蒼頡の言霊【第二部~華胥之国編~】

逸見マオ

序章

序之一


 慶長けいちょう16年(1611年)4月、二条城にじょうじょう


 静かな夜である。

 一人の大御所おおごしょの寝息が、すーすーとかすかな音を立て、夜闇よるやみの空気にれて消えていく。


────


 昔の夢である。

 ちょうど、十年と少し前の出来事。会津あいづ征伐せいばつ間近まぢかに迫っていた、夏のことである。

 暑気しょきの漂う息苦しい江戸城内で、夢の中の家康はひとり、していた。


 数日後には、秀忠ひでただが会津に行く。その二日後には、秀忠の後を追って、自身もいよいよ会津へと出陣する。手筈てはずは整っている。


 緊迫きんぱくした状況下の渦中かちゅう、会津に全神経を集中させていた家康にとって、夢の中に出てきたは、当時の大御所にとっては全くもって取るに足らない、些細ささいな出来事────。


(……あぁ……。そういえば……────)


 忘れていた記憶である。


 夢が、欠けていた当時の家康の小さな記憶を呼び戻し、この一夜の間だけは、あの頃の緊迫した状況下の合間あいまに彼がひとときだけ対面することとなった、あるの陰陽師とのわずかな一場面を、闇夜に染まる静寂せいじゃくな二条城内のとある寝所しんじょの一室で、若返った大御所の脳内に、今宵こよい鮮明に、再現し始めたのであった────。





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