【第10話】

 彼らは知らない。

 船に爆薬が積み込まれており、7日後には爆発することを。


 彼らは知らない。

 その爆薬にはすでに細工が仕掛けられており、爆発間近であることを。


 彼らは知らない。

 その爆薬に細工を施した犯人たちは、すでに豪華客船から脱出したことを。


 ――彼らは、何も知らないのだ。



 カチッ。



 ☆



 紺碧の空をパッと明るく照らす強烈な光と、海面を舐めるように駆け抜けていく紅蓮の炎。

 飛び散る豪華客船の部品は海面を漂い、真っ二つに折れた豪華客船はゆっくりと海の中に沈んでいく。ポロポロと何か小さなものが海面めがけて飛び込んでいくが、あれは豪華客船に乗っていた【OD】たちだろうか。あの爆発に巻き込まれながらも生きているとは運がいい。


 真っ暗な海の上を漂う救助用のボートに乗りながら、ユーシアは燃えて消えていく豪華客船を眺めて「あーあ」と呟く。



「結構いい船だと思うんだけどなぁ」


「ちゃんとすれば設備も十分だったかと思いますよ。あんな豪華な内装、漫画でしか見たことないです」


「俺も映画でしか見たことないかな」



 ショッピングモールやプール、カジノなども完備した豪華客船が海の底に沈んでいく様を眺めるのは多少の罪悪感はある。【OD】を乗せて出航なんてしなければ、きっと大勢の一般人を乗せて本当の優雅なクルーズ旅に出ることがあったかもしれないのだ。船の気持ちを考えると可哀想なことに巻き込まれたものである。

 まあ、すでに時は遅い。豪華客船は真ん中から2つに折れるとずぶずぶと黒い海に沈んでいく。ギィギィ、という軋む音は豪華客船の悲鳴だろうか。野太い絶叫がいくつも夜空に響き渡るのは、運良く生き残っていた【OD】が海に放り出された証拠である。


 ユーシアは沈みゆく豪華客船から視線を外し、



「じゃあ行こうか」


「はい」



 リヴは救助用ボートに取り付けたモーターの電源を入れる。モーターは問題なく作動し、ゆっくりと夜の海を進み始めた。


 豪華客船に乗った初日から爆薬には細工を施し、3日目ぐらいで爆破するようにしたのだ。もちろんリヴが取り付けた遠隔操作用の装置で簡単に操ることが出来るので、ボタン1つで爆破が可能だ。爆薬作成まで出来てしまうとは、ユーシアの相棒も有能なものである。

 脱出した頃合いを見計らって遠隔操作の仕掛けに信号を送った途端にこれである。凄まじい爆発でユーシアもリヴも清々しい気分だ。花火大会にも勝るエンタメである。


 ユーシアは煙草の形をした【DOF】に火を灯しながら、



「そういやネアちゃんたちは平気?」


「落としていませんよ」



 リヴがレインコートの袖を振ると、救助用ボートの重量が途端に増える。

 出現したのはネア、スノウリリィ、ユーリカ、シロの4人である。全員揃って急に変わった景色に目を白黒させている様子だった。


 触れたものを親指サイズに縮めることが出来るリヴの異能力によって、彼らはここまで運び込まれたのだ。リヴに運んで貰えば安心安全である。多少の揺れはご愛嬌だ。



「え、何? 豪華客船は?」


「木っ端微塵に弾け飛びましたよ」



 寝起きの目を擦るユーリカに、リヴは今まさに海の底へ沈もうとしている豪華客船を示す。


 その様を目撃したネアは瞳を輝かせて「すごーい!!」と称賛の言葉を送り、スノウリリィは逆に顔を青褪めさせていた。最初から豪華客船に積まれていた爆弾を起動させただけに過ぎないので弁償もクソもない。ユーシアやリヴに請求が来るようなことは一切ないのだ。

 シロはこんな状況でも寝ることが出来るのか、燃える豪華客船を一瞥したあとにネアの腰にしがみついて眠り始めてしまった。随分と太い神経をお持ちのようである。


 ユーシアは欠伸をし、



「夜明けまでには海岸に着くかな」


「それほど離れていますかね。方向感覚が狂いますが」


「地図とかコンパスはあるの?」


「コンパスで方向は確認しています。到着する場所を指定しなければ問題ないですね」



 リヴはモーターの方向を器用に調整しながら、手のひらに握り込んだ小さなコンパスの針に視線を落とす。くるくると東西南北を示す盤面の上を小さな針が回り、ユーシアたちを陸地に案内しようとしていた。

 時刻も夜中だろう。脱出する時に携帯電話で時間を確認したら23時55分とか言っていた。そうなるとすでに深夜0時を過ぎ去っており、1時ぐらいにはなっていそうな頃合いだ。


 何もない夜の海をぼんやりと眺めていたユーシアだが、



「?」



 ぱしゃん、という水を打つ音が聞こえた。


 ユーシアは砂色のコートに手を突っ込み、自動拳銃を引き抜く。弾倉にはまだ十分すぎる銃弾が詰め込まれていた。海の中で眠らされれば、さすがに相手も海の底に沈んで死ぬことだろう。

 豪華客船に乗っていた【OD】の誰かが、救助用ボートに乗って脱出したユーシアたちの存在を嗅ぎつけたのか。そうなったら応戦するまでである。救助用ボートという不安定な足場での射撃は慣れないが、当てる自信はある。


 暗い海に銃口を向けると同時に、救助用ボートへ濡れた手がかけられる。どこかボロボロの手だ。



「このッ、悪党ども……!!」



 救助用ボートにしがみついたのはポチだった。濡れた前髪の向こう側から覗く落ち窪んだ瞳が、ユーシアとリヴを睨みつけている。

 魔法のオクスリに漬けてやったというのに、まだ正気を取り戻すとはしぶとい奴である。さすがラプンツェルの【OD】と言うべきなのだろうか。


 ポチは飲み込んだらしい海水を吐き出しながら、



「殺してやる、お前ら全員殺してやる」


「状況が悪いのはそっちなのに?」



 ユーシアはポチの眉間に自動拳銃を押し付けると、



「ラプンツェルの異能力は怪我しか治せないからね。お前さんにとって、俺の異能力はむしろ鬼門じゃないかな」



 ラプンツェル【OD】は怪我を治すことが出来るので、ほぼ不死身と有名だ。致命傷になるか、昏睡させられれば高い治癒能力も無意味に終わる。

 幸いか不幸なことか、ユーシアは撃った相手を眠らせる異能力を獲得した眠り姫の【OD】である。撃った相手はどれほど心臓や脳幹を狙おうと傷つくことなく、痛みさえなく永遠の眠りをお届けできる。それはラプンツェルの高い治癒能力さえなかったことに出来るのだ。


 ポチは引き裂くように笑うと、



「やってみろよ、クソ野郎。もう任務に失敗したから、組織に始末されるのがオチだ」



 そう言って取り出したものは、何かの装置である。アンテナのようなものが取り付けられ、リモコンみたいな形の中心にはボタンが押してくださいと言わんばかりに存在を主張していた。

 爆薬のリモコンのように見えるが、肝心の爆発する物体が見当たらない。そこはかとなく嫌な予感しかしない。


 ポチはボタンに指を当てて、



「任務に失敗した時、自爆する為の小型爆弾を飲み込んでるんだ。このボタンを押せばお前ら諸共爆発に巻き込まれて」


「あっそう」



 ユーシアは冷めた目でポチを見下ろし、



「じゃあ俺が殺そうがお前さんが自殺しようが関係ないね」



 自動拳銃の引き金を引く。


 銃口から放たれた弾丸がポチの眉間を射抜き、ゆっくりとポチの身体が海の中に沈んでいく。溺死体として浮かび上がってくるか、最悪の場合だと鮫の餌にでもなって終わりである。小型爆弾を飲み込んでいると言っていたが、どうぞ好きに爆発するがいい。

 暗い海の底に沈む本名すら知らない少年を見送り、ユーシアは自動拳銃を砂色のコートの下にしまい込んだ。海の底に沈めば目覚めのキスさえも出来ないので嬉しいことだ。せいぜいそのまま死んでくれ。


 ユーシアはリヴを見やり、



「リヴ君も身体に爆弾が仕込まれているとかないよね?」


「そんな手法をやっているのは落ちこぼれだけです。僕は完璧にやっていたから心配ないですよ」



 リヴは海の底に沈んでいく同業者を鼻で笑い飛ばし、モーターの出力を上げる。豪華客船はいつのまにか海の上から消えていた。

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