【第7話】

 疲れた身体を引きずるようにして客室まで戻ってきた。



「うー……頭が重い……」



 ユーシアはベッドにうつ伏せで倒れ込み、まだぼんやりとする頭を押さえる。

 思考回路が上手くまとまらない。【DOF】を摂取し忘れたことが原因だろう。まるで寝不足の状態になったようである。


 枕を抱き込むユーシアに、ネアが頭を撫でながら「だいじょーぶ?」と心配してくれる。優しい少女だ。



「しばらく寝たらどうにかなると思うし、平気だよ」


「じゃあねあ、しずかにしてるね」


「そうしてくれると助かるかな」



 ネアの頬を力なく撫でたユーシアは、そのまま瞳を閉じる。眠気がすぐに訪れてユーシアの意識を深淵まで引き摺り込むまで、それほど時間はかからなかった。



 ☆



 客室に戻ったら、相棒のユーシアがいびきも掻かずに眠っていた。


 普段から生きているのか死んでいるのか疑問に思えるほど静かに眠るユーシアだが、今日はいつにも増して静かである。呼吸をしているのか不安になって薄い唇に手を添えると、ちゃんと呼吸はしている様子だった。

 枕を抱き込んで眠る姿はまるで子供のようだが、表情に疲れのようなものが滲んでいる。この【OD】だらけの豪華客船で彼なりに気を張っていたからか、疲労が上手く解消されなかったのか。


 リヴはちゃんとユーシアが生きていることを確認してから、



「じゃあ僕だけで救命艇を探します。ネアちゃん、すみませんがシア先輩を見ていてくれますか?」


「うん、まかせて」



 ネアは自信満々に胸を張り、それからリヴの要求通りに眠るユーシアをじっと見つめていた。観察されると寝にくいのか、ユーシアの眉間に皺が寄せられる。

 さすがにそれではユーシアにも安眠は訪れないので、ネアをユーシアが眠るベッドに座らせて彼女の手をユーシアの頭にセットする。リヴにされるがままの状態にされていたネアは不思議そうに首を傾げていた。


 リヴは真剣な表情でネアの肩を叩き、



「いいですか、ネアちゃん。シア先輩はお疲れなんです」


「うん」


「なので優しく頭をなでなでしてあげてください」


「わかった」



 ネアもまた真剣に頷き、リヴの言いつけを守ってユーシアの頭を撫でる。その手つきが心地いいのか、眉間に寄っていた皺もなくなった。


 あどけない表情で眠るユーシアの姿を再確認してから、リヴは「じゃ」とあっさりした挨拶を残して客室を飛び出す。目的は救命艇の捜索と、この豪華客船からの脱出である。

 このまま6日後にはドカンと大爆発で海の藻屑になるのは、リヴだって御免である。ユーシアと心中するには最適な海の旅かもしれないが、まだ彼と生きていたい気持ちはあるのだ。



「まずは船を操る部屋に行ってみるのが妥当でしょうか。そこに救命艇とか隠されていれば」



 豪華客船を操縦する部屋を目指すかと判断するリヴの背筋に、冷たいものが伝い落ちる。汗ではなく、殺気のようなものだ。


 反射的に膝を折れば、頭上を鈍色の投げナイフが通過していった。

 投げナイフは誰も傷つけることなく廊下の壁に突き刺さって止まった。もし膝を折るタイミングが遅ければ、リヴの後頭部に投げナイフが突き刺さっていたかもしれない。


 レインコートの袖から自動拳銃と大振りの軍用ナイフを滑り落とし、リヴは背後を振り返る。



「やっぱり死なないかあ」


「ポチ……」



 数本の投げナイフで手持ち無沙汰にジャグリングなんかを披露するのは、ユーシアとリヴが昨日見つけた黒幕と繋がっている少年のポチである。今朝になって拘束を解き、自力で監禁していた部屋から脱出したどこからどう見ても怪しいと感じられるクソ駄犬である。

 黒幕と繋がっていることを理由にユーシアが殺すのを渋っていたが、この場にユーシアの存在はいない。リヴの殺意を止めるストッパーは夢の中である。


 リヴは自動拳銃の銃口をポチに向けると、



「救命艇のある場所はご存知のようでしょうが、僕は吐くまで待つつもりはありませんよ。アンタを殺します」


「出来るの、織部理央おりぶりお



 ポチの口から滑り出てきたのは、死人の名前である。


 それはリヴの本当の名前だ。諜報官として所属していた組織で名乗っていた名前で、組織を出奔する際に拳銃自殺と見せかけて捨ててきた名前である。

 その名前を知っているということは、ポチはリヴが元所属していた組織の1人か。こうしてリヴの目の前に現れたということは、リヴを殺しに来たのか。


 リヴは挑発するように笑うと、



「僕の名前を知ってるってことは、最初から狙いは僕ですか?」


「まさか、そんな訳ないでしょ。上層部と依頼人が仲良しだから都合がよかったんだよ」



 投げナイフでジャグリングを披露していたポチは、虚空に放って遊んでいた投げナイフを全て掴み取る。指の間に挟んでナイフを持つポチは、



「でもお前は厄介だな、7日を待たずにここで死んでもらった方がいいかも」


「先輩は敬った方がいいんじゃないですか? 抜けたとはいえ、僕は組織では優秀でしたんで」



 リヴはそう言って、レインコートの袖から注射器を滑り落とす。【DOF】が揺れる注射器を首筋に突き刺して、その中身を注入した。

 空っぽになった注射器を足元に叩きつけると同時に、親指姫の【OD】として異能力を発動。視界が一気に低くなり、ポチの顔よりもまず先に認識できたのが絨毯の敷かれた床である。


 軽やかに地面を蹴飛ばしてポチの背後に周り、異能力を解除。元の身長に戻って、手にした軍用ナイフを振り上げる。



「1人だと何でも出来ると思ってるのが大間違いなんじゃないですかぁ?」



 こちらを振り返って笑ったポチが、リヴの振り翳した軍用ナイフを蹴り上げる。


 蹴り上げられた拍子に軍用ナイフが吹き飛び、天井に突き刺さって揺れていた。あれを外すのは相当苦労しそうである。

 舌打ちをして自動拳銃を構えるリヴの目の前に、ポチが投擲したナイフが迫る。明らかに眼球を狙った軌道だ。もう少しで切っ先がリヴの網膜を傷つける。


 寸前で首を逸らすと、ナイフがリヴの頬を掠めてレインコートのフードを無理やり引き剥がしていく。レインコートからリヴの頭部を守っていたフードが千切れて壁に縫い止められてしまった。



「ちぇ、もう少しで目を潰せたと思ったのに」


「残念ですが、あのフードは着脱が出来るんですよクソが死ね」



 リヴが自動拳銃の引き金を引くも、ポチは投げナイフを使って弾丸を逸らしてくる。飛んでいった弾丸はあらぬ方向に弾かれて、壁を抉るだけに留めた。

 腐ってもあの組織に属するだけの身体能力はある。生意気な口は歓迎できないが、彼も優秀な諜報官として活躍できるだけのスキルは持っているということか。


 面白い、殺し甲斐がありそうだ。



「いいですね、最高だノってきた!!」


「うわそれで興奮するとか最悪だわ、感性死んでるの?」


「元からですよ!!」



 リヴは再び注射器を首筋に突き刺して【DOF】を注入し、異能力を発動する。


 ポチの前から幽霊の如く姿を消すと、彼の背後に出現する。驚くポチの背中に、リヴはレインコートの袖から滑り落としたメスでポチの肩甲骨を刺した。

 衣服を容易く突き抜け、その先に潜む柔らかな肉を抉る。硬い感触は骨まで傷付けただろうか。どのみち痛みでまともに動けなくなるのは必須である。


 ポチの口から聞こえてくる無様な悲鳴に、リヴは「あはははは」と笑い飛ばす。先程までの余裕ぶった態度が瓦解して、情けない悲鳴がリヴの気持ちを高揚させる。



「無様ですねぇ、ほらもっと聞かせてくださいよ悲鳴を豚のように泣けや!!」


「くう……ッ」



 ポチは悔しそうな表情を見せると、



「――――♪」


「は?」



 唐突に歌い始めたのだ。


 歌詞もない、ハミングのようなもの。でもそれは確かに歌と呼べる代物である。

 ポチの背中に刻み込んだはずの傷跡が、歌と同時に見る間に再生されていくのだ。あれはもしかしないでも【OD】の異能力――それも塔の上のラプンツェルである。歌えば怪我が治る厄介な異能力だ。


 勝利を確信して口の端を吊り上げるポチだが、



「うるさいな、静かにしてよね」


「ぎゃッ」



 側頭部に銃弾を受け、ポチは撃たれた衝撃でうつ伏せに倒れ込む。

 ただしどこかに怪我をしている雰囲気は見えず、すやすやと眠りこけていた。これは間違いなく【OD】の異能力である。


 顔を上げると、客室から僅かに顔を覗かせて純白の狙撃銃を構える相棒が立っていた。



「リヴ君、戦うならもう少し静かにやってよ」


「うるさいのはポチだけですよ、僕はうるさくないでしょう」



 悪態を吐くユーシアに、リヴは足元で眠りこけるポチの頭を踏みつけながら応じるのだった。

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