【第2話】

 10分前のことである。



「ここがゲームファンタズマの本社ビル?」


「そうみたいですね」



 救命ボートを突っ走らせて陸地に辿り着いたユーシアたちが向かった先は、株式会社ゲームファンタズマの本社ビルである。

 数多くの背の高いビル群に紛れ込むようにして存在していたゲームファンタズマのビルは、見上げれば首が痛くなるほどの高さがある。これが全部会社なのだろうか、社員の数が凄いことになりそうなものである。


 あんな頭のイカれたパーティーを計画・実行するゲーム会社の本社ビルを見上げるユーシアは、



「ネアちゃんたち、大丈夫だって?」


「ファミレスのモーニングを食べさせているから大丈夫みたいですね。ネアちゃんもパンケーキでご満悦の様子です」



 リヴが「ほら」とユーシアに見せた写真は、スノウリリィから送られてきたパンケーキを頬張るネアの姿である。ペラペラのパンケーキは腹が膨れるのか不思議に思えてしまうが、値段が安いから商品本体の厚みもなくなるのだろうか。

 とはいえ、写真のネアは非常に満足そうである。満面の笑みでペラペラのパンケーキを頬張り、口元に生クリームや食べかすまでつけている始末だ。治安の良さも段違いだし、簡単に襲われることもないだろう。


 ユーシアは煙草型の【DOF】を口に咥えて、



「安全地帯にいるならいいかぁ。ユーリさんもいるし」


「そうですね。とっとと会長をぶっ殺して帰りますか」


「ネムノキさんだっけ? 俺、まだ日本語が上手くないからさ」


「あれは日本でも特殊な苗字ですよ」



 たくさんのスーツ姿の人間が出入りを繰り返す本社ビルの入り口に向かおうとしたところ、背後から日本語で呼び止められた。


 振り返ると、目に優しくない蛍光グリーンの上着を羽織った老人が汚れたトングを片手にユーシアを睨みつけていた。まだ何もしていないのだが、相手は怒っている様子である。心当たりはありすぎる。

 日本のニュース番組でユーシアとリヴのことについて特集でもされただろうか。そうだとしたら老い先短そうなこの老人を葬り去らなければならない。殺すことはやぶさかではないのだが、弾丸が無駄になるのが嫌すぎる。


 ところが、老人が怒っていたのは別の理由のようである。



『ここは禁煙だよ、煙草を吸うなら他所に行きな』


「え?」



 流暢な日本語が彼の口から語られ、ユーシアは思わず聞き返していた。


 日本語がまだ上手な訳ではないユーシアは、彼が何と言ったのか理解できていなかった。威嚇するようにカチカチとトングを鳴らしてくるので、攻撃対象にでも選ばれてしまったか。

 何ということだろう、日本はこんな老人でも異能力に目を輝かせて【DOF】に手を出してしまうのか。何とも阿呆なことをするものである、自ら寿命を縮めるような真似をするとは可哀想なものだ。


 困惑気味に首を傾げるユーシアに、リヴが口元の煙草を指差して言う。



「ここは禁煙ですって」


「え、道端で煙草を吸っちゃいけないの?」


「喫煙所はありますからね。治安の悪い場所ならともかく、ゴミが全く落ちていなさそうな都会のど真ん中で煙草を吸うような真似は止めた方がいいかと」



 生粋の日本人で日本語も分かるリヴに指摘され、ユーシアは仕方なしに咥えていた煙草を箱にしまう。【DOF】なのに煙草のような扱いに見られるのは逆に面白かったが、海外製の煙草だと言い張れば通りそうだ。

 老人はトングをカチカチと鳴らす威嚇行為を止め、足を引き摺りながら歩き去った。リヴの指摘通り、老人が目をつけていたのは煙草だけの様子である。規則に厳しい日本である。


 歩き去っていく老人の背中を見送るユーシアは、



「よく注意できるね、人殺しなのに」


「見た目だけでは分かりませんよ、シア先輩は。ただの草臥くたびれたミュージシャンかと」


「ええー?」



 ユーシアは自分の格好を見返してみるが、人殺しに見えない理由が皆目見当もつかない。おそらくライフルケースが「楽器でも入れているのだろう」程度の認識をされるようだ。

 日常風景に溶け込むことが出来るのは誇るべきだろう。ただ、ほんの少しだけ「俺そんなに怖い風に見られないのか」と落ち込む。


 頭を抱えたユーシアは、



「泣きたいな」


「涙の数だけ強くなれますよ」


「どこの歌詞よ」



 そんな言葉を交わし、ユーシアとリヴは株式会社ゲームファンタズマの本社ビルに足を踏み入れるのだった。



 ☆



 さすが大企業ということもあり、玄関ホールが非常に広い。



「あ、スターキーがあるんだ」


「本当ですね」



 広々とした玄関ホールの隅にあるコーヒーチェーン店にユーシアとリヴは反応を示す。


 スターキラーコーヒーと呼ばれるチェーン店は、コーヒーやその他の甘い飲み物を提供することで米国でも有名だった。根城にしていた米国の地方都市にも何店かあり、ユーシアもよくコーヒーを注文したものである。

 規模は小さいが仕事を出来るスペースもあるようで、スーツ姿の男女がパソコンに向かっている姿が散見される。携帯電話で会話しながらパソコンのキーを叩いていく姿は、働き者の日本人らしい。



「いいなぁ、帰りに寄っていい?」


「いいですよ。僕も甘いの飲みたいです」


「あ、しまった。現金ないや」


「秘書の財布から盗めば良くないですか? あと会長の財布にありそうですし」


「金持ちが現金なんか持ち歩くかなぁ。今はキャッシュレスの時代だから、クレジットカードをよく利用しそうだけど」


「日本は未だに現金だけしか使えない店舗が多いんですよ」



 そういうものなのだろうか、日本の状況がよく分からない。

 まあ、現金が手に入るなら何でもいい。クレジットカードやアプリ決済でもいいのだが、ユーシアやリヴはクレジットカードを持っていないしアプリ決済もやっていない。本人確認とか個人情報とかうるさいので、足のつかない現金が好ましいのだ。


 確かに日本円は複製が難しいことで有名だから、現金での取引が成立するのか。もはや変態的な職人芸である。



「さて、どうやって行けばいいかな」


「まずは出社しているかどうか確かめましょう」



 リヴが示した先にあったのは、ゲームファンタズマ社の受付である。

 見栄えを重視して綺麗に化粧までした受付嬢たちが、来訪者を相手に笑顔を振り撒いている。どこかに電話をかける素振りも見せるので、あれで在籍しているか確認しているのか。


 ユーシアは受付に近づき、



「こんにちは」


「いらっしゃいませ、どのようなご用件でしょうか?」


「わお、英語が上手いね」


「恐れ入ります」



 受付嬢は滑らかな英語でユーシアとリヴに応じてくれた。しかも態度まで謙遜している。同じ日本人でもリヴとは大違いだ。

 いや、正直なところ反射的に褒めてしまったが職務中のナンパに当たらないだろうか。相手を勘違いさせてしまうなんて悪い癖である、育ての父親がイタリア人だったからか。


 ユーシアはナンパめいた発言を胸中で反省して、



「会長のネムノキ・ソウジロウさんはいる?」


「出社されていると思いますが」


「出来れば取り継いでもらいたいんだ。ああ、ごめんね。会長とは特に約束はしていないんだけど、急ぎで会いたくて」



 警戒心を見せる受付嬢に、ユーシアは砂色のコートから取り出した名刺を見せる。

 日本へやってきた際に、会長の秘書を名乗る男からもらったものだ。これなら信憑性は高いだろう。


 名刺を受け取った受付嬢に、ユーシアは言う。



「会長秘書のミヤビ・クロオミさんでもいいよ。彼なら俺たちのことを知ってると思うから」


「かしこまりました」



 受付嬢は電話の受話器を手に取ると、



「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


「ユーシア・レゾナントールとリヴ・オーリオです」


「少々お待ちください」



 受付嬢はそのままどこかに電話をかけ始める。口振りからすると、会長秘書のミヤビ・クロオミのところだろうか。

 警戒心がないのか、名刺が警戒心を解く鍵なのか不明である。まだ日本の文化に不慣れなので、この対応で正しいのか自信がない。


 ユーシアは背中にピッタリと隠れる真っ黒てるてる坊主に振り返り、



「何で隠れてるの」


「真っ黒なレインコートを身につけた野郎なんて不審者極まりないじゃないですか。1発で通報されて警備員と格闘する羽目になりますよ」


「じゃあ脱ぎなよ」


「僕のアイデンティティを奪うつもりですか!?」



 レインコートに対して変なこだわりを見せるリヴに、ユーシアはやれやれと肩を竦めるのだった。

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