第四章 記憶の紬

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 その記憶は、いったい誰のものなのだろうか。見通しの良い大きな通りに立っていた。車道は片側三車線、黒い金網のような中央分離帯で、上り車線と下り車線が仕切られている。見覚えのないビル群。だけど、初めて見た気がしない。何階建てなのだろうか。数えるのもおっくうになるほど、それぞれの建物は巨大だ。でも、建物の大きさと数に見合うだけの人の姿が見えない。

 この通りは、もともと交通量が多かったのだろうが、道路に一般自動車はなかった。行き来するのは、軍用車だけだ。いったいなぜ?

 周りには見方が何人かいるみたいだ。皆同じ軍服を着ている。だが、その装備は明らかに軽装だ。これで何と戦おうというのだろう。

 レオンは、自らに迫る危機に気が付いていた。車線の前方に一機の機械獣がいる。犬型の機械獣。頭の高さは、人の胸ほどだろうか。その機械獣のことは、知っている。グレイブという小型の機械獣だ。

 建物の破壊を目的とする大型の機械獣とは違う。建物の隙間や、地下に逃げ込んだ人間も逃さない、人を殺すことに特化した機械獣だ。

 光学センサーを通すため、頭部の前面は強化ガラスで覆われている。そのほかを鈍色の装甲で全身を覆った巨犬は、ゆったりと近づいてくる。なめらかに関節を動かし、まったく軸のぶれない歩行動作は本当に生き物を見ているようだった。しかし、その動作は、警察から訓練をうけているような犬とは、少し違って見えた。もっと野性的で、殺戮に陶酔した凶暴さをあらわにさせた狂犬。

 すべては、初めて見る光景だ。だけど知っているような気がした。いったいどこで見たのだろうか。


 ——二年前——


 レトリア連邦の都市のなかで二番目の人口をほこる都市、グランツェ。機械獣との戦闘区域に最も近い都市であるため軍事拠点として機能していた。さらに侵攻してくる機械獣を迎え撃つため、軍事演習も年間を通して行われている。

 そのグランツェには人がまったく住まないエリアがあった。ヴォイドシティと呼ばれるその街は、まるごと軍事演習用につくられている。いつ有事がおこっても対処ができるように、小型機械獣が都市内部に入りこんでも速やかな排除ができるように、街中で軍事演習を行うのだ。

 そして、ヴォイドシティで軍事演習をするのは、グランツェが所有する軍隊だけではない。周辺都市もまた、ヴォイドシティで軍事演習を行っていた。

 その日は、年に一度か二度しか行われない四都市合同軍事演習が行われていた。当時、軍大学の生徒だったクレハとレヴィンス、そしてレオンもその演習に参加した。

 が、それがよくなかった。

 その日は四大都市の防衛軍が集結したのだ。しかも、彼らは本物の銃火器を所有していない。ほとんどが訓練用で殺傷能力のないもの。この好機を機械獣が、逃すわけなかった。

 演習が開始されてからしばらくして、グレイブが地下鉄道から侵入し、そして多くの兵士が犠牲となった。

 クレハは、命からがらビル群に逃げ込むことが出来たのだった。ビルの狭間の迷路のように入り組んだ道で、グレイブをまくのは容易だった。さらに彼らの入ることのできない狭い隙間に入って身を潜めた。

 今、クレハがいるのは、密接するビルのあいだのわずかな隙間だ。幅は六〇センチもないだろう。

 ビル群の隙間に身を隠して、どのくらい時間がたったのだろうか。グレイブが都市内に侵入したという知らせを受けて軍事演習は中止され、もともとあった隊はすでに跡形もない。

 まわりにいた仲間は死んだ。死んだ仲間のなかには、同じ都市の兵もいた。見知った顔の学生もいた。まわりにいた他の隊の兵もみんな。実弾を撃てない演習用のマシンガンと唯一携帯がゆるされた実践訓練両用ハンドガンでどれだけ戦えたというのだろうか。救援物資も部隊もいまだにこない。みんな抵抗すらできず無念に死んだのだ。そして、自分はそれを利用したのだ。

 グレイブが狼狽する仲間に気をとられているうちにビルの影に姿をくらませた。いま思えば卑怯だったと思う。自分は軍人として戦うべき標的から逃げ出し、いまもこうして縮こまって隠れているのだ。たったひとり、自分の命が惜しくて。

 クレハは唇をかみしめた。何もできなかった自分、逃げてしまった弱い自分、中途半端な気構えのまま軍大学に入学してしまった自分、そのすべてを卑下するように。

 周囲は今、どういう状況なのだろう。近くにグレイブはいるのだろうか。しばらく物音を聞いていない。他の獲物を求めて去ったのだろうか。

 状況は最悪だ。

 通信機器がなぜか使えないせいで救援を呼べない。訓練中は使えたというのに、いまはまったくだ。もしかしたらジャミングされたのかもしれない。

 ヴォイドシティーのそとの有人区の防衛にも兵はさかれる。応援が来るとしても後回しだろう。それは軍としては正しい判断だと思う。

 だが、戦えずに死んだ彼ら、彼女らはどう思って死んだのだろうか。軍人として役目を果たすでもなく、ただ無残に殺された。銃弾で胸や腹に穴をあけられて血を吐いて呻きながら死んだのだ。死んでいった彼ら彼女らが何を思って死んだのかわからない。だけど一つだけ言えることがある。

——こんな終わりかた、私たちは望んでいない。

 ひしめくように立ち並んだビルの隙間は、息が詰まりそうなほど狭い。わずかにあいた頭上もオゼインシェルタ―のフレームが蓋をしてしまっているからなおさらだ。そのふさいだ空間が殺戮によって毛羽立った心を落ち着かせてくれる。

 だれも助けに来てはくれない。いや、来られないのだろう。これから街に侵入するであろうグレイブを殲滅するまで救助はこない。それにもしも、いまグランツェにいる部隊が全滅してしまったのなら、兵は全員死んだとみなされ自分が助けられることはなくなるだろう。

 どの都市もグレイブに占領された都市に自分たちの防衛資源である兵士を送ろうとは思わない。そうなった場合どうなるか。ここにいてもいずれ死ぬ。

 クレハは意を決して隙間から出ることにした。 

 軍服がビルのざらついた壁面とこすれる。背中にわずかな抵抗を感じながら隙間から出た。

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