【第1話】

 DOFという魔法の薬がある。


 正式名称をドラッグ・オン・フェアリーテイル、略して【DOF】である。

 飲用するだけでおとぎ話にちなんだ異能力を獲得できる薬品で、若者を中心に世界中で爆発的な人気を博した。動画投稿サイトでも【DOF】を実際に服用する動画が多数投稿され、獲得した異能力の強さを自慢する連中まで出てくる始末だ。


 誰でも簡単に常人を逸脱した異能力が手に入る【DOF】だが、いくつか欠点を抱えていた。


 まず【DOF】で得られる異能力は永遠ではない。【DOF】を服用して得られる異能力は個人で差があるけれど、得られる異能力はごく僅かな間だけだ。

 服用を止めれば異能力は消えてしまうし、逆に言えば異能力を維持する為には【DOF】を服用し続けなければならない。1度消えてしまった異能力でも、再び【DOF】を服用すれば再取得が可能だ。


 そして【DOF】の服用を止めると、強い幻覚作用が引き起こされる。これは『自分の最も見たくないもの・恐怖心を抱くもの』を映し出すと言われている。

 実際に【DOF】の服用を途中で止め、強い幻覚症状に悩まされて重篤な犯罪を引き起こした事例が後を絶たない。幻覚症状を見たくない、かつ獲得した異能力を維持する為にも【DOF】は1度だけでも服用すれば常人に戻ることは出来ない危険な薬品だった。


 こうした【DOF】常用者を『過剰摂取overdose』になぞらえて【OD】と呼称し、厳重に取り締まることとなった。



 ☆



 翼田空港に到着したロサンゼルス発の飛行機を待ち構えていたのは、大勢の警察官だった。


 それもそのはず、この飛行機がハイジャックされたと通報されてだいぶ時間が経過している。重装備の特殊部隊が今か今かと突入を待機しているのだが、次々と降りてくるのは呆気に取られた表情の乗客ばかりである。ハイジャックなどなかった、と言わんばかりの態度だ。

 重厚な盾を構えたまま放置を喰らう特殊部隊は、一体何があったと互いの顔を見合わせる。「ハイジャック犯は?」「おい、確認を急げ」などと慌てた様子で指示を飛ばしている。


 そんな様子を横目に見ながらハイジャック犯がどうのと騒ぐ飛行機から悠々と降りてきた金髪の少女は、熊さんのポシェットを揺らして首を傾げた。



「りりぃちゃん、はいじゃっくってなぁに?」


「あはは……」



 金髪の少女に付き添う銀髪碧眼のメイドさんが、困ったように笑っていた。純粋無垢な眼差しを向けてくる少女への説明に戸惑っている様子だ。



「ネアさん、そろそろ下ろしてあげた方がいいですよ」


「はぁい」



 金髪の少女は熊さんの形をしたポシェットをひっくり返し、その中身を容赦なく足元にぶち撒ける。

 可愛らしい少女の絵柄が描かれたハンカチや猫のマスコットがついた携帯電話、明るい桃色の可愛い財布などがリノリウムの床に散らばる。ちょうど通りかかった飛行機を利用予定の客が驚いたような視線を少女に寄越すが、金髪の少女は構わずしゃがみ込んでひっくり返したポシェットの中身を漁り始めた。


 メルヘンチックな白いワンピースの裾が捲れ上がることも気にせず中身を漁ること数秒、少女の荷物に唐突な変化が訪れた。



「ネアちゃん、今度からポシェットの中身をひっくり返すのは止めようか。いきなり地面に叩きつけられて死ぬかと思ったよ」


「意外とスリリングでしたね。シア先輩の手汗は凄かったですけど」


「だからって俺のコートで拭かないでよ、リヴ君。謝るからさぁ」



 そこに存在しなかったはずなのに、何故か急に金髪の男と黒いレインコートを身につけた青年が幽霊の如く姿を出現させたのだ。

 これには通行人もギョッとした表情でしゃがみ込んだ金髪の少女と、急に出現した2人組の男に視線を巡らせる。少女の持ち物が空港の床に散らばったと思えば突然得体の知れない男どもが現れれば驚くのも無理はない。


 立ち止まる通行人を睨みつけた黒いレインコートの青年は、



「何見てんですか、散れ散れ」



 シッシと追い払うと、蜘蛛の子を散らすように通行人もそそくさと退散した。関わってはいけないという雰囲気を本能的に察知したのだろう。



「リヴ君、一般人を威嚇しても意味ないよ」


「金を持ってるかもしれないじゃないですか」


「そうかもしれないけど、今は止めようよ。状況を考えよう」



 金髪碧眼で砂色のコートを羽織った無精髭の男――ユーシア・レゾナントールは一抱えほどもある箱を背負い直して言う。

 箱の素材は頑丈そうで、例えるなら楽器でも入っていそうな雰囲気のある箱だった。随分と使い古されているのか、箱の表面には細かな傷跡が目立つ。


 ユーシアはハイジャック犯を逮捕するべく空港を彷徨う特殊部隊の面々を指差し、



「ほら、これだけいるからさぁ」


「仕方がないですね、自重しますか」



 黒いレインコートを身につけた青年――リヴ・オーリオはやれやれと肩を竦めて応じた。心の底から「仕方がない」と言っているようだった。



「ネアちゃんとリリィちゃんは飛行機で快適に過ごせた?」


「うん!!」



 ユーシアの質問に答えた金髪の少女は、満面の笑みで頷いた。

 艶やかな金色の髪と青色の瞳、メルヘンチックな純白のワンピースは成熟した見た目とは対照的で子供っぽい。ワンピースの布地を押し上げる胸部は豊かで、裾から伸びる華奢な足もすらりと長い。見た目と中身がちぐはぐで、喋り口調も子供のような響きがある。


 金髪の少女――ネア・ムーンリバーは「たのしかった!!」と笑い、



「りりぃちゃんとえいがをみたの!!」


「ユーシアさんがビジネスクラスの座席を取ってくれたので私たちは快適に過ごせましたが……」



 ネアの言葉へ同調するように銀髪碧眼のメイドさん――スノウリリィ・ハイアットが何か言いたげな視線を寄越してくる。

 透き通るような銀髪と宝石のような青い瞳、顔立ちも綺麗に整ったメイドさんだ。メイド服はコスプレのようにも見えるが、ちゃんとリヴが布から仕立てた彼女の制服である。文句など言わせない。


 スノウリリィは「あの」と口を開き、



「ハイジャックって何ですか?」


「飛行機を乗っ取る犯罪だけど、リリィちゃんはもしかしてご存じない?」


「いえ、あのハイジャックの意味は分かるんですよ」



 スノウリリィは空港で待機中の特殊部隊を一瞥し、



「もしかしてハイジャックが起きたのではないかと思って」


「そんなのなかったよ」


「そんなのありませんでしたよ」



 ユーシアとリヴは口を揃えてしれっとそんなことを言う。



「今時ねぇ、そんな物騒なことなんて飛行機内で起きないでしょ。リヴ君じゃあるまいし」


「そうですよ。起こすとすれば僕みたいな頭のおかしい連中ですからね。いい勉強になりましたねあとでシア先輩は殴る」


「自分で納得しておいて理不尽じゃないのかなぁ!?」


「僕の辞書に『理不尽』なんて単語は載ってませんね」



 リヴに脇腹をぶん殴られ、ユーシアは「おごぉッ」と呻く。脇腹に突き刺さる容赦のない痛みにさしものユーシアでも耐えられなかった。



「よ、よかったです。じゃあハイジャックなんてなかったんですね? ただの誤報ですよね? リヴさんみたいに事件を面白がるような頭のおかしい犯罪者の仕業ではないですよね?」


「リリィも殴られたいならそう言ってくださいよ」


「だってご自分で納得されていたじゃないですかぁ!!」



 拳を掲げるリヴから逃げるようにネアの背後へ隠れたスノウリリィは、甲高い悲鳴を上げるのだった。傍目から見れば戯れあっているようにも見える。


 ようやく脇腹の痛みから解放されたユーシアは、思い出したように「あ」と呟く。

 そういえば、飛行機でゴミ掃除をした気がするのだ。あれは結局どうなっただろうか?



「リヴ君、あの大きめのゴミはどうなったの? 結局、お前さんに処理をお任せしちゃったけど」


「飛行機から紐なしバンジーさせましたんで、高高度から落ちても生きていれば生きているんじゃないですかね? 真下は海みたいですし」


「海に落ちても鮫に食われて死んでるかなあ」


「でしょうねぇ」



 あははははは、と呑気に笑うユーシアとリヴに、会話の内容を聞いていたスノウリリィが恐る恐るといったような風体で問いかける。



「あの、ユーシアさん? ハイジャックはなかったんですよね?」


「なかったよ」


「じゃあその、今の会話は? まさかゴミ掃除って」


「何かいびきとか呻き声とかしてたけど、ゴミだよゴミ」


「それって明らかに人間ですよね? まさかハイジャックの犯人とか言わないですよね!?」


「拳銃とか持ってたけどハイジャックはなかったよ」


「ハイジャックの犯人を飛行機から紐なしバンジーさせたんですか!?!!」



 スノウリリィの詰問を笑って聞き流すユーシアとリヴは、飛行機に乗る際に預けた手荷物の回収に向かうのだった。

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