14 行軍の合間

「用事はすぐに済むのではなかったか?」

「うるっせえよ!」


 乗騎を墜とされて、魔力も吸いきられたログスは、領城まで歩いて帰ることになった。

 とうに日も落ちた頃に帰り着いたログスを、クオルは別に出迎える気などなかったが、丁度、城の廊下で擦れ違った。


「あいつ斧に何か仕込んでやがった。魔力を吸い取られて戦えなくなったんだ」

「敵の用意した仕掛けに、見事引っかかったわけか。経験と思慮が不足していたな」

「だからてめえは黙ってろ!」


 ちくりと皮肉っただけでログスは癇癪を起こしたように怒鳴り返した。

 そういう男だと先刻承知のクオルは、特に何の感想も抱かなかった。


「あんの赤毛女、次に遭ったら……通野とまとめてぶち殺してやる」

「赤い髪の……斧を使う女……?」


 だが、ふとクオルは、気がかりになる。


「まさかそいつ、左目が潰れていなかったか?」

「いいや? 目は二つともあったが?」

「……まあ、冒険者になっているはずもないか」


 いきなり何の話を始めたのか、ログスは全く理解できぬ様子だったが、クオルは特に説明する気は無かった。


「アタシの戦力は、領城の守りを残して東の領境封鎖に回してる。

 あんたにゃ遊撃として、防人部隊の残党を叩き潰してもらうよ。連中、立て直しに成功したらしい。おそらく明日にはサバロの街に入る」

「兵隊を寄越せ。数が足りねえ」


 クオルは、喉まで出た言葉を呑み込んだ。


 ――あんな使い方をしていれば、足りなくもなるだろう。


 ログスの戦い方には、用兵の『よ』の字すら無い。

 ただ魔物を突っ込ませて破壊させるだけだ。その間に自分が大暴れして、抵抗の要を潰していく。『魔封じの砦』を落とした時も、領城での戦いも、そうだった。

 実際それで戦果を上げているわけだが、引き換えに、兵の損耗は多い。


 クオルは少し考えて、仕方が無いと判断した。


「……いいだろう。だがこれはアタシの兵だ。

 兵の命は、信義の重さと心得よ」


 * * *


 翌朝。

 タジニ砦を発った防人部隊一行は、東の領境に近い都市・サバロへと向かっていた。

 暖かな日差しの下、騎士と兵たちが街道を行進していく。その歩みは雑然として不揃いだったが力強く、彼らの顔に悲壮感は無い。


「騎士の皆さん……歩くのっ……速すぎません!?」


 悲壮なのはむしろ同行する一般人だった。


 武具を身につけ、各々に荷物も持っている騎士や兵たちは、しかし想像以上に足が速かった。

 いくらなんでも手ぶらに近い状態の自分が遅れはしないだろう、というアルテミシアの甘い見通しは見事に裏切られた。


「軍人って、みんな、こう、ですかっ?」

「大丈夫っすよ……はーっ……俺も……結構、ふーっ、キツいっす……」


 息を切らせて歩きながらカルロスが言う。

 防人部隊を構成する騎士や専業兵たちと比べれば、徴用された農兵であるカルロスは装備も簡素だ。つまり他の者より荷物は軽いはずなのだが、だいぶくたびれた様子で歩いていた。


 一方、レベッカは鎧を着込み、体重より重そうな大斧を背負っているというのに、汗も掻かず涼しい顔で歩いていた。


「今、この部隊は民兵が居ないし、急ぎだものね。

 行軍速度の基準が精鋭なのよ」

「俺も居るっすよ!?」

「誤差扱いなんでしょ」

「とほほーい」


 喋る体力も温存して口数少なく、アルテミシアとカルロスは凡人同士、目と目で通じ合った。


「辛かったら馬車を返してもらって、あなたを乗せるわよ?」

「いや、それも……問題ありそうだし……」


 レベッカの馬車は防人部隊に又貸しされていた。

 物資を運ぶための馬車も馬も乏しい状態だったのだ。屋根の上にまで荷物が括り付けられた有様を思い返して、流石に自分がアレに乗るのは良くないだろうとアルテミシアは思う。


「じゃあ、おぶってあげよっか?」

「もうちょっと頑張る……」

「ポーションを使え」


 頭上から声が降ってくる。

 馬上のルウィスだ。彼は残り少ない騎馬を割り当てられていた。

 ルウィスがまたがる鞍の上には、当然のような顔をして、白黒の猫がタンデムしていた。


「意地を張るな、馬鹿。それは死に繋がるぞ」


 アルテミシアは、自ら調合したポーションを数本と、救急鞄を預けられていた。

 行軍中の体調不良者や、戦闘があった場合の負傷者に対処できるように、とのことだ。

 その中には行軍の助けになるようなポーションもある。それを飲めばアルテミシアは苦しみから解放されるだろうけれど……


「でもこれ、軍の預かり物みたいなものじゃ?」

「僕が許可すると言ったんだ。

 それは必要な出費で、お前の功績に応じた正当な処遇だ。まだ何か質問があるか?」

「いえ……ありがとうございます」


 遠慮の美徳など発揮していては本当に倒れそうなので、アルテミシアはありがたく、鞄に装填されたポーションを取り出した。

 体力強化スタミナポーション。疲労を回復させ、持久力を高めるという魔法薬だ。


 一口、二口と飲んでみると、全身の疲労感がポンと消えた。危険な薬ではないかと心配になるほどに。


「良かったら少し分けましょうか? カルロスさん」

「情けねえけど、貰えるならありがてえっす」

「アリアさんは大丈夫です?」

「もおお……良い子なんだから……

 私は平気。一日中畑仕事するよりは、ずっと楽よ」


 アルテミシアと同じく身軽なアリアンナは、平気そうだった。

 彼女の身体能力は常識の範囲内に見えるが、なかなか体力があるようだ。


 そんな何気ない会話を、レベッカが聞き咎めた。


「あら、アルテミシア。

 あなた、愛称を使うのが嫌ってわけじゃなかったのね」

「えっ? だってそれはアリアさんが、そう呼んでほしいって……」

「あなたの愛称は?

 もし無ければ決めるわ」

「強引!」

「長い名前で呼ぶのは、やっぱり距離を感じるじゃない」

「そういう文化圏なの?」


 通野拓人としての人生で付けられた渾名は、愛称よりも悪口の方が多かったので、渾名などまっぴら、普通に名前で呼んでくれれば良いと思っていた。

 しかしレベッカの流儀には反するらしい。


「『アリ』はどう?」

「それはちょっと……」

「可愛いと思うんだけど」


 異世界語でどういうニュアンスなのか、あまり理解できていないが、日本語ではもちろん『蟻』に通じる。

 呼び名としては悪口っぽい。レベッカにその気が無いとしても、元・日本人として少し気が引けた。


「アリアさんとも被るし」

「そっか……じゃあ『テミー』は?」

「それも個人的に別の物体のイメージが強くて、あんまり……」

「なら『ミーシャ』かしら」

「それなら……まあ……」


 何とも言い難かった。

 アルテミシアという名前すら、便宜的に付けられたものという感覚なのに、さらにその愛称を貰っても、どう反応すればいいやら。

 一つ思うのは、『ミーシャ』という呼び方が自分には似つかわしくないほど可愛らしいという事だ。


「うんうん! 素敵だと思う!

 私もこれからはそう呼ぶね!」


 元々の名付け親たるアリアンナもご満悦だ。


 少なくとも『ミーシャ』という呼び方は、嫌な名前だとは思わなかった。

 ただ、自分には似つかわしくないほど可愛らしいように思えた。愛称が付けられたことで、仮のものであったはずの『アルテミシア』なる名前すら、真に迫って感じられた。


 ――なんだ、この気持ち……


 何か、取り返しが付かないことをしていたような気分になって鼓動が早まる。

 言うなれば……奇妙な話ではあるが……アルテミシアは、今まで自分が『アルテミシア』と呼ばれていたことにようやく気づいた。

 それが自分の名前だと、そうだったのだと、理性的思考ではなく感覚で理解した。


 ――うひいいいいい!


 ねじくれた悲鳴を上げそうになって、アルテミシアは懸命に奥歯を噛んだ。


「どうしたの?」

「な、なんでも、ないです!」


 全身が熱いのか冷たいのかも分からなかった。

 手のひらが冷たく感じるのに、頭からは湯気が出ているような気分だ。


「えっと……わたしもレベッカさんを愛称で呼んだ方がいいんですか?」


 アルテミシアは質問で誤魔化す。


「違うでしょー。『お姉ちゃん』って呼んでよ、ミーシャ」


 笑顔の圧力を、アルテミシアは感じた。


「……お姉ちゃん」


 通野拓人には、疎遠になった兄二人しか居なかったので、誰かをお姉ちゃんと呼ぶのは初めてだった。


 レベッカはビジー状態のパソコンみたいに一瞬凍り付いて、それから蕩けるような笑顔でアルテミシアを軽々抱き上げ、一回転した。


「あああああ! もう本っ当に可愛い! 本っ当に最高!」

「むぐぐぐ」


 硬く平坦な鎧の胸部に抱きしめられながら、アルテミシアは、申し訳ないような居たたまれないような気持ちだった。


 ――本当にこの人どうしよう……絶対に人違いなんだけど、状況的に言い出せない……


 生き延びるため、彼女の協力が得られるのは、良い事だ。

 それは良い事だが、ちゃんとした形で頼んだ上でそうしたい。こんな勘違いに付け込む形ではなく。

 いつまでも勘違いしたままではいられないだろうけれど、どんなタイミングでどうバラせと言うのか。


「と、ところでお姉ちゃん。

 アリアさんに弓を教えたりってできる?」

「えっ? 私?」


 いきなり自分に話が飛んできて、アリアンナは目を丸くしていた。


「どうして急に?」

「……身を守る手段は、あった方がいいかなって。

 弓なら安全に敵を追い払うくらい、できそうだから」


 アルテミシアは、それっぽい理屈をくっつけた。


 この世界に来るに当たってアルテミシアは【チート看破】なる能力を授けられたわけだが、それによるとアリアンナは、【的射必中】なる力を秘めている。

 だが、本人はその才能に全く気付いていない様子だ。


 ひとまず気付かせてはおくべきだろうと、アルテミシアは考えた。

 それがアルテミシアの身を守るか、彼女自身の身を守るか、はたまた何の役にも立たないかは、まだ分からないが。

 とにかく使えるもの全て使って生き残るべき状況なのだ。ならば自分の傍らにあるチート能力を眠らせておくのは惜しい。


 それに、アリアンナにとっても悪い話ではないだろう。

 彼女曰く、百万人に一人という超常の才能。

 その才能に気づけば、彼女の人生は大きく変わるはずだ。


「弓はそんなに上手くないけど、一通りなら教えられるわ。

 本人の意思次第よ」

「お願いできるなら、教えてください。

 私……私を守るために誰かが犠牲になるのは、もう嫌なんです」


 アルテミシアの企みも知らず、アリアンナの考えは真っ直ぐで真剣だった。


「分かったわ。

 ……まず第一に教えるのは、武器の使い方を知っていても、守られる事はあるし、戦えば死ぬって事。

 その技は戦いを避けるために使いなさい。いいわね?」

「はい!」

「よろしい。なら、街に着いたらやってみましょうか」


 アリアンナは申し訳ないくらい素直に、アルテミシアの言葉を聞き入れ、弓を習うことを決めた。

 これまた騙すような形になったが、この場合は結果オーライだろうとアルテミシアは考えた。


「ちなみに、なんだけど……わたしに向いてる武器って、何かあると思う?」

「無いわ」


 護身用の武器くらい自分でも持てないか、と考えたアルテミシアの野望は二秒で打ち砕かれる。容赦がなさ過ぎてアルテミシアはちょっと萎れた。


「レベッカ。カルロス。

 ちょっと来い、お前たちに仕事だ」

「えっ? 俺もっすか?」


 そこへ、少し先行していたルウィスが馬首を巡らせ戻って来て、レベッカとカルロスに声を掛けた。

 妙な取り合わせの指名に、何事かと二人は顔を見合わせた。

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