手は取るに足らぬ、人間よりも膂力で劣るような、ゴブリンの一兵卒である。

 だと言うのにルウィスは、恐ろしいものを見たという様子で荒い息をついていた。


 アルテミシアもこの期に及んで、初めて魔物たちに同情し、雄一がどれほど残酷な真似をしているのか思い知る。


「グギ!」

「ギガガ!」

「グギガ!」


 そしてどうやら、のんきに感傷に浸っている場合ではなさそうだった。

 思えば今までアルテミシアが見てきた限り、ゴブリン兵は無抵抗の市民を殺すにも、数匹がかりで襲いかかって滅多刺しにする戦法を採っていた。集団行動する習性があるのだ。

 どうやら、この家に乗り込んだ連中もそうだったようで、二階や三階を探っていたらしいゴブリン兵たちが階下の騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。


「まだ居たのか!」

「壁を作ります!」


 家の構造を変えて、ゴブリンたちと自分たちの間を遮断しようと、アルテミシアは目論んだ。

 壁よ生まれろと、『ノームの左手の杖』を振るった。


 しかし何も起こらなかった。


「壊れた!?」

「魔力切れだ!」


 無防備に隙を晒したアルテミシアに、ゴブリンたちは襲いかかる。

 連携もクソも無い適当な攻撃だが、とにかく五匹同時だ。ルウィスはアルテミシアを庇って立つが、多勢に無勢。


 そこへルウィスと並び立つ者の姿があった。


「フゥウウウウウ……」

「ギルバート!?」

「マァーオ!」


 まるでシルクハットとタキシードを身につけたように、白黒に色付いた毛皮の猫が躍り出た。ずっとルウィスにくっついてきていた猫、ギルバートだ。

 彼は低く唸ると、蹴鞠の如く鋭く跳躍し、全く反応できていないゴブリンたちの間を飛び抜けざま、その前肢を振るう!


「ギガッ!」

「ギュイッ」


 恐るべき速度と、意外に過ぎる力強さだった。

 ゴブリン兵が二匹同時に喉笛を裂かれ、爪の軌跡が血飛沫を纏う!


「あれって……本当に猫……?」

「……じゃ、ないかも知れない……けれど、よくやったギルバート!」


 同時にルウィスも一匹を仕留めていた。

 後は二対二だ。結果は明白だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る