【第6話】

「間男がああああああああッ!!」



 赤鬼と化した巨漢が、手近にあったテーブルをリヴめがけてぶん投げてくる。


 チェーンソーを装備したリヴは投げつけられたテーブルを叩き切ると、首筋に注射器を突き刺した。シリンダー内で揺れる透明な【DOF】を体内に注入すると同時に、その姿がまるで幽霊のように掻き消える。

 目を剥いて驚きを露わにする赤鬼。血走った目で周囲を見渡すも、目当ての人物は見つからない。


 何故なら、彼はすでに後ろへ立っていたのだから。



「鬼退治です」


「ぎゃあッ!!」



 リヴがチェーンソーで相手の背中を切りつける。


 悲鳴を上げる赤鬼。背中を切りつけられたことで血潮が噴き出るのだが、被害はそれだけだ。

 あの巨躯だから頑丈さも折り紙付きのようである。厄介な相手が敵として立ちはだかったものである。


 ユーシアは純白の狙撃銃の照準器スコープを覗き込み、



「リヴ君、避けなきゃ眠らせるからね」


「遠慮なくどうぞ、アンタのキスで目覚めることが出来れば本望です」


「絶対にやらないって言ったじゃん」



 すると赤鬼がリヴの言葉に反応を示し、



「何ィッ!? 眠ったらそこの美人に優しくキスをしてもらいながら起きれるって!?」


「誰がアンタにやるものですか死ねデカブツ」


「ぎゃああ!?」



 赤鬼の首筋めがけてチェーンソーを振り下ろすリヴだが、やはり表情は晴れない。赤鬼の首にチェーンソーを叩きつけてもなお首さえ取れないのだから、頑丈にも程がある。

 やはり【OD】は頭のおかしな存在である。絶賛起動中のチェーンソーで急所をガリガリと切られても多少の血が噴き出るだけで、肉が千切れ飛ぶことはないのだ。そんな超人など冗談ではない。


 赤鬼は切られたばかりの首筋を押さえると、血塗れとなったチェーンソーを装備するリヴを睨みつける。



「このぉ、邪魔をしやがって!!」



 赤鬼は手近にあった椅子を掴むと、リヴを狙って振り上げる。


 リヴは2本目の注射器を首筋に刺して、中身の液体を注入した。空っぽになった注射器を放り捨てると同時にその姿が掻き消え、赤鬼が「どこに行った!?」などと叫ぶ。

 周囲に視線を巡らせて必死にリヴを探す赤鬼が、ついにユーシアの方を向いた。絶好のチャンス到来にほくそ笑むユーシアは、純白の狙撃銃の引き金に指をかける。


 今まさにその指先へ力を込めようとした時、



 ――ありす。



 頭の中で、自分の声が反響する。



「ッ」



 ユーシアはほとんど反射的に狙撃銃の引き金を引いていた。


 銃口から放たれた弾丸は、僅かに逸れて赤鬼の左眼球を穿つ。左眼球を潰されて「ぎゃああああ!?」と相手の口から痛々しい悲鳴が迸った。

 狙撃銃を握る手が震えていた。背筋を脂汗が伝い落ちていく。目の前にいるはずの赤鬼が、何故か表面がドロリと泥のように溶け落ちていくとその真の姿をユーシアの目の前に晒した。


 艶やかな金色の髪、頭頂部で兎の耳のように揺れる黒いリボン。水色のワンピースと純白のエプロンドレスを身につけ、身の丈以上のティースプーンを担いで引き裂くように笑う幼い少女。不思議の国を彷徨い歩く、夢見る乙女。



「ありす」



 ユーシアの口からその言葉が漏れる。



「ありす、ありすだ、ありすありすありす!!」



 目の前にアリスがいる、不思議の国のアリスだ。

 さあ今すぐ殺さなければならない。あの夢見る乙女の命をこの手で散らさなければ、ユーシアの悪夢は覚めない。不思議の世界からユーシアは帰ってくることが出来ない。


 だってそうだろう、家に帰ってきたら家族全員がミンチ肉になっていて血塗れで全てを失って血溜まりの中で笑うのはあの少女だけなんて悪夢に違いない!!



「ありすは死ね、みんな死ね、この世界は不思議の国じゃないお前はお呼びじゃないんだ死ね死ね死ね死ね死んでくれ俺の為に世界の為に死んでくれ!!」



 ユーシアは狂ったように叫ぶと、金髪の少女を狙う。


 ひたすら笑う少女に、ユーシアは狙撃銃の引き金を引いた。弾丸は寸分の狂いもなく少女の眉間を穿ち、その小さな身体が仰向けで倒れる。

 倒せた、倒せた倒せた、倒せた倒せた倒せた倒せた。でもまだ足りない足りない足りない足りない、静かに血を流す少女はまたいつでも出るどこでも出るあらゆる場所から覗いているのだからじゃあ全部殺すしかないのだ。目の前の少女をただ殺害しても意味がないなら徹底的に叩き潰してミンチにして海の世界に捨ててしまおう。そこで一生冒険をしているがいい。


 ユーシアは純白の狙撃銃を投げ出すと、横倒しになった椅子を掴む。さて幕引きだ、ここで死んでもらおうではないか。



「――――」



 ゆらりと椅子を掲げるユーシアに、アリスが何かを叫んでいた。


 何を叫んでいるのか言葉が不明瞭で聞こえない。ただのうるさい雑音となっている。

 黙らせる為にまずは椅子を顔面に叩きつけてやった。痛みに顔が苦悶の表情を見せるも、まだユーシアの心は晴れない。何度も何度も椅子を叩きつける。


 椅子を叩きつけるたびに鈍い音がユーシアの耳朶に触れた。肉を叩いているような感覚である。あれそういえばアリスは身長が小さいのに、殴っている箇所がおかしい気がする。アリスは苦悶の表情を見せているのに、叩いている位置はもっと上だ。



「シア先輩、そこまでですよ」


「んむ」



 唇が誰かによって塞がれる。


 口の中に流し込まれたものは冷たい水と、それから何かの錠剤だ。抵抗する間もなく錠剤が喉を伝い落ちていき、頭の中が少しだけ整理される。

 閉ざされた世界かと思えば、絶海を進んでいく豪華客船の甲板の光景が認識できた。荒れ果てたテラス席には真っ赤な液体が飛び散り、それから手にはガタガタに壊れた椅子がかろうじて握られている。


 その椅子で殴っていた相手が、あの赤鬼だ。眉間から血を流して、目を見開いたまま死んでいる。顔もボコボコに腫れ上がっていて、ユーシアが椅子でトドメを刺したのだろうか。それとも眉間の狙撃だろうか。



「落ち着きました?」


「ん……ごめん、リヴ君」


「気にしないでください、暴走した眠り姫を起こすのは僕の役目なんで」



 ユーシアの目の前に立っていたリヴは、茶色い小瓶を掲げる。その中にはザラザラと大量の錠剤が入っていた。

 緊急時用の【DOF】である。見た目は栄養剤とか身体に悪いものではなさそうに見えるので、密かに若者たちが【OD】の異能力を維持するのに争奪戦が起きている代物だ。


 リヴはレインコートの袖に緊急時用の錠剤タイプ【DOF】をしまい込むと、



「珍しいですね、吸い忘れました?」


「吸い忘れた自覚はないけど、多分そうなんじゃないかな。嫌に頭が重いんだ」



 ユーシアは懐から煙草の形をした【DOF】を取り出すと、その黒い煙草を咥える。流れるように煙草の先端へ火を灯すと、その煙を燻らせた。


【DOF】を切らした【OD】は幻覚に悩まされる――だから【OD】は【DOF】が辞められなくなるのだ。誰だって恐ろしい幻覚は見たくない。

 ユーシアの場合、家族を奪われた敵が目の前に現れるのだ。昔の記憶がフラッシュバックしてしまうあまり、暴走してつい暴力的になってしまう訳である。


 だが逆に、ユーシアの場合は【OD】の力を失わなければ狙撃手として相手を殺すことが出来ない。『眠り姫』として撃った相手を強制的に眠らせるという異能力が弊害となっていた。



「もう疲れた、救命艇を探すのはちょっと休憩してからでいい?」


「仕方がないですね、一度帰りましょうか。お昼寝をしたらいいと思います」


「そうするよ」



 疲れ切ったユーシアは、地面に捨ててしまった純白の狙撃銃を拾い上げる。

 昔からの相棒、ユーシアがまだ【OD】ではなかった頃から使っていた愛銃。調子を確かめてみるが、落として乱暴に扱っても壊れない頑丈さがある。


 ライフルケースに純白の狙撃銃をしまうと、ユーシアは遠くで様子を伺っていたネアとスノウリリィ、そしてユーリカに視線をやる。



「ごめん、ちょっと疲れたからお部屋に戻ろうか」


「おにーちゃん、だいじょうぶ? ねあ、おへやにもどったらおうたをうたってあげるね」


「ありがとう、ネアちゃん。出来れば子守唄でお願い」



 心配そうに見上げてくるネアの頭を撫でてやり、ユーシアは取り繕うようにいつもの曖昧な笑みを浮かべるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る