【第9話】

 鍵が示す場所は5階の倉庫らしい。



「何て面倒な場所にあるんだか」


「台車でも借りてくればよかったですかね」



 ユーシアとリヴは小刻みに震えるポチを引きずりながら、豪華客船の5階を彷徨っていた。


 ユーリカによる魔法のお薬の実験が堪えたのか、ポチの瞳は焦点が合っておらずガタガタと震えるばかりである。口の端から泡立った涎が溢れ、豪華客船に敷かれたふかふかな絨毯に小さなシミを作り出す。

 怪我を治すことが出来るラプンツェルの【OD】でも、さすがに耐えられなかったようである。組織の人間が聞いて呆れる頑丈さだ。


 煙草型の【DOF】を吹かしながらポチの髪を掴んで引きずるユーシアは、



「それにしてもさ」


「はい」


「この子、本当にリヴ君と同じ組織の人間なの? 優秀じゃないじゃん」


「おそらく相当優秀な諜報官でしょうが、僕には劣りますね。それほどアンタの相棒は優秀な人間なんですよ」


「凄いな、日本人って謙遜を美徳とする奥ゆかしい人間だって聞いたけど堂々と自慢してきた」



 ポチはリヴと同じ組織に所属している人間だが、リヴと比べてしまうと有能さは劣る。【OD】としての異能力も触れたものを親指サイズに縮めることが出来るリヴと違って、ポチは歌ったら怪我が治るだけの異能力だ。歌わせることが出来なければ【OD】としての異能力も適用されない。

 致命傷を負わない限りは不死身の存在とも呼べるだろうが、深夜12時になったら身体の状態がリセットされて死亡さえもなかったことにされるシンデレラの【OD】と比べると、やはり中途半端な存在であることには変わりない。所詮はその程度である。


 さて、問題の5階倉庫の場所だが、



「地図に載ってないね」


「隠し部屋を載せたら終わりですからね。僕らのように正気のある【OD】に狙われますよ」



 5階の案内図を確認するのだが、倉庫の場所が見当たらない。

 ユーシアとリヴのように正気を保っている【OD】は稀だが、確かにその通りである。正気を保っている【OD】に襲撃されかねない。いくら組織の人間でも、複数人を相手にたった1人で挑むのはリスクが高い。


 ユーシアは髪を掴んで引き摺り回していたポチを爪先で蹴飛ばすと、



「ほら、どこにあるの」


「あ゛あー?」


「あー、じゃないんだよ。どうせ薬物にも耐性はあるでしょ、リヴ君とか凄い慣らされてるんだから」



 すでにユーシアの基準値がリヴという優秀な相棒に設定されており、同じ組織にいるのだから出来て当然だと思っている。リヴも高い毒耐性を持っているので、ポチも同じようなことが出来ると思ったのに所詮は雑魚のようだ。

 焦点の合わない目を周囲に彷徨わせ、ポチは頭をゆらゆらと揺らす。それが何とも楽しいのか、子供のように「えへへはへへへへ」と意味もなく笑っていた。どうやら完全に壊れてしまったらしい。


 リヴはレインコートの袖から自動拳銃を滑り落とす。慣れた手つきで安全装置を解除すると、その銃口をポチの眉間に向けた。



「殺した方が早いですね」


「利用価値があるんじゃないの」


「シア先輩が【OD】の異能力を解除するところが見たかったので、別に生かす理由はないです」


「やっぱり楽しんでたのか、このクソ野郎」



 悪態を吐くユーシアはとりあえず何かないかと廊下の奥に視線をやり、



「――――」



 そして呼吸が止まりかけた。


 廊下の奥に佇む少女。それはまるでおとぎの世界に迷い込んできた主人公のようである。

 透き通るような金髪に青色の瞳、可愛らしい顔立ちには引き裂くような笑みが乗せられる。水色のワンピースにエプロンドレス、頭で揺れるのは兎の耳を思わせる黒いリボンだ。その手に持っているのは身の丈を越えるティースプーンで、先端から血が滴り落ちる。


 アリス。

 不思議の国のアリスだ。



「ありす、ありす……」


「シア先輩」



 譫言うわごとのように「アリス」と繰り返すユーシアの手を引いたリヴが、



「アンタの中にいたアリスは死にました。あのアリスはまた別です」


「だとしても」



 ユーシアはライフルケースを足元に落とすと、金具を蹴飛ばして蓋を開ける。使い古されたライフルケースの中に横たわっていた純白の狙撃銃を拾い上げ、弾丸を装填して構えた。

 照準器など必要ない。廊下が真っ直ぐなら弾丸は確実に少女の眉間を射抜く。簡単なことだろう、的当てのようなものだ。


 リヴはやれやれとばかりに肩を竦め、



「そんなことだろうと思いました」


「殺すよ、俺は。何度でも」


「お供しますよ、シア先輩」



 レインコートのフードの下で笑うリヴは、



「かつて英雄と呼ばれたアンタが僕と一緒に地獄に落ちるなんて、最高じゃないですか」



 廊下の奥に佇んでいたアリスの【OD】が駆け出す。

 その可憐な見た目にそぐわない身体能力の高さだった。血に濡れたティースプーンを振り上げて、目を血走らせた彼女はユーシアを狙う。


 振り翳されたティースプーンをじっと見据えたまま、ユーシアは引き金を引く。タァン、という銃声が耳朶に触れた。



「?」



 アリスの【OD】が振り上げるティースプーンに、ユーシアが撃った弾丸が当たる。

 寸分の狂いもなくぶち当たった影響で振り下ろされようとしていたティースプーンの軌道が逸れ、アリスの【OD】は衝撃で痺れる手をじっと見つめていた。何が起きたのか分かっていない反応である。


 ユーシアは手早く排莢し、新たな弾丸を装填する。次の弾丸でアリスの【OD】を殺す為に狙いを定めるのだが、



「あ」


「きひひひ」



 アリスが不気味な笑い声を漏らして、ユーシアに肉薄する。


 迫り来る少女の血に濡れた手、引き裂くような笑みが目前まで。

 あとほんの数センチで少女の手がユーシアの喉笛を引き裂く。死までの時間が妙にスローモーションに見えたのだ。


 その後ろに、幽霊の如く現れた真っ黒いてるてる坊主がいなかったらユーシアは死んでいたことだろう。



「後ろを疎かにしないことです、ね!!」



 リヴが振り上げた軍用ナイフを、アリスの【OD】の肩めがけて突き刺す。

 呆気なく大振りなナイフの刃が少女の肩口を貫通し、血潮を吹き散らして耳障りな悲鳴を鼓膜に突き刺してくる。アリスの【OD】でも痛がることはあるようだ。


 2本目のナイフを構えるリヴから逃げるように、アリスの【OD】は壁を足場にして三角跳びでリヴの背後に回る。ナイフが突き刺さる肩を押さえた彼女は標的をリヴに移すのだが、



「こっちを見なよ、アリス」



 アリスの【OD】が振り返る。


 彼女が見たものは何だっただろうか。

 嘲笑う真っ黒なてるてる坊主だろうか。それとも純白の狙撃銃を構えるユーシアの姿だろうか。


 いずれにせよ、彼女はここで死ぬのだ。



「死ね」



 シンプルな殺意を吐き捨てると共に、ユーシアは引き金を引く。


 銃声が響き渡ると同時に銃口から放たれた弾丸が、寸分の狂いもなくアリスの【OD】の眉間を射抜く。眉間をぶっ叩かれたアリスの【OD】は身を仰け反らせると、廊下に仰向けで倒れて動かなくなってしまった。

 彼女の身体には傷跡1つない綺麗なものだ。ユーシアの獲得した眠り姫の異能力は相手を永遠の安眠へと誘う代わりに、銃弾で傷つけることが出来ない。狙撃手としては致命的ではある。


 純白の狙撃銃を下ろしたユーシアは、



「ん」


「どうかしましたか?」


「向こうに扉があるね」



 廊下の最も奥に、扉がひっそりと存在していることを発見する。真っ先に見つけてしまったのがアリスの【OD】だったので、完全に見落としていたのだ。

 扉の位置は5階の案内図に表示されておらず、あそこが倉庫に当たるようだ。意外と早めに見つかってよかった。


 ユーシアは純白の狙撃銃をライフルケースにしまうと、



「ポチを引きずるのはリヴ君がやってよ、俺もう疲れた」


「非力ですねぇ」


「俺、狙撃銃より重たいものを持ったことないんだよね」



 ポチを引きずる役目をリヴに押し付け、ユーシアは廊下の奥で待ち受ける倉庫に向かうのだった。

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