4-5

 レオンは、ビルの谷間を駆けていた。見通しの良い目抜き通りは避けて、ビル壁がひしめく小路を通って、彼女のもとへ。

 さっき、情報端末で確認した時、彼女はヴォイドシティの中心にほど近いところにいた。彼女の生命反応は消えていない。ちゃんと彼女は生き残っている。それがわかっただけでどれだけ救われたか。

(クレハ、待っていろ。すぐに助けに行く)

 しかし、レオンの足は見通しの良い大通りに阻まれる。遠くの方にグレイブがちらほらと見えてはいたが、そいつらがよそ見をするのを待つ時間すら惜しい。レオンは構わず進んだ。

 レオンは走りながら銃のマガジンを交換した。止まることなど考えられない。少しでも早く彼女のもとへ行きたい。



 ——レオンに、逢いたい。こんな時にそんなこと思ってしまうということは、それだけ死にひんした状況だということなのだろうか。

 両側からせまるコンクリートの冷たさに辟易とする。陽の光があまり入ってこない日陰よりも濃い暗がり。隣接する壁が足音を何重にも反響させる。こんなところでグレイブと遭遇したらどうなるのだろう。逃げる場所はない。機銃の掃射にあって、図多袋のようになって地面に這いつくばるんだろうな。

 恐怖のせいで歩くたびに粘っこい唾が喉にへばりついてきた。

 クレハは枝道が現れるたびに壁に張りついて先の様子を伺う。グレイブの足音がないか耳をすます。わずかな音でも聞きおとすと、死に直結する。音でその場にいないと分かれば、次に顔をのぞかせて視認する。わずかでもグレイブの視界に入れば、たちまち撃ち抜かれる。一つ一つの動作で生死が決まる。その緊張の中、おそるおそる顔を壁からだした。そこにグレイブの姿はない。クレハは、安堵して足を前に進めた。だが、その足がすぐに止まる。

 奥の壁に赤い光が反射しているのが見えた。体の奥の方が凍り付いたいみたいに動けなくなる。心臓がはちきれそうな鼓動を連発させる。

 路の奥の枝道から現れたその金属の犬は、クレハに気がつくと口を開いた。本物も狩のまえはこんなふうにするのだろうか。まるで、狩の激しい動作に備えるために多くの酸素を取り入れているように見える。体中に機血を送る機構なのだろうか、腹部が膨張と収縮を繰り返している。それが余計にリアルな生物に見せてくる。本能的に殺そうとしてくる肉食獣の狩の姿そのものだ。

 グレイブの背中の機銃が赤線をクレハにあてる。そこから瞬きの時間もない。弾丸が飛来する。クレハは来た道に飛び込んだ。飛び込んだ後のことなど考えられない。頭から突っ込んだ。手をつく暇すらないまま、わき腹をコンクリートの地面に打ち付けた。突き上げるような衝撃が肺を襲って呼吸が一瞬止まる。それでも動かないといけない。痛みに悶えている時間はない。 

 グレイブが追って近づいてきているのは足音を聞けばわかった。金属が硬い地面をたたく音は耳をつらぬくほどの轟音だ。

 クレハは痛みに歯を食いしばって駆けだす。心臓がはちきれたように、鼓動を全く感じない。 冷ややかな手が内臓をさするような畏怖が体を支配していた。とにかく体がそこから離れろと叫んでいる。ただ、逃げることしか頭になかった。夢中で駆けていると運よく枝道があったからそこに入り込んだ。しかし、その姿をグレイブもとらえている。

 入った直後に後ろの壁を弾がえぐった。このままだとやられる。そう思った瞬間、足が重たくなって止まってしまった。逃げても意味がない。いずれ、追いつかれて死んでしまう。だったら……。

 クレハは、ホルスターに収まった拳銃を握った。近づいてくるその足音が曲がり角を曲がるためにブレーキをかけるはず。クレハは、その音を聞き逃さないように耳をたてた。グレイブの赤い眼光が壁を照らし始め、クレハは息を呑んだ。銃の腕にそこまで自信があるわけではない。あたるかは一か八かだ。

 赤い光が覗き、体がこちらを向いた瞬間、クレハは発砲する。視界を潰そうと顔に照準を合わせた弾丸は、あえなく上部をとおりぬけ、機銃にあたった。

 機銃はレーザーポイントを振り仰いだ後、かしいだ状態になり弾丸を発射しなくなった。それに遅れて気づいたのか、グレイブは後方に首を回す。だが、それだけだった。機械獣はこちらに向き直ると、まっすぐ駆けだしてくる。

 メインウェポンである機銃を失っても機械獣のもつ単純な力の強さがなくなったわけではない。人間を殺すことなど容易いままだ。

 向かってくるグレイブにクレハは銃弾を撃ち込む。だが不意打ちで——しかも、まぐれでしかあてることができない照準能力では、グレイブを撃ち抜くことはできない。グレイブは、クレハが弾丸を撃ち込むところを最初から察知しているかのように体を左右に躍らせ、弾丸をかわす。激しく照準を振らされる。照準が定まらないから当たらないと分かっていた。そう分かっていながらも、クレハは弾丸を撃ち続けるしかなかった。

 弾倉が空になったのと同時にグレイブは飛び上がった。狭い路地でよけることはかなわず、クレハはグレイブに押し倒される。

 一〇〇キロを超える金属の塊が左の鎖骨を踏み抜いた。両脚も後ろ脚でおさえつけられ、身動きが取れない。かろうじて動かせる右手で銃のトリガーをひいた。弾が出なくて、さっき撃ち尽くしたことを思い出して絶望する。

 クレハは昔テレビで見た肉食獣の狩を再現した映像を思い出した。肉食獣にくわれる草食動物もこんな気持ちなのだろうか。動きを封じられて、喉元を嚙み切られる瞬間を待つこの感覚。全身が凍てついてマヒしたようだった。皮膚がびりびりする。冷たいコンクリートの地面から、冷ややかな手が伸びてきて臓物をなでまわしているみたいだ。

 グレイブの口が開き、剣のように鋭利な牙をのぞかせる。

 いやだ。死にたくない。まだ、なにも始まっていないのに。こんなことなら、さっさと気持ちを伝えておけばよかった。

 後悔と一緒に涙がこみあげてきた。けれど、その涙をぬぐうこともかなわない。クレハは目を瞑った。——その刹那。

 一回の銃声がクレハの耳に届いた。火花を散らしてグレイブがのけぞる。のぞかせるその胸にさらに弾丸が撃ち込まれた。銃創から火花が噴き出してグレイブは、吹っ飛ぶ。クレハの頭の方から人影があらわれてグレイブに向かっていく。体格からして男だろう。その男がとどめをさそうと銃口をグレイブに向けている。

 グレイブは、神経ケーブルをやられたのか、腹ばいになったまま痙攣するだけで、動くことができていない。

 銃声が一回だけなった。その一発をうけてグレイブは完全に動かなくなった。男がコアを撃ち抜いたのだ。

 男は、動かなくなった金属塊から目を離し、こちらに近づいてくる。瞼に残った涙で視界がかすんでいるから誰なのか全くわからない。クレハは慌てて涙をぬぐった。男がクレハの前で屈むと顔をのぞき込ませる。

 レオンだった。安堵の表情を見せてくる。

「クレハ、大丈夫か?」

 クレハは、頷くと起き上がろうと手をついた。すると、左の鎖骨に激痛がはしる。クレハが表情をゆがませ、レオンが慌てたように訊いてくる。

「どこか負傷したのか?」

「左の鎖骨。思いっきり踏まれたから、たぶん折れてる」

 右腕だけで体を支えていると、レオンが背中に腕を回してくる。その腕に体を預けると起き上がらせてくれた。

「立てそうか?」

「なんとか……」

 レオンが右手を掴む。されるがままに引っ張り上げられると、体が勢いづいたままレオンの腕の中にすっぽりと納まってしまった。彼は、まるでふれたら崩れてしまう砂の像を抱きしめるようにクレハを抱擁してくる。その温もりのなかに体を預けていると、頬に暖かいものが触れた。それがレオンの涙なのだと気づくのに少し時間がかかった。だって、レオンには涙が似合わないから。レオンの口からこぼれた言葉を聞いてやっと結びついた。

「よかった……。無事で……」

 無意識にこぼれたような、弱々しくて細い声だった。

 レオンが泣いている。人一倍プライドの高いレオンが。いつも周りにクールにふるまうレオンが気持ちを抑えられずに泣いている。

 やっと実感が湧いてきて、クレハもレオンの腕の中で静かに泣いた。

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